怪しい探検隊でお馴染みの、カヌーイスト・野田知佑。
イヌを乗せたファルトボートを操り、無数の川を下る。
彼の姿が、日本人にとっての、カヌーにまつわるイメージの象徴だろう
僕も、彼によってカヌーを知り、いつかは、と心に誓った。
そして、誓いを果たし、レーシング・カヤックの選手になったとき、
僕は、現実と夢の狭間に追い落とされてしまった。
僕が最初に教えられたのは、カヌーを漕ぐ事ではなく、規律。
水上での競技における、守らなくてはならないマナー。
「船を跨ぐな」
そんな、前時代的な規律にさえ、生きる為の意志が潜む。
彼のエッセイに綴られる自由な流儀は、唾棄すべき悪癖。
乗艇中に酒を飲む。艇の修理をガムテープで済ます。
ライフジャケットなんか付けもしない。
その自由さに憧れを持たないはずはない。
だが、そういった無責任さが、人を裏切るときもある。
当人のみならず、他者を巻き込む事も、めずらしいことではない。
僕らはその怖さを知っている。
あまりにも狭いこの世界。
新聞で知らされる死者は、大抵は、誰かの知り合い。
間違わないで欲しい事が一つ。
野田知祐は、それ、を知っている。
彼も昔は、水上の競技者だったのだから。
彼が、すべてを知りつつ、それを否定したのだと言う事を、
そして、彼が、すべてを引き換えに、彼の自由を求めたのだという事を、
皆は、知らなくてはならない。
あれは既に人類じゃない。
人である為のことすべてを、あれは放棄した。
そこまで出来たからこそ、神々は、あれに道を開いたのだ。
あれが、何を知っていて、何を捨てたのか、
この問いに、瞬時に答える事の出来ない人間には、水上を馳せる資格はない。