蕎麦にはいろいろな味がある。全国を食べ歩くようになって、ようやく分かった事だ。
東京に暮らし、近所の蕎麦屋の味しか知らなかった私は、父親が行きたいと言った環状7号線沿いにある「田中屋」という店に車でいったことがある。近所の蕎麦屋の味とは違っていた。
しかし感動を味わうほどではなかったのは、私が旨いものに目覚めていない頃だったからかもしれない。
1982年頃、XS650に乗るようになって仲間と共に軽井沢に行った時のこと、中軽井沢の駅前にある「かぎもとや」に入った。そこの蕎麦はすごいコシがあって、私は初めて蕎麦に対して奥深いものを知った。それ以来、かぎもとやのファンとなった。今でも時々気が向くと日帰りでかぎもとやに行って旨い蕎麦を食べることがある。
旨い蕎麦とは、人によって違う。食べる年齢によっても違う。
かぎもとやの蕎麦を食べた仲間の一人は、「こういうのを旨いっていうのか?芯が残っているぞ」と言った。コシのある手打ちの旨さを「旨い」と感じず、口に合わなかったのだ。
「口に合わない事と、マズいという事を区別すること」
それは郡上八幡の蕎麦屋の店主が言った言葉だ。
だから私や周囲の人が旨いというものを、あなたが旨いと感じるかどうかは保証できない。
同じ感性と味覚を持つ人を探し、その人の言うことを信じて付いて行くこともいいだろう。
蕎麦は打ってすぐに食べないと、味も食感も落ちてしまう。
だから打ちたての手打ち蕎麦はコシがあって旨いのだ。
蕎麦粉の割合でももちろん味が変わる。
10割の蕎麦粉を使うと、茹でる際にボロボロになってしまう。
それを10割にこだわって打つ店もあるし、山芋や小麦粉をつなぎに入れて旨さを出す店もある。
つなぎが入っていても旨い店はあることを忘れてはならない。
旨いものを自ら探すことも、人生の上の醍醐味ではないだろうか。
私はこれからも旨い蕎麦を食べ歩いて、多くのHobby
Worldの仲間達に伝えていきたいと思っている。