ローライダーとの対話(2)
 1999年4月〜5月

1999年4月 4日(日)  「1000Km」
1999年4月17日(土)−18日(日) 「カナディアン・ロッキー」
1999年4月25日(日)「ジャケットの贈り物」
1999年5月 2日(日)−4日(火) 「第1回 蕎麦通リング」
1999年5月22日(土) 「夢の名残り」
1999年5月30日(日)「ワン・ツッ・ツー」


1999年4月 4日(日) 「1000Km」

今日は初回点検だ。
朝起きると、ハーレーの夢を見ていたことが分かった。ワクワクしている。
点検が終わるといよいよ本格的なツーリングの始まりだからだ。

10時のショップ開店に到着を目指して出発の準備をする。
ローライダーに乗る時は、近くを流す時でも遠出をする時と同じような期待感を感じる。
今日も乗ることができるだけで楽しい。

出発すると、周りは一面「さくら」が溢れていた。
そう、今日は東京地方のさくらが満開の日なのだ。
どこを走っても「さくら」が目に入ってくる。
心がうきうきする季節の到来したのだ。

だんだん走りなれてきた「外環」の側道を使ってショップに向かう。
荒川の上を走ると、先月走った時のことを思い出す。
あの強風の中を走った時のことだ。
あまりの強さに、転倒するのではないかと恐怖を感じたことを。
今日は穏やかな風が吹いている。
何もかもが「春」であることを歌っていた。

ショップに10時丁度に到着し、コーヒーを飲みながら店内でパーツを眺める。
どれを付けようか、ローライダーにはどれが似合うだろうか。
それだけで楽しいのがハーレーなのだ。

整備の終わる時間に迎えに行ったローライダーは、ネクタイをしてお澄まししているように見えた。
大人の仲間入りをしたような我がローライダーは、私を待っていた。
セルを回してエンジンに火を灯すと、愛着の沸いてきた車体は私を招いていた。

  「今日からはすこしエンジンを回すようにしてください」
メカニックからそう言われたが、さっきまで慣らし運転の延長でゆっくり走らせていたのに、急にいわれても...
すっかり夜になった道を、高回転ぎみに走らせた。
信号待ちで止まった時に、積算計は「1000Km」を指していた。
大台にのった我がローライダーは、1000Kmの走りが誇らしげに見えた。
さて来週はどこにいこうか?


1999年4月17日(土)−18日(日) 「カナディアン・ロッキー」

今回は、ローライダーのオーナーとなって、初めての宿泊ツーリングだ。
仲間はJR+Hという名前のグループ。
Joyful Riding and HAMの頭文字からきている。
つまり、バイク・ライディングとアマチュア無線の両方を趣味にしている人で、ツーリング走行中に無線で連絡したり
会話を楽しむという、面白い仲間なのだ。

土曜日の朝、通りまでローライダーを押していき始動する。
学生が横目で見ながら通学していく。
そう、ハーレーは中学生や高校生にはできない、おとなの遊び。
十分に暖気ができたところで出発する。
今日の目的地は長野県蓼科(たてしな)高原,集合場所は中央高速の談合坂SA。

道路はきわめて順調。天気といい気温といい、全てが満足。
一泊ということもあって、今日は余裕のある走りとなるだろう。
八王子までの下道は、これまで走りなれた道。気分にまかせて、曲がったことのない交差点を曲がったりして楽しむ。
一人で走るということは、こういう楽しみ方があるということ。
グループ走行ではできない「気分次第」というのも、面白いものだ。

談合坂には予定の20分前に到着。
みんなが集まる経緯が無線をモニターしているだけで分かる。
みんながいう。
 「ツーリングに無線は手離せないね」
私も同感だ。
なぜハーレー乗りがこれほど無線に興味が無いのか、私には理解できない...と感じる。
やはり、ローライダーズの仲間には無線の便利さを分かってもらうために、ホームページで紹介しようと思う。

高速を西に向かうと、V字の地形を走る我がローライダーに気づく。
そうだ、このあたりは氷河の跡に見られるV字をしている。その向こうには雪の残る南アルプスの山。
ここは何度も訪れたことのある「カナディアン・ロッキー」のように見えた。
そう思えるのは、きっとローライダーに乗っているからだろう。

大月インターで国道に出る。
空いている。本当に順調な走りだ。
高速から一般道に下りると感じることは、「自然を感じながら走る」ということ。
目の前にに広大な農地が広がる。
山々の木々が美しい。
都会では終わってしまった桜も、このあたりでは満開だったりする。

