"Entbehren sollst du, sollst entbehren"

僕は、恋愛はしたくない、と思ってる。
それが可能であるかどうかは別として。

−ゼロだ!僕はゼロに賭けるのだ
子供の頃に読んだ本に、僕は影響を受けすぎた。
自分自身が分からなくなるほど、傾倒したいと願ったモノたち。
それらの本当の意味は、未だ分からないにも関わらず。
−馬鹿がしちゃいけない事?そりゃ本を読む事さ
一人という自由。この言葉に僕は取り付かれている。
とにかく、他人との接触を避けたいと願う。
他者に好意や悪意を持ってしまった瞬間に、
僕じゃない何かのために、僕自身が虐げられる。
−あなたは、あなたの孤独を愛してください
だから、ここで同じ文章を書いている連中なんかは、僕にとって最大級の邪魔者。
もう、これ以上、心を分け与える対象を増やしたくない。
それがまず最初の理由。
−あなたの孤独が、あなたの心の拠り所となり、故郷となるでしょう
二つ目の理由は、空想や感情というものを捨て去りたいから。
自分の希望や感傷に、自分自身が振り回されるなんて、まっぴらごめん。
得るものもあるのだけれど、代価はあまりにも膨大。
いくつかの熱病に懲りた僕は、
それさえなければ楽に生きられると信じてる。
−自分の幸福を考える事なんていりませんわ、そんなものはやってきやしません
恋愛なんて、もってのほか。
『私的履歴書』に書いた、「仙人になりたい」という言葉は、
大袈裟ではあるけど、冗談でもない。
定められたその時まで、日常の消費に、専念していたい。
−己の好む想念や空想の実行ではなく、ただ義務の履行。これこそ、人間の心に懸けねばならぬ事である
そして、最後の理由。
僕は恋という感情を知らない。理想とする女性もいない。
中学の始めに読んだ本、それが僕をそう運命づけた。
−私の若い魂の泉に、一つの石が落とされたのだ
僕の理想として摺り込まれたその女性は、
<性別無き者>の象徴として描かれていた。
僕の個人的な解釈では、多分、ヒトですらない。
−鳥は神に向って飛ぶ。神の名はアプラクサスという
そして、その中で語られる恋は、真実には恋ではなく、
畏怖や崇拝を意図して描かれたものだった。
ガキだった僕に、そんなことがわかるはずもなく、
僕は、ソレのイメージを追い続けたまま、大人になった。
−彼女が僕にはなむけにしてくれたキスを君にしてあげておくれって…目を閉じたまえ、シンクレール!

気付いた時には、後の祭り。
僕は永遠に理想を手にする事はなく、
それを手に入れたとしても、僕が感じるものは恋ではない。

 


タイトルの邦題は「お前は諦めなければならない、諦めなければならない」
ツルゲーネフの「ファウスト」の原題である。

文章自体はダミーで、行間に見えない色で隠し込んだ文字が指し示す本たちが、
僕の「恋」というテーマに対する本当の回答。
人の言葉を使って、自分自身の無能さを覆い隠したことによってそこそこ気に入った文章になった。
ちなみに、あとがきのページでも同じ手法で、読者になぞ賭けをしてみた。

「行間に混ぜ込んだ言葉たちの中に一つだけ僕自身の言葉が混ざっています。」

以下、その言葉と出展。

−ゼロだ!僕はゼロに賭けるのだ
ドストエフスキー「賭博者」

特に意味はなく引用。 正直全編を通して読んだことはない。
寺山修司がよく、この小説から引用をしていたことで、物語の大筋と、この言葉を知っているくらい。
ドストエフスキーを引っ張ってくれば、少しは高尚に見えるかな?といった媚もあり。

 

−馬鹿がしちゃいけない事?そりゃ本を読む事さ
自分自身の言葉

これがクイズの回答。本を読むことは「いいこと」とされているけれども、
真性のバカにとって、書籍の世界への依存というのは致命的に自己を喪失させる原因となる。
僕がそうであるように。というわけで、これはありきたりながらも僕自身の言葉。

 

−あなたは、あなたの孤独を愛してください
−あなたの孤独が、あなたの心の拠り所となり、故郷となるでしょう
リルケ「若き詩人への手紙」

僕に、詩人になりたいと一瞬だけ感じさせ、直後にその才のなさを気づかせ絶望させた一冊。
リルケは事あるごとに「詩人の孤独性」というものに触れていて、バカだった僕はすぐにそれに取り込まれてしまった。
真実の孤独と環境としての孤独が違うものだとも気づかずに。

 

−自分の幸福を考える事なんていりませんわ、そんなものはやってきやしません
−己の好む想念や空想の実行ではなく、ただ義務の履行。これこそ、人間の心に懸けねばならぬ事である
ツルゲーネフ「ファウスト」

「無知の幸福」を詠ったツルゲーネフの名作の一説。
空想と感情を教えられなかった人間が、「ファウスト」を読むことにより感情や空想に振り回され、
自分が幸せでなかったと気づかされてしまう物語。
社会主義系のプロパガンダと捕らえられていてあまり評価は高くないが、僕にとっては最高の一冊。

 

−私の若い魂の泉に、一つの石が落とされたのだ
−鳥は神に向って飛ぶ。神の名はアプラクサスという
−彼女が僕にはなむけにしてくれたキスを君にしてあげておくれって…目を閉じたまえ、シンクレール!
ヘッセ「デミアン」

ヘッセの前期の情熱と後期のブッディズムへの傾倒後の難解さの双方の魅力が存分に発揮されていて、
この物語は二つとない傑作となった。
この中でシンクレールが憧れをいだく、エヴァ夫人という女性が
アプラクサスというキリスト教的異端とヘッセが傾倒しだした洋的神格の象徴として、
神学校に通うシンクレールを「堕落」させる。
この物語が神を問うものであったことに気づけすに、
単純に恋物語として読んでしまった馬鹿は、 今も、この幻影から抜け出せずにいる。