ローライダーとの対話(4)   1999年11月29日更新
 1999年9月〜11月

1999年8月31日〜9月5日 「2回目のホッカイダー(道東中心)」
1999年10月9日〜11日  「バイブス・ミーティング in 青森」
1999年11月14日      「初冬の栃木路」
1999年11月22日〜23日 「山形 蕎麦通リング」


1999年8月31日〜9月5日「2回目のホッカイダー(道東中心)」

[主なスケジュール]
 31日 夜 お台場からフェリーで釧路へ
  1日 一日豪華フェリーの中で休息する
  2日 釧路港>釧路湿原>開陽台>知床半島>網走>サロマ湖(船長の家に宿泊)
  3日 サロマ湖>北見>屈斜路湖>オンネトー>上士幌(とほ宿 かぶとむしに宿泊)
  4日 上士幌>糠平温泉>三国峠>旭川>芦別>夕張>苫小牧東港>フェリーで新潟へ
  5日 新潟港>北陸道>関越道>我が家へ帰着

8月31日(火曜日)
仕事を定時にすませ、早々に帰宅する。
午後9時、すっかり暗い夜に車庫で眠る愛馬を起こす。
今回もよろしくと挨拶し、荷物を積んで出発。
こんな夜、どこにいくのだろうとローライダーは思っているようだ。
今日は日中34度まで上がり、今も26度はある。
蒸し暑いが、とにかく行かなければならない時間だ。
夜の銀座をローライダーで走るのは初めてだ。
このネオンの街ともお別れだが、気持ちはすでに道東にあるので淋しくはない。

レインボーブリッジを渡り、お台場のフェリーターミナルに到着。
よく遊びに来るお台場に、こんな大きな埠頭があることを知らなかった。
そこではサブリナが私と相棒を待っている。
手続きを済ませると間もなく乗船の案内が流れた。
愛馬のエンジンをかけ、船に向かう。

中は、苫小牧に行った7月とは違い、どんどん上へ行けと案内される。
停止すると、すぐに係員によって固定される。
じゃあな、相棒。しばらくここで北海道の走りでも夢見ながら眠るがいい。
荷物を持って船室に向かう。
ツーリストベッドと呼ばれる2等寝台は、かなり上質といった感じ。
船自体は1990年製で比較的新しく、バブル経済のなごりなのだろう、高級感もある。
どこも清潔で気持ちがいい。
あの苫小牧に行ったフェリーとは、世界が違うというのが実感だ。 満足である。

出港まで時間があるので、船内を探検する。
デッキに出て、出港準備の様子を眺める。
桟橋にはだれかを見送りにきた人が応援団のようにして叫んでいる。
こういう光景もいいものだ。

さあ、出港だ。

右側にはレインボーブリッジ、お台場のビル群、そのうちに横浜ベイブリッジ、横浜マリンタワーの灯かり。
左側には東京湾横断道路と海ほたる、その反対には横断道路の換気のための人工島。
船上からは、見慣れた景色が別にものに見える。
月明かりがあるのに、意外と星も多い。
出港後1時間、私は素敵な時間をデッキで過ごした。

船室に戻り見渡すと、ベッドは1/3も埋まっていない。
だから釧路便は無くなってしまうのだと、その時感じた。
今回が最初で最後の東京〜釧路便なのだ。 それが唯一悲しい。
こんなにいい船、もっと沢山のライダーに乗ってもらいたかった。

9月1日(水曜日)
船の位置を表示しているボードがフロント脇にある。
朝8時、まだ茨城県の日立市沖だ。
午前10時、デッキに出るととても暑い。
太平洋高気圧の圏内にいるので、きのうの東京と変わらない。
しかし船内は広く、そしてとても涼しい。空いていて快適だ。
乗客はみんなくつろいでいる。
長い船旅と思っていたが、結構リラックスして幸せそう見えるのは予想外だ。
海は蒼く、スクリューの残す水泡は水色となって残り、日常生活を忘れて、時がゆっくり流れている。
船旅とは、かくものんびりして、ゆるやかな時の流れを感じることができるものかと、改めて思う。
12時、レストランで食事をとる。
ここも広くてきれいだ。

午後3時、金華山沖を通過。陸地が見える。
風は涼しくなってきたが、日差しは相変わらず強い。
午後5時、岩手県大船渡の沖。
1か月前に来たあの暑い時を思い出す。 デッキの風はかなり涼しくなってきた。
この分だと、釧路は寒いかしれない。

9月2日(木曜日)
朝起きて外に出ると晴れている! 気温は涼しいといった程度。
下船準備をする。 全ての乗用車が出てからバイクが出る。
とてもすがしがしい釧路の第1日目だ。