 「ハーレーに乗って良かった」

韮崎まで走り、甲州名物のほうとうを食べる。
私は旅行するとき、その土地の名物を探して食べるのが好きだ。
多少の値段の高さは、そのあとの思い出の大きさが十分に埋めてくれると思っている。
ここでさらに3名のバイカーと合流する。

ここから小渕沢方面に向かう。
サントリーのウィスキーで有名になった「白州」を通過する。
ここにあるサントリーのウィスキー蒸留所の見学コースは、私の好きな場所。
ウィスキーが好きになったのは、ここに来たからかもしれない。
今回は立ち寄れなかったが、近いうちに来てみよう。

今日は走行していると、空気がぬるいと感じる。
本格的な春が到来したことを、このぬるい空気が私に教えてくれた。
冷たい風が無くなり、代わりに南風が入ってくる季節の変わり目を、私は大好きだ。

茅野市から国道299号、ビーナスラインを経由して蓼科温泉、小斉の湯に到着。
今日は思ったほど走行距離が無かったことが、ちょっと残念だった。

18日、日曜日。
朝から空はどんよりしている。
雨になることは、避けられないことを全員覚悟している。
朝食後、9時に出発する。
蓼科から国道299号で佐久に抜ける予定。
この299号は、通称「メルヘン街道」と呼ばれている。
別荘地を抜けると、残念なことにこのメルヘン街道は冬季閉鎖されていた。
4月20日までの閉鎖と聞いて、あと2日じゃないか...と本当に残念な気持ちだった。

あきらめて白樺湖まで向かう。
休憩していると雨がポツポツと降り始める。
全員レインウェアを着て下仁田を目指す。
ここはネギとコンニャクが名物であるが、雨ということもあって早く帰ることに専念する。

上信越道に入り、関越高速を雨の中走行する。
でも不思議なことに、雨であってもローライダーに乗っていられることが嬉しくてたまらない。
雨で辛いとは感じることがなく、楽しい気分だ。
おかげで、我家には15時には到着することができた。
車庫で雨をふき取り、キレイな姿にもどった我がローライダーは、「来週の週末、どこに行くの?」と私に尋ねる。
まあ来週のことはチョット待ってな。
そう答えるとローライダーは安心してカバーの中で休んだ。
相棒よ、今日もありがとう。
オドメーターは1452Kmになった。


1999年4月25日(日) 「ジャケットの贈り物」

昨日の土曜日は、一日中ひどい雨だった。
この週末は我が鉄の愛馬は休憩かと思われたが、意外にも朝の目覚めは太陽の光が差す中であった。
車庫のローライダーは私を見るなり、「今日はどうする?」と出発を急かす。
  「いつもと逆に、都会を走ろう。」
そう告げて準備をする。
郊外まで走り抜けて田園風景の中に自分の姿をおくことは、とても気分のいいものだが、休日の都会を走ることもまた楽しいものだと思う。

エンジン・スタート。 いつものように調子は最高。
始動する瞬間だけエンリッチナーを使うが、直ぐに戻しアクセルを吹かしぎみにして暖気運転をする。
空気が心地よい。
グローブをする出発前の瞬間。ローライダーとどんな会話ができるのか考える、この瞬間がとても好きだ。
出発するたびに、この素敵な瞬間が訪れることが幸せでならない。

国道254、私と仲間達は昔から「にー、ごー、よん」ではなくて「に、こ、よん」と呼んでいる。
「に、こ、よん」という響きそのものが可愛いからだ。
今日はこの254を上ってみた。
その先には私の生まれ育った場所がある。
ふるさとと呼ぶには都会すぎるそのあたりをローライダーで走ってみたくなった。

休日都会、ローライダーで走ることが気に入っているのは、発進、ギヤシフト、停止が多く、ローライダーの低速の魅力を存分にエンジョイできるからに他ならない。
TC88エンジンの愛馬は、思いきりアイドリングを低くしてある。
信号待ちで停止しエンジン回転数が落ちると、3拍子が聞こえてくる。
ノーマル仕様の愛馬なので、低速アイドリングは安定しないが、この3拍子が聞きたくてハーレーを買ったことも事実。

子供の頃に遊んだ道を愛馬で走ると、懐かしい思い出が蘇るようだ。
そしてその子供の頃からハーレーに乗っている地元の写真屋さんを訪れてみた。
ローライダーの排気音を聞いたその店のご主人は、直ぐに店から出てきた。
子供の頃から私を知っているご主人と奥さんと、しばしハーレー談義をすることに。

