「守貞漫稿」という文献には、そばについての記述がある。
江戸中期頃まで、蕎麦はせいろや皿に盛って客に出されていた。だから「もり」と呼ばれるのは想像の通り。
ではざるそばの起源はというと、深川の蕎麦屋にあるようだ。
深川須崎にあった「伊勢屋」では、せいろや皿に替えて竹ざるに盛るようになった。
どうやらこれが最初のようだ。
従って、初期の段階では「もり」も「ざる」も何ら違いが無かった。単なる盛る器の違いのみだった。
明治以降になり、「ざる」に「もみ海苔」をかけて出すようになったという。
これは蕎麦屋の商法であった。海苔を乗せることで料金が高くできたのだから。
そして、蕎麦つゆも変わることになる。
もり蕎麦のつゆよりも辛めの「ざる汁」を使うのが当時の決まりだったようだ。
今では、「ざる」と「もり」で蕎麦つゆを区別して出す店はほとんど無くなっている。
といっても、こだわりの店ではいまでも汁の味は違っているので、訪れた店では尋ねてみるのも面白いだろう。