釧路駅前にあるという和商市場へ向かう。
すでにバイクが数台停まっている。
何とFXSローライダーもその中にいた。
もう長くツーリングしているという感じが、車体の様子から分かる。
ショベルヘッドのエンジンが何ともイカス。
そのオーナーは3年前に購入したそうだ。
今回のツーリング中、バッテリー端子が根元から折れてエンストしたという。
端子がまっ平らになったことを想像して欲しい。
どうやってケーブルを繋いだらいいのだろう。
その時、GSでドリルを借用し、端子に穴を空けて繋いだというから、本当にラッキーだと思う。
またいつかこのFXSと一緒に走ることを誓って店先で別れる。

和商市場に入ると、朝からその活気に驚く。
中を一回りし、目星をつけてからドンブリご飯を買う。
今回のトッピングは、いくらとウニにした。
ウニはまるでクリームのようで、今まで食べていたものは何だったんだろうと云いたくなる。
またこれを食べに来たい。

市場を出てから釧路湿原へ。
細岡展望台からのお馴染みとなった景色を実際に目でみることとなった。
雄大でかつ繊細なその眺めに、しばし心を奪われる。
ああ、道東に来たんだな...と感じる瞬間である。

国道391を標茶(しべちゃ)まで、道道13,885を経由して、開陽台への最短ルートをとる。
マップルを見ても分かるが、15km以上の直線道路だ。 養老牛虹別線はおすすめの道である。

愛馬は、前回と同様に、まるで故郷に帰ったような走りだ。
ローライダーが生き生きとしていることが伝わってくる。
きっと「ヤッホイ〜」とエンジンやミッションが叫んでいるのだろう。
開陽台はホッカイダーの聖地ということで有名で、展望台の裏には多くのライダーがキャンプを張っていた。
地球が○く見える場所というキャッチがウソではなく、ここではぐるり330度の地平線を見ることができる。
きっと夜の星空はプラネタリウムと同じなんだろう。

さていよいよオホーツク海だ。
海岸沿いの国道335を羅臼(らうす)方向へ左折。
目の前に広がるオホーツクには、あの国後島が...
ここまで間近に北方領土を見てしまうと、そこがロシアであることが何とも不自然と云わざるを得ない。
どうしてそれがロシアなんだろう。
「国後島を返せ」と思わず叫んでしまった。
終戦間際のソビエト連邦参戦によって取られてしまったことが、まだこうして日本に影響を与えていた。
アメリカ生まれのローライダーも、ここでは日本の見方になって、「ドド〜ン」と鳴き叫んでいた。

国道335を北上するにつれて知床半島より大きな国後島がどんどん大きく見えてくる。
ハッチャス崎あたりの山肌が生々しく見える。
羅臼で給油し、知床横断道路に入る。
しかし残念なことに雲が厚くなってくる。
期待していた場所の1つなので残念である。

これは雨になるかな...そう思っていた次の瞬間、降り出した。
スピードダウンし、スリップしないように気をつけながら停車し、急いでレインウェアを着る。
羅臼岳が目前に見えるはずの知床峠は、完全に雲の中になってしまった。
道路はすごい濃霧だ。 幸い前方を走る車も、後続車もいないので、スローペースで峠を通過する。
景色を見ることができなくてガッカリである。
でも、次回の楽しみが増えたと思うことにすると、あら不思議、気分がよくなったではないか。

ウトロ側に降りると雨はすっかり上がり、曇っている。
レインウェアを脱いでしばし走り、オシンコシンの滝までたどり着く。
観光バスも立ち寄るその場所は、双美の滝とも呼ばれている。
天気は完全に回復し、太陽の光が戻ってきた。
斜里、原生花園など、北海道らしい地名をいくつか通過する。
網走監獄博物館には16:30頃到着となったため、見学する時間が無くなってしまった。
記念写真だけ撮影する。

フー、太陽が結構暑い。
信号待ちで停止すると、エンジンの熱気が上がってくる。
そうか、おまえも暑いんだな...

さあ、なんといっても今日のメインは「船長の家」のカニ料理なのだから、それに間に合うことが大切だ。
相棒よ、もうひとっ走り頼むぞ。
そして17:40、サロマ湖畔に到着。

部屋に行くと先客がいる。
同室の2人と話をすると、FXDXに乗る村山さんということを知った。
なんとローライダーズのホームページも見ているということで驚く。
話が合って和気藹々となり、期待の夕食となる。

テーブルには毛ガニが一杯、タラバガニの足、ズワイガニのカニしゃぶ、かに飯、焼きタラバ、毛ガニ汁、etc...
本当にカニづくしの夕食だ。
同室の2人としばしのバイク談義で夜は更けていった。