FLHやヘリテージに乗られていたそのご主人は、今は重いハーレーを諦めて国産のビッグバイクに乗られていた。
70歳を過ぎた年齢ということが信じられないのは、今でも現役のバイクライダーであり、昨年の秋レーシングコースを
体験走行したということを聞いたからだ。

そしてこの前までハーレーに乗る時に着ていたものをプレゼントしてくれるという。
 素敵な「ジャケットの贈り物」だった。
冬に最適なそのジャケットは、本当にいい仕立てであった。
きっと冬でも暖かく走れることだろう。

ハーレーの先輩である写真屋のご主人と別れ、裏道を抜ける。
ノーマルのマフラーでも、住宅街ではかなりのサウンドを響かせる。
今日は本当に短いローライダーとの対話であったが、帰宅した時は充実感に満ちていた。
オドメーター、1480Km。
ハーレーの先輩である地元写真屋さんのご主人と我が愛馬


1999年5月2日−4日 「第一回 蕎麦ツーリング」

             期待の初日 5月2日

湘南の狼金クラインさんが主宰となって企画された、蕎麦好きの人達のための蕎麦ツーリングがやってきた。
期待感が何日も前から盛り上がったこの企画は、蕎麦好きでかつハーレー好きでなければ分からないかもしれない。
朝3時に起きた時には、窓の外は真っ暗だったものの、出発時間の4時には薄っすらと明るくなっていた。
近所に迷惑にならないよう、荷物は前日のうちに積載完了していた。

通りまで押していく。まだローライダーは目を覚ましていない。
嬉しい気持ちを込めてエンジン・スタート。
早朝とあって、エンジン音はいつになく響き渡るため、暖気なしで発進しなくてはならなかった。
愛馬は、「こんなに早くどこに行くの?」と言う。
  「美しい日本をお前に見せてあげる旅だよ」
そう聞くとローライダーはポカンとしたまま私を高速入り口まで連れて行った。

渋滞予想を裏切って、関越高速は混雑することなく快調な走りだった。
しかし驚いたことに、いつに無く寒い。
納車後からいままで、こんなに寒いと思ったことは無かった。
北上して上信越道に入る。
もう寒くて堪らなくなり、パーキングエリアに入る。
コーヒーで暖を取ると、直ぐにそこを去った。
ようやく太陽が顔を出す。天気は本当にいいようだ。

松井田妙義で高速を出る。
これから碓氷峠を走るからだ。
XS650に乗っていた頃から好きだった碓氷峠には、レンガ作りの古い鉄道の橋梁がある。
そこでローライダーと一緒の写真を撮ることが夢だった。
峠には車が少ない。
碓氷バイパスが出来てから、旧道の碓氷峠を通るのは、マニアか一部のトラックくらいではないだろうか。

現地に到着する。
バックの空も青く美しい。
残念なことに数台の車があるために、ローライダーと橋梁だけの写真は撮ることができなかったが満足であった。
今度また来よう。

そのまま軽井沢まで峠を上り、18号線を西に向かう。
右には雄大な浅間山が貫禄あるお爺さんのように座っていた。
低い声で挨拶されたような気がした。
待ち合わせの松代PAには予定よりも20分前に到着した。
ロードキングが3台待っていてくれた。

4台となったハーレーは長野市内を走る。
エムウェーブの脇を通過したときには、あのオリンピックの感動が一瞬目に浮かんだ。
善光寺の横からバードラインに入り、一路戸隠を目指す。
「一の鳥居」と呼ばれるバス停は、奥社から数Kmは離れている。
戸隠神社の規模の大きさは私達の想像を遥かに超えている。

急なのぼり坂の先には中社(ちゅうしゃ)という社(やしろ)がある。
ここで全員集合となる。
富山、石川方面からの組と合流して、総勢ハーレー13台は壮観だ。
初めて会う人ばかりで、名前が覚えられない。
まあ先は長い。そのうち覚えるだろう。

ここ戸隠では「うずらや」が有名だが、混雑のため断念し、「極意」という蕎麦屋に入る。
ざる2枚を美味しくいただく。
東京のそばとは明らかな違いがある。
そばの味は極端に主張されている訳ではないが、口の中に心地よく吸い込まれていく。
そんな番人受けしそうな戸隠そばであった。
戸隠 極意のざるそば

ここからは富山に向かう。
戸隠にはよく来るが、ここからは全く知らない道を、富山のメンバーのリードで全く不安なくローライダーは走る。

 [続き」
富山までの走りは、13台という台数と、待ちに待った蕎麦ツーリングということが重なって、感動的なものだ。
前後にカスタムされたハーレーが走ると、ノーマル仕様の私の排気音は全く聞こえない。
信号待ちで止まると、周りからは3拍子が聞こえてくる。
青になると、加速音が聞こえてくる。
ハーレーはいいものだ。そう感じる瞬間だ。

