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▲1986.11.1改正から201系の定期大月乗入れ開始 初列車に特製マーク
1986.11.1 荻窪-阿佐ヶ谷 撮影・提供 島田誠氏 |
▲同じく新設された通勤快速では新宿発の1本目に特製マークが 1986.11.1 新宿 |
▲河口湖発初日にマーク付で運転 1990.3.10 富士急線赤坂 |
▲各線共通の「さようならJNR」マークを取付け 1987.3 武蔵小金井-東小金井 |
▲4月1日からは「さよなら」と同形の「こんにちはJR」を取付け 1987.4 武蔵小金井区 |
▲1周年は丸形のマーク 201も各区の車輛に取付け 1988.3 新宿 |
▲「初詣出はJRで」というPRか「初詣
JR沿線」のマーク 1993.1 大阪 |
▲「花博」と海水浴のPRマーク JR西日本はPRマークが百花繚乱 1991.9 大阪 |
▲三鷹区の「E電」愛称決定のPRマーク 1987.5 新宿-大久保 |
▲「E電」PRマーク 左:武蔵小金井区 右:豊田区(こんにちはJRの流用) 1987.5 三鷹 |
▲1988.3.13ダイヤ改正PRマーク 武蔵小金井区製 1988.3 西国分寺 |
▲こちらは同じく武蔵小金井区のものだが簡易版 1988.3 神田-御茶ノ水 |
▲1988.3.13ダイヤ改正PRマーク 豊田区製 1988.3 西国分寺 |
▲1988.3.13ダイヤ改正PRマーク 三鷹区製 1988.3 代々木 |
▲1988.3.13ダイヤ改正PRマーク 豊田区武蔵野線バージョン 1988.3 西国分寺 |
▲1988.12.1ダイヤ改正PRマーク 左:豊田区 右:武蔵小金井区 1988.11 三鷹 |
今では、イベントなどのPRヘッドマークの取付はJR西日本のお家芸の様な状態だが、民営化直後はJR東日本でもダイヤ改正のPRマークなどが結構取付けられていた。国鉄末期の民営化を見据えた1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正では、中央線に201系による通勤快速が設定され、また、定期運用として同系の大月乗入れが開始された。どちらも改正当日のみ当該列車の最初の1本(通勤快速は新宿始発の1本目)に特製マークが取付けられた。なお、通勤快速については、後に特別快速サボ復活時に合わせてサボが用意された(差込み式)。その後の大月からの富士急乗入れ開始時も、初日には特製マークが取付けられている。これらは全て定期運用の電車にマークを付けたものだった。