    本日の走行 349km (オドメーター8201km)

9月3日(金曜日)
北海道2日目。
朝起きると、窓の外は快晴! 今日も暑そうだ。
朝食後、支度をして同室の2人に見送られながら午前9時に出発。
北海道で一番大きなサロマ湖を回る。
何と道路沿いに走って35kmもある。
途中にある計呂地(けろち)のSL公園で、お決まりの記念写真。
国道242で南へ向かい、333経由で道道103。 ここが良かった。
空いていて気持ちよく走り、るべしべへ。

国道39(北見国道)を使ってJR北見駅に12時に着く。
どこを走っても、このあたりでは「北見」という名前が主役だ。
お目当ては北見駅で売っているホタテ弁当。
あと15分でアツアツが到着するというので前金を払って待つ。
弁当が到着すると、売店のおばさんが「北見さん」と呼んで持ってきてくれた。
この地で名前を呼ばれると恥ずかしい気がした。
甘く感じるホタテが実に旨かった。
北見でも気温は30度近くなっているようだ。

ここから道道122、国道243(美幌国道)で美幌峠へ。
山々が奇麗で写真を何枚か撮る。
だが、マップルを見て思い出した。 ここからは屈斜路湖が見えるはずだ。
向こうにある丘の上に人がいる。
登ってみるとそこには壮大な屈斜路湖が、中島とともに眼下に広がっていた。
ウワー....と云いたくなるような凄まじい光景に驚く。
何も云えなくなる。

出発しようとすると、どこかで見た原付が来た。
そういえば釧路までのフェリーで一緒だった中野ナンバーの原付のスクーターではないか。
話し掛けて記念写真を撮る。
別れを告げて屈斜路湖へ降りてみた。

Takaさんの隠したお宝を探してみたが、どうしても見つからない。
20分ほど探し、諦める。
今度は屈斜路湖にキャンプを張って、見つかるまで探すぞと誓う。
峠から見たときは迫力を感じたのに、湖畔から見るその湖はとても静かなイメージだ。

摩周湖もカットして国道241(阿寒横断道路)を西へ。
足寄峠の先にあるオンネトーへ左折する。
見る時間によって色が変わるというオンネトー湖はその時緑色をしていた。
この先の道はダートというので、来た道を国道まで引き返す。
すると道路に茶色いものが... そうキタキツネだ。二匹いる。
道路を行き来しているところを見かけた。
寄生虫エキノコックスが恐いので、そばには寄らないでただ見ていた。

そろそろ日が陰ってくる。 気温が下がり始める。
上士幌のとほ宿「かぶとむし」に着いたには午後6時前だった。
夕食後に車で幌加(ほろか)温泉へいく。片道30km。 道の両側は森、森、森。
いかにも何か出てきそうな場所にあるその温泉は、学校の校舎のような作り。
一番億に奥にある室内風呂には3種類の室内温泉、そして別の泉質の露天風呂がある。
露天風呂は真っ暗で、どこにお湯があるのか、目が慣れるまで見えない。
ぬるめのお湯なので、長く浸かっていると、何と空には天の川がはっきり見えることに気づく。
凄い。ただただ凄い。
生まれて何度目だろう、天の川を見たのは。

宿から幌加温泉までの行き帰り、道路にエゾしかが出てきた。
とても大きかった。
やはり、この森には北海道の動物達が住んでいた。
というより、動物が住んでいる場所に人間が道路を作ったのだから、出てきて当然なのだ。
宿に戻ってから、オーナーが好きな、なぞなぞのようなクイズを全て答え、満足して眠る。

    本日の走行357km (オドメーター8558km)

9月4日(土曜日)
北海道3日目。
今朝も快晴。全く問題なし。
かぶとむしの皆さんに見送られて午前9時に出発。
国道273(糠平国道)を北上、青空とうまい空気で気分良く走行する。
高度が上がるに連れて見える景色が変わってくる。
途中、何度か停車して写真を撮る。
きっといい写真集ができそうな予感がする。

三国峠に到着。 おじさんが寄ってくる。
「すごいね、いくら?」といつものような会話。
でもその後が違う。
「オレね、イギリス製のトラクター使っているけど、国産と違って長持ちするよね」と云う。
いいものは高いけど、長く使えるから結局はいいんだと。
おじさん元気でねと告げて先へ進む。

銀河の滝、流星の滝と呼ばれる滝を見学。
層雲峡を通って北上へ。
北の森ガーデンでアイスパビリオンに入る。
マイナス41度を体感したが、かなりショック。
ツーリング中は暑かったのに、一瞬で手がかじかむ。
長く居られないと感じる衝撃の寒さだ。
外に出てじゃがバタを食べる。