富山向かう最中、眠くなる。
私だけではなく、みんなも眠いようだ。
休憩して全員で写真を撮る。
個性的な人が多いのでビックリするような雰囲気がある。


富山に近づくと、旅の楽しさが込み上げてくるようだ。
もう10年位前に、学生時代の友人が富山の気象台にいた頃、遊び来たことを思い出す。
当時はXS650SPで峠を超えてやって来たが、今回はローライダーだ。
余裕のあるパワーはHDならではの味わい。
我が鉄の愛馬は、遠い思い出の世界へ連れて来てくれた。

間もなく宿泊先へ到着という時、ガソリン補給のためにスタンドへ立ち寄った。
お腹一杯になったローライダーは、本日最後のエンジン始動をする。
そのはずだった。
   「エンジンが掛からない」
私は一瞬のうちに悪夢を想像した。
もしかすると、エンジン・トラブルでこのままショップに入院?

スタンドに残っていた数人に声を掛け、ツールを出して調査を開始する。
みんながいてくれるお陰で、何とかなるという落ち着きを保つことができた。
購入先のショップにも電話してみる。
   「点火系統があやしいので、バッテリーをチェックしてみてください」
そう言われ、バッテリーを外した。
何と、マイナス端子のワイヤーがゆるゆるになっている。
端子とワイヤーの間には、スパークによるススが見える。
これが原因で点火系統に過大電流が流れてセルが回らなくなっていた。

正直なところ、ハーレーを買ったことを一瞬後悔するような時だった。
国産バイクなら、このような故障は皆無かもしれない。
でもハーレーに乗っている時の優越感や爽快感は、国産では味わえない。
愛馬は、「すまんのお」と私に頭を下げて言っていた。

 [続き]
再び動き始めた愛馬は、200m程進んだところでまたエンジン停止となった。
バッテリーが原因ではなかったのか!
ツーリングが続けられないという悪夢がよぎる。
だが今度はセルが回る。
もしかして...とガソリンコックを調べる。
そうだった。先ほどの修理のときにだれかがコックを停止位置にしてあったのだった。
安心してエンジン再再度スタート。

本日の宿泊は富山のKonomuさんの実家。
大きな家だ。民謡の師匠であるKonomuさんの母上に感謝して宴会を楽しむ。
遠くに来て、こうして歓迎されると、日本はいい国だという気持ちにさせてくれる。
富山名物である最高の鱒すしを食べて感激する。
きっと東京だけが混沌としているのかも知れない。
今日は疲れたが心地よい。
いつの間にか夢の中にいた。
今日の走行は420Kmだった。

            2日目となった5月3日

今日は郡上八幡経由で高山まで走る。
朝からエンジンが掛からなくて山崎さんのハーレーは押し掛けしている姿があった。
みんなこの富山に来られたことを喜んでいるようだった。
出発してから、この地を知り尽くしている地元のライダー達と、これから向かう高山のIGさんがいるから
道の心配が無いことがうれしい。

気がつくと、涙がでるような新緑と美しい山が目に飛び込んできた。
  「オイ、相棒。 こんな美しいお前に景色を見せたくて来たんだよ」
愛馬にそう言うと、私と一緒に感動しているようだった。
2000回転で回るツインカム88エンジンは、この自然の中を走れることに満足しきっていた。
左にはエメラルド・グリーン色した川が流れる。
カナダのレーク・ルイーズの湖面の色のようなその川をいつも見ていられる地元民が、羨ましく感じられた。

山々は3色の緑に覆われている。
濃い緑色が入っていると、山に貫禄が感じられる。
この自然に気持ちが入ったまま、愛馬の快適なソアリングが続く。

郡上八幡に到着する。
予備知識の無かったこの地に驚く。
時間が止まってしまったような町だった。
このツーリング2回目の蕎麦を食べる時間になった。
「平甚」というその店の裏に駐車し、とりあえず散策する。
町の中にはニッキの香りが漂っている。
そう、ニッキあめの老舗があった。
ここでお土産にあめを求める。

全員が平甚の2階に上がり、落ち着いた中で蕎麦を食べる。
この店では、「ざるそば」と「もりそば」はつゆが違うので、両方を注文する。
ざるそばは、蕎麦の味とつゆの味、両方がマッチして極上の味を醸し出している。
つゆのコクが秘密のようだった。

