生むという責任

例の聞くだけでも顔が歪んでしまいそうな惨事。
マスコミは、大学病院を叩く事だけに躍起になっているけど、
その前に、親の責任問題を問うべき。
彼らにこそ、致死罪を適応すべきだ。
(名前忘れたけど、親が親である責任を果たさなかった為の致死罪、があったはず)

このニュースを見てるときに思い出した。
少年時代、僕の両親は、縁日で、
綿菓子や串焼きを買ってくれても、
その場では絶対に食べさせてくれなかった。

欲しがっていた、それ、を食べる事ができたのは、
ほとんどが帰宅後の話。
もしくは、ベンチとかがある場所だった。
僕は、人並みにはマシな両親に恵まれていたのだろう。
そして、その運命に、少しは感謝しなくてはならなそうだ。

落ち付きが無く、また身体的にも未成熟な子供に、
棒状のものをくわえさせる。
ちょっとでも考えれば、直にその危険が理解できるはず。
(歩きながらものを食べさせてしまう感性も僕には理解不能だが)

泣きながら、マスコミの質問に受け答えする
彼の両親の顔をみると反吐がでる。
あの子供を殺したのは、彼ら自身の無責任さだ。

よくもまぁ、被害者ヅラしてTVの前に出られるものだ。
信じがたい理性と羞恥心の欠如。

子供は生れたくて生れてくる訳じゃない。
強制的に生命を与えられる、本人の意思とは無関係に。
だからこそ、親、となった人間には果たすべき責任がある。

ガキがどんな失敗作だったとしても、
どんなに不運な事故があったとしても、
生んだという責任からは、逃れる事が叶わない。

子供の不幸は、あらゆる事全てが、親の責任。僕はそう考えてる。

僕は子供なんか絶対につくらない。
自分にその責任を負うだけの資格が無い事がはっきりとわかってるから。
それこそ、ガキ一代で食いつぶす事が不可能な資産と、
完璧な教育係でもそろわない限りは、この主張は変わらない。

誰が言えるんだ。その子供に幸せな人生を与えられると。
それを誓える人間はただの阿呆、

そして、それを誓えないまま子供を産む奴は、犯罪者だ。