旭川市内をバイパスして道道4号へ。
前回も来たカムイスキーリンクスの横を通る。
直径100mのパラレルができる、あのバーンが見える。
懐かしい、だた懐かしい。
今度の冬はまたこのスキー場を滑りたいものだ。
残念ながらローライダーでは来れないが。

芦別からの国道452もお勧めだ。
ハイペースで時間を稼げるので、道央自動車道より楽しいことは間違いない。
三段の滝に14時に着。いいペースだ。
桂沢温泉から夕張川沿いを更に南下する。
カナディアンロッキーを走った時に見たような川と山のバランスがとてもいい。
シュウバロ湖あたりに夕張のゴーストタウンがあるということだが、分からないので通過してしまった。

幸福の黄色いハンカチ 思い出ひろばに行く。
映画のセットがそのまま保存されている。
分かっていても、その黄色いハンカチを自分の目で見るとグッと来るものがある。
帰ったらレンタルビデオで、またあの映画を見てみたい。
もう夕方も近い。

今回のツーリングで最後の訪問先は、坂本 九思い出記念館だ。
16時過ぎに入り、しばらく九ちゃんのことを思い出す。
日航機墜落の2週間前にも、九ちゃんはこの栗山町来ていたそうだ。
あの便にさて乗っていなければ...と今更ながら考えてしまう。

さあ、いよいよ帰る時が来た。
由仁町から国道234(早来国道)で苫小牧を目指す。
途中、まだ無料の日高自動車道で厚真へ行き、苫小牧東港へ着いたのが18時。
桟橋ではニューしらゆりが待っている。

乗船して出港風景を見る。
いつもながら、出港はいいものだ。
今度はいつ北海道に来られるのか楽しみでならない。
満足して苫小牧を離れ、新日本海フェリーで新潟へ向かう。

    本日の走行 363km (オドメーター8921km)

9月5日(日曜日)
朝8:30 秋田港に途中寄港。
テレビの天気図でも、今日は関東、東北、北海道は全て良好な天気ということが分かり、嬉しくなる。
今日も走っているホッカイダー達も、きっと幸せだろう。

新潟からは、皮ジャンをやめてメッシュジャケットだ。
暑い夏の最後を走ることにしよう。
15時過ぎ、新潟港に着岸。
愛馬に荷物を登載し、出発。
この新潟港から高速までの道は分かりにくく、苦労した。
しかし高速は驚くほど空いている。
日曜日だというのにどうしたことだろう。
メッシュジャケットが丁度いい。

関越トンネルを抜けると、そこは涼しいことにビックリする。
さっきまで30度近かったが、ここは23度しかない。
しかし沼田を越えるとまた暑さが戻ってきた。
渋滞もなく夜8時には我が家に戻る。
とてもいい旅だったことを、戻ってからも強く感じる。
出会った多くの人たちと、また会えるかなと思いながら、いつのまにか私は夢の中で北海道を走っていた。

    本日の走行 316km (オドメーター 9237km)


1999年10月9−11日 「バイブス・ミーティング in 青森」

1999年10月9日(土曜日)

待望のバイブス・ミーティングの当日となった。

何度も書くことだが、昨年の今頃...
ツインカム88エンジンが発表されたのを切っ掛けに、それまで夢でしかなかったハーレーの購入を検討し始めた。

そして数件の見積もりと、経済的な面を何度も何度も考えて、夢は現実なることとなった。
正直いって、今でもハーレーのオーナーであることを信じられない気がする。
もう10000km以上も入っているのにである。
私にとって、それほどハーレーは憧れの存在であり、またかけがいの無いような気がする存在なのである。
XS650SPに乗っていた、あの10年以上前を思い出すと、ハーレーは「きっと一生買えない」と思ったものだった。

以前から、ハーレーで北海道や東北に行くことなんて、想像もしていなかった。
まして、バイブス・ミーティングで青森に行こうなんて、1年前には考えていなかったのである。
それが、今はそのバイブスに行くことにワクワクしている自分がここにいる。

理由は分かっている。
インターネットで知り合った、いい仲間がいることだ。
ネット仲間の存在によって、私は考えてもいなかった世界があることを知った。
その世界は無法者の世界かと思っていた。
そう、ハーレー乗りはアウトロー、つまり「自分がよければそれでいい」という、世間知らずのやつらが乗ることが多い乗り物であると感じていたのだ。

でも現に今は私があの「ローライダー」に乗っているではないか。
そして、いい仲間、それは社会的に責任を持ったいい社会人でもある。

こうして、ハーレーを取り巻く素敵な世界に、必然的に引き込まれていったのだ。
それは嬉しい事実であり、またこれからも多くのハーレー好きに参加して欲しい世界であると言える。

バイブスはそこまで来ている。
さあ、出発の時が来た。 午前3時30分。
こんな早朝に、まるでゴルフ親父のように元気に出発する。
朝ではなく、まだ深夜といったほいうがいい時間である。

東京外環道路から東北自動車道に入る。
おどろいたことに、明け方の気温上昇に伴って、霧が立ち込めている。
フォグランプが必要なほどの中を、愛馬は走る。
トラックが多い。
鉄の馬は、大型馬車の中を駆け抜けるサラブレッドのように抜けていった。
そこには、自分の世界に入ってしまっている私と愛馬がいた。

明け方だ。
右から太陽が昇ってくる。
眩しい光がローライダ−の赤いタンクに降り注ぐ。
その輝く赤に、しばし見惚れる。

パーキングエリアでショートブレーク。
明け方は寒い。
冬用のグローブを忘れたことを後悔する。
暖を取り愛馬に戻ると、まわりハーレーばかりであること気づく。
なんとパンヘッドがいるではないか。

話し掛けると、やはりバイブスに行くという。
写真を撮られてもらうと、跨ってもいいと云われた。
記念に撮影してもらう。
味のあるパンヘッドに比べ、TC88は性能で勝負しかない。
あと20年もすれば、TC88も... いや、そんなことはどうでも良かった。
今は愛馬と過ごす休日が楽しくて仕方ないのだから。

白石ICで高速を降りる。
ここからは一般道で青森まで行くつもりだった。
しかし国道4号は空いていない。
途中、一緒になった国産バイクのライダーが信号待ちで話し掛けてくる。
信号の度に話しをしていると、その先の道の駅に一緒入ってきた。
ここから先も道路が工事や1車線の関係で、混雑するという。
残念だが、東北道に戻るしかないようだ。
道先案内をしてもらい、古川ICから高速に。
ガイドありがとう。

結局、そのまま浪岡ICまで東北道になってしまった。
一般道に降りて、バイブスに乗っていた地図頼りに素直に走る。
立ち寄ったコンビニで水と明日の朝のパンを買う。
外にはビンテージ・ハーレーが一台。
聞くと1941年製だそうだ。
考えられない年式に、頭の中がついていけなくなる。
ちょうど第二次世界大戦が始まった年ではないか。

そこから会場まで、遠くはなかった。
それは突然現れた。
田舎道を走っていて、どこに数千台のハーレーが集まる会場があるのか、不思議だった。
しかし、発電機で光る照明灯は、そこが会場であることを私に疑わせなかった。
周りでは既に到着しているライダー達が、仲間達を見ている。
別段派手なカスタムをしている訳ではないのに、何か誇らしような気がした。

ソフテイルの組長さんなどが到着していて、無事合流できた。
テントを張り、ほっとしたところで日本海側からのメンバーが到着。
楽しい夜の始まりとなった。
カルビーを炭焼きをするなどとは、思ってもいなかったので、嬉しい誤算の夕食だ。

不動車のショベル・ローライダーを自力で生き返らせたTOOL BOXさんに初めて会う。
親しみやすいその人柄を感じた。
これは仕事柄なのだろうか、それとも人柄がその仕事を呼びよせたのだろうか。

Youさんは途中で合って一緒に走ってきたというソフテイル乗りの香(かおり)ちゃんをつれていた。
長距離ということが何か関係しているのか、いろいろな偶然や必然が起こることを感じた。

中心には直火のキャンプファイアー。
直火が禁止されることが多い最近、この火は私たちを心まで暖かくしてくれた。
かくも直火とは我々を別世界に連れていってしまうものなのか...
持参した日本酒、菊水の辛口が旨かった。

    本日の走行735.8km (オドメーター10429km)

1999年10月10日(日曜日)
朝、何なのだ、この寒さは?
足の冷たさに我慢できなくて目が覚めた。
多分午前5時頃だろうか。
シュラフの中で丸まって眠る。

日の出とともに暖かくなる。
みんなが三々五々起きてくる。
パーコレータでコーヒーを入れてくれたので飲む。
キャンプでは、このパーコレーターが何とも似合う。
多分、昔見た西部劇で、こうしてコーヒーを飲んでいるのを見たからだろう。
あれはローハイドか何かだろう。
カウボーイハットで愛馬に乗れたら面白いのに。

みんなが起きてから出発の準備をする。
何人かはこのまま去ってしまうという。
我々はもう1泊するので、軽装で出掛ける。
全員集合。

そこで声を掛けられる。
ネット上で書き込みのあったyosさんだった。
ハーレーの知り合いと一緒来られたそうだ。
時間になったので、簡単な挨拶だけをして、すぐに出発する。

昨日来た道を戻り、八甲田山へ。
そこは酸ケ湯温泉。
味わいのある古そうな建物。
まるで木造の体育館にようなそこは、天井もいい感じの木造り。
浴槽は混浴で、中央に見えない線があり、右側は女性、左が男性用だ。
湯煙の向こうに、年老いた女。
長い間、お疲れ様...
古びた温泉らしくて、私は好きだ。

昼食に食べた蕎麦の味は残念ながらハズレてしまったが、蕎麦屋の中に入り、日本一旨い水とうたっている地下水を飲んでいて、 その雰囲気にはなにか満足するものがあった。
これもまた、旅なのだ。
ここで何人かとはお別れした。今日八幡平へ行くという。
そういえば夏に東北を走ったときにも八幡平は勧められた場所であったが、未だ縁が無い。
来年には必ず来てみたいものだ。

バイブス戻り組はそのまま帰路につく。
途中、食材買い出し班と戻り班に分かれる。
現地では、4時30分まで行われていたパレードから帰ってきたハーレー達が続々と戻ってきている。
すごい迫力だ。
参加できなかったことを大変残念に感じた。
TOOL BOXさんからパレードの状況を聞き、それが如何に楽しいものだったのか伝わってきた。
来年もバイブスに参加できたら、必ずパレードに出てみたい。

2日目の夜もまた楽しいものになった。
新しいメンバーも参加し、それがローライダー乗りの寒月さんと同じ会社であることを聞いたりすると、世界の狭さを感じる。
今日は雲が掛かっているようで、気温は下がらない。
沢山出展されているショップを見に行く。
KIN’s CAMPのKINさんに挨拶をする。
いつものように、仲間を感じさせてくれるので嬉しい。
LOW RIDERSのプレートを作成してくれるショップを見つけ、作成依頼。
今度からは目印にこれを出すようにしよう。
楽しい2日目の夜が更けていった。

    本日の走行173km (オドメーター10602km)

1999年10月11日(月曜日)
朝6時に起きる。
ワー!みんな寝坊だ。
今日は5時30分に出発のはずだった。
あわてて撤収し、出発の準備をする。
みんな手慣れているようで、テントをたたむとすぐに準備が整った。
6時30分にバイブス会場を去る。
どうもありがとう。
今日は10時30分に仙台でDDTさんと待ち合わせだ。

東北道まで向かう間に、わずかに雨が降る。
カッパを着ようかどうか迷っている間に止んでしまった。
早朝の青森を走っていると、素朴な土地柄を感じ、またどうしても来たくなる。
不思議な場所である。

インターから高速に入ると、みんな何かあったのだろうかという勢いで仙台へ飛んでいった。
空いていてとても快適な道中。
なるほど高速とはよく言った物だと感心した。

仙台にはもちろん約束した時間に到着できるわけもなく、遅刻してしまったがDDTさんには無事会うことができた。
ここからはDDTさんの案内で作並温泉へ。
我々には合わない豪華温泉ホテルにある露天風呂に向かう。
長い階段を降りていくと、そこには男女別の脱衣所。
そこになぜかハチが!
走行中に刺された人がいたが、ハチの集団だったようで、シャツに付いてきたハチが脱衣所で刺したのだった。
これは本当に怖かった。

さて、そこには隠れ家のような露天風呂が。
なかなかいいではないか。
しばらくくつろぐが腹も減ってきた。

着替えて外にでると、すごく暑い。
ここは10月の仙台。
なぜ暑いのか?

さて、DDTさんに案内されて牛タンツアーだ。
仙台市内を暫く...暫く...暫く...
いったいいつ着くのだ!と思うほど、結構走った。
そして到着。
「伊達の牛タン」は旨そうだった。

定食を注文し、旨い牛タンを6枚と麦とろごはんを3杯も食べた。
満足な食事であった。
仙台の牛タンがこんなに旨いことを知らなかった。

もう夕方になってきた。
ガソリンを入れるためにスタンドに入ったそのとき、目の前で自転車を巻き込む乗車の事故。
たしか3月の房総ツーリングでの夕方にも事故を見たことを思い出した。
自分自身の無事故を祈って出発する。

夜になった東北道をひたすら南下する。
途中数回の休憩でみんなと走るが、混雑するに従って離れてしまう。
那須付近での休憩を最後にお別れする。
高速での帰路は、特に今日のような長距離は、とても疲れる。
無事我が家に到着し、愛馬を車庫に入れると、もう相棒は眠っていた。
よほど疲れたのだろう。
3日間どうもありがとう。

    本日の走行803km (オドメーター11405km)

1999年11月14日(日曜日)
「初冬の栃木路」

暖かい朝、たぶん暖かいのは今日までだろうと予報で言っている。
この週末は本当に暖かかった。
午前中にオイルの量や空気圧などの整備を行い、昼前に出発して北に向かった。
目的地は走りながら考え、好きな国道122号で栃木を目指すことにした。

快適な国道、町並みを見ながらのんびりと走るソロツーリング。
ローライダーの振動が私を満足させる。
革ジャンを着る背中に当たる日差しが、私の背中を暖かくしてくれる。
小春日和の一日を楽しめることが、今は幸せであると感じる。

佐野市で遅い昼食を食べる。
市内を走って佐野ラーメンの店を探す。
来るたびに違う店で食べて比較しているのだ。
こうして、佐野に度々来ることを不思議に感じてしまう。
もう何回目になるだろう。

さあ、来週はすこし長距離を走るか。
そう決めて今日は帰路に着く。
国道17号に向かうと、熊谷の文字が眼に入る。
熊谷バイパス経由で大宮方面に。
夕日に愛馬の赤いタンクが冴える。

北本近辺からはあいにく渋滞で、クラッチを握る手が辛くなる。
元来運動が苦手な私は、渋滞時の半クラッチが続くことが辛い。
まあ、楽しかった今日を、楽しいまま終わるために、あまり考えないようにしよう。
直に地元路になり、18時過ぎには帰宅。
来週からはぐっと冷え込みようだ。
冬用に買ったフリースを着るのが楽しみだ。

     本日の走行 188km (オドメーター 12284km)

1999年11月22日(月曜日) 「山形 蕎麦通リング」

今日は平日である。
蕎麦好きの参加者は、平日に休暇を取ってでも蕎麦を食べにいくのである。
今回の目的地は山形県。
残念なことに、宿や座席数のとても少ない蕎麦屋に行くというプランのため、参加者が5〜6名程度と限定されてしまった。

朝3時に起床する。
昨夜はとても興奮したために、あまり寝れていない。
その割に元気なのはなぜだろうか?
4時、車庫のローライダーを起こして引っ張り出す。
タンクの赤色がまだ眠っているようだ。

昨夜のうちに積載完了している荷物で、車重が結構重く感じられる。
防寒対策にかなりの投資をしたので、寒さは大丈夫であると思うが、一抹の不安は残る。
沢山着込んでいるせいか、自宅前から通りまで押していく間に汗をかく。
ヘルメットを被り、セル1発で始動。

暖気している間が実にじれったい。
早く走りたいというこの馳せる気持ちを押さえることができない。
TC88ファットヘッドが暖まり始め、ローギヤに入れる。
ガチャン。
スロットを回して発進する。
暖気がこんなに長く感じられたのは初めてかもしれない。

最寄りのガソリンスタンドで給油。
早朝だからか、スタンドのおじさんは機嫌が良くない。
私がこんなにいい気分なので悔しいのだろうか?と可哀相になってくる。

東京外環道路を経由して東北道に入る。
空いているこの道は、天気のいいせいなのであろう、空気がとても冷たい。
午前5時30分に栃木県の佐野サービスエリア集合なので、時間を考えながら時速80km程度で流す。
この速度だと寒さも気にならない。

今回のために、ペア・スロープのフリースとグローブを用意した。
ネット仲間で実績があるそのフリースは、厳しい寒さから私を閉ざしてくれた。
スリーシーズン用のグローブから、真冬用のグローブに変えたことも、スロットを握る感覚を違ったものにした。
私は寒さの中で、いい道具はいい相棒になることをふと感じた。
末永く付き合っていけそうな道具達だ。
愛馬とも仲良くやって欲しいものだ。

午前5時15分、佐野サービスエリア到着。
まだだれも居ない。
レストハウスに入り、佐野ラーメンを食す。
今回最初のそばになった。

5時30分、駐車場でくるまさんに会う。
チャットで見た「くるま@アトランタ」の文字が妙に懐かしく感じられる。
向こうで購入したというロードキング・クラシック・インジェクションが堂々としていた。

その後、狼金さん、Hittonさん、笑平さんが来る。
このメンバーで走るのも5月以来で懐かしい。
ここで給油して北へ向かった。

道路上に表示されている温度計は、どこも3℃、2℃そして1℃と、低い値を示している。
その割には寒さが伝わりにくいのは、やはりこの装備のお陰だと思う。
午前8時前、安達太良サービスエリアで、新潟のタートルさんと合流。
これで今日のメンバー全員が揃った。

日の出とともに気温は上昇してくる。
空いている道路と仲間との走行に、気分が浮ついてきた。

東北道から離れ、山形道に入る。
8月にソロで東北RUNしたときは走らなかったので、今回初めてのコースだ。
山形北インターで降りて一般道を走る。
くるまさんが昔住んでいたという山形のために、私は地図を一切見ること無く安心して景色を楽しむことができる。
いいものだ。