満足して平甚を出る。
みんな郡上八幡にも喜んでいた。

石川から来られたスプリンガーさんと、ここでお別れとなる。
魅力的なカスタムをしているスプリンガーさんと、また一緒に走ってみたい。
そして、この後にはお世話になった富山の方々とも、道の駅でお別れになった。
こんなに良くしていただいて、私も愛馬も感謝の気持ちで一杯だった。
富山が身近な場所に思えてしかたなかった。
また近いうちに富山に来よう。

ここから高山IのIG(井口)さんのリードで裏道を使い、渋滞を避けながら高山に向かった。
一度来てみたいと思っていた高山にハーレーに乗ってくることができた。
愛馬は、自然の中から都会に出てきたことにビックリしているようだ。
  「ここも古い町だよ。良く見てごらん」
と言うと、味わいのある高山の町を感じ始めていた。

今日は泊れるお寺である「宿坊」が目的地。
そぐ傍の駐車場に停めて、早速と宿に入る。
素泊まりなので、直ぐに町に繰り出す。
名物の高山ラーメンを食べて、そのあとお酒とつまみで一杯となった。
旅を感じる夜のひととき、仲間とハーレーの話しをするのもいいものだ。

宿に戻って、「休憩室」と呼ばれる場所で、宿泊客が集まってきた。
というよりも、声を掛けてだんだん人数が増えた。
Hottonさんの隣にはかならず女性がいる。
いや逆だ。女性の隣にHittonさんが行くのであった。
湘南から自転車で来ている若者もいた。
旅は沢山の人と会えるのでいいなあ。
本日の走行は280Kmだった。

             雨の3日目 5月4日

今朝は憂鬱だ。
朝からかなりの雨が降っている。
朝食を済まして駐車場に行く。
レインウェアとブーツカバーを身につける。
バッグも雨対策を講じる。
お陰で今日はカメラ撮影ができそうもない。
ローライダーは雨でもハリキッている様子だ。
今回のツーリングに満足していて、帰りたくないと言っている。
  「また来るから、今日は我家まで連れて帰っておくれ」
そう伝えてエンジンを始動する。

地元のIGさんは、私達の見送りに来てくれた。
ここでIGさんとお別れとなる。
だんだん少なくなってくるハーレーの数に、淋しさを覚える。
IGさんのお陰で、、高山がいい思いでになったことを感じる。

出発すると、雨は益々激しさを増してくる。
レインウェアは、その機能をテストしているようだった。
ウィンドシールドは、雨になると視界を妨げることになり、あまり具合がいいものではない。
高速走行ではとても楽になるのだが。
ひたすらロードキングにリードされながら昼食場所である開田高原を目指す。
雨の峠道では、スリップが怖くてスピードを落として走行する。

それは、うっかりすると通りすぎてしまうような場所にあった。
開田高原食堂。
別段旨そうに感じない店構えだが、ここでは確かに店内で蕎麦を手打ちしていた。
厨房の奥からは、手打ちの音が聞こえ、姿も見え隠れしている。
ざるそばを注文する。

あきらかな手打ち蕎麦の姿をしている。
見ると、かなり旨そうではないか。
こんな田舎町で、入ってくる人の多くがざる蕎麦を注文している。
確かに名物であることが分かる。
「そばの実」が持っている風味は、今回の中で一番感じられた逸品だ。

その後、塩尻まで残った全員で走行する。
ここでまたバラバラになる。
淋しさがピークに達する瞬間だ。
13台のハーレーで走った初日の驚きが思い出された。
関越に出る為に、上信越道を目指して北上する。
連休のため、なんと上信越道も渋滞がひどい。
結局高速で帰ることを途中で断念し、した道に降りる。
大雨の中、一人で軽井沢を抜け、濃霧の碓氷バイパスを通過して地元までした道のまま帰った。
正直なところ、辛い最終日となった。
帰宅したのは夜10時になった。

しかし、倍以上の長さに感じられた3日間の蕎麦ツーリングに満足したことは間違いなかった。
企画してくれた狼金クラインさんに感謝したい。

愛馬は多少疲れた様子だが、車庫の中で美しい日本の景色を思い出しながら眠っていた。

本日の走行は453Km。オドメーターは2633Kmとなった。


1999年5月22日(土) 「夢の名残り」
    − 第一回 ローライダーズ ツーリング in 白根山 −

朝8時、ツーリングにしては遅い出発の土曜日。
ゆっくりと目をさまして準備をする。
先週は寒く雨に降る週末だった。それゆえに信州