ベスト・ライヴ−3
真夏の暑い日でした。とても暑かった。死にそうに暑かった…。
池袋国際演劇祭で公園の中に作られた特設テント劇場には、2度行きました。もう一つはブリキの自発団でしたが、暑い!という記憶はこの日の方が強く残っています。それは気象条件だけでなく、ステージ上の熱さと客席の熱さが相乗効果となっていたからかもしれません。
会場の公園には、まだ強烈に西日が照りつけるうちに行き、入場待ちの列に加わりました。列の人達にはひさうちみちおのイラストと公演名が記されたウチワが配られ、観客に加え公園の住人たちもが、せめてもの涼をとるために一生懸命であおいでいました。テント前にはノボリや花がずらりと並び、送り主の著名な文化人や芸能人の名前が連なっています。これからはじまるのがどんなものなのか、いやがおうにも期待は高まっていきました。開場してテント内につめこまれた満員の観客の意識も、すでに祭のように高揚していたように思います。
それまでに舞踏は山海塾の公演を見ていましたが、スペクタクル性の強いと言われる白虎社は、テレビの舞踏紹介番組でチラリと見ていただけでした。それでも、事前にもらっていた公演チラシのオドロオドロしさなど、イメージはあったのです。が、始まったステージ上の光景は事前の憶測などはるかに吹き飛ばしてしまうほど、強烈で色にあふれ、猥雑でうるさい芸術だったのです。
大がかりな舞台セットはレトロと未来が混じりあった感じで、座長である大須賀勇と淫靡さを湛える蛭田早苗といった大舞踏家を中心に、鍛え込まれた男女の舞踏手たちはサイバーパンクっぽい衣装を付け、または全裸に近い姿で踊り狂い、絡まりあう。そしてロックバンド「mar−pa」と雅楽、邦楽演奏家たちによる、迫力と微妙なバランスの緊張感ある生演奏のインパクト。欧米で人気を博した山海塾とは対象的に、東南アジア公演で熱狂的な成功を収めた白虎社の世界は、どこまでも肉感的に迫ってくるものでした。

公演は3時間に及ぶ長丁場となり、テントの中の空気も熱く澱んできた終盤、大量の爆竹が鳴らされたところで両脇の幕が開け放たれ、外の風がサーッと吹き込んできたときには生き返ったような感じがしましたが、もちろん暑さは激しく舞った舞踏手たちにこそ過酷だったはずです。ラスト、男性舞踏手が女性舞踏手2人を抱えての大回転という技の時には、客席に汗の雨が降り注いだのでした。
実を言えば、数年後に同じ演目を湘南の海岸の野外劇場で観てこちらも記憶に焼き付いているのですが、初秋の台風翌日ということもあり、澄み抜けるような星空のもと、強風に寒さを感じながら観た時の洗練された印象とはまったく違っています。暑さ、熱気という過酷なファクターが、公演の内容と結び付いた時、この日の舞台は伝説となったのでしょう。この時の公演については、別冊太陽「現代演劇60's〜90's」という本にも書かれています。
今は解散してしまった白虎社ですが、世界の演劇・舞踊史上でもまれに見る異色集団だと思っています。本拠地である熊野の山奥での舞踏合宿に、行きたいと思いながらも結局参加しなかったことを、とても後悔しています…。