最初の蕎麦屋、「きよそば」は大石田という場所にある。
大石田は、「おいしいだ」と聞こえて可笑しくなった。
そこはもともと、地元人のために蕎麦を打っていた「きよさんの家」だった。
評判が上がり、蕎麦屋をするようになったそうだ。
なんでも地元では市長さんより有名であるという。

「板そば」というものを初めて食した。
ざるの代わりに板で作った入れ物に盛ったものだ。
つるつるした喉越しのいい蕎麦である。
そして、自家製の漬物もまたいける。
地元だったら、ちょくちょく来たい店である。
この店の「鳥そば」は、暖かい汁そばで、いい味を出していた。
これも捨て難い。

今日の昼食はこれだけではなかった。
次に同じく大石田にある次年子という場所の「七兵衛」という店にはしごした。
でも正直言って、私は結構お腹がいっぱいであった。
ここも自宅を開放したという感じの店。
別段特に狭いわけではないのだが、大人数のお客のために、ぎゅうぎゅうとなっている。

なんとここは「1000円で食べ放題」だった。
器に入ってくる「もりそば」を何杯でも食べることができる様子を、不思議な感じで見ていた。
この店では「大根汁」で食べるのだ。これは初めてだ。
店で働く人達は、村の人々が共同で切り盛りしているそうだ。

私たちのグループの番になる。
二杯が限界だったが、なんだかもっと食べても良かったかも。
また来ることにしよう。
その時は四杯かな。

さて、食休みに素敵なログハウスに行った。
村山市にある「ファーム・ひつじや」というその場所は、ひつじを飼っているのでその名がついた。
コーヒーと手作りケーキで一休みする。
ログハウスも5年掛けて手作りしたというから、また驚きである。
素敵なオーナーとログハウスに囲まれて幸せな気分になる。

ここから今日の宿である銀山温泉に向かう。
昔ながらの湯治客のいる温泉街で、14件の宿が狭い場所に立ち並んでいた。
いい雰囲気じゃないか。
  「滝見館」
その宿は街の一番奥にあった。

浴衣に着替え、無料の外湯に向かった。
げたを鳴らして歩くなんて、久し振りで、まして温泉街をそうやって歩くことはあまり記憶になかった。
いかにも地元の人や湯治客が来るという感じの外湯に、時の流れを感じた。

この宿のご主人が自ら打つ蕎麦が夕食に出てきた。
「蕎麦の風味がしっかりしていて、実にうまい」
そういう印象だ。

そこらの蕎麦屋はかなわない味わいに、ご主人のこだわりを強く感じた。
宿泊客以外には、限定で50食をランチタイムに出しているそうだ。
でも早い時間に無くなってしまうようだが。

この夜は旨いお酒と旨い料理で旅を満喫した。

       本日の走行 478Km  (オドメータ 12762Km)


1999年11月23日(火曜日)

今日も快晴。
なんとついている旅なのだろう。
旨い朝メシを食べて、満足する。
8時過ぎに、がくさんが茨城からやってきて宿で合流した。
がくさんは日帰りでの参加だ。

今日は7人となって、山形の田舎道を快適に流す。
  「肘折(ひじおり)温泉」に到着。
ここも昔ながらの湯治客相手の温泉街だ。
道路の両側に迫る宿が、いい雰囲気を醸し出していた。
こういう場所では漬物を買いたくなる。
日光や箱根の温泉しか知らない人には、かえって新鮮に写るもののようだ。
  「探していた街」という気がする。

昼食に向かう。
村山市にある「あらきそば」だ。
築180年の茅葺き農家を利用した店構えに驚く。
10割蕎麦で、かなり歯ごたえがあると聞いていた。
すこし待って店の中案内される。

中は薄暗く、期待感が高まるのを覚えた。
どんな蕎麦を供してくれるのだろうか。
また来たいと思わせてくれるのだろうか。

蕎麦前に、にしんが出てきた。
これがまた格別だ。
にしんがこんなに旨いことを知り、今まで食べたにしんは何だったのだろうかと思う。
お土産に買っていけばよかった。

「うすもり」と呼ばれる蕎麦を注文した。
これまた板そばなのだ。
山形はなぜみんな板そばなのだろうか。
これは最後まで分からなかった。
お代わりをして満足したあらきそばだった。

これなら、毎年山形に来て違った蕎麦を食すのも悪くないかもしれない。
信州とは違った蕎麦との出会いに興奮したことは、言うまでもない。

夕方になり、山形北インターから帰路に着く。
満足いく山形蕎麦通リングであった。

     本日の走行 521Km (オドメーター13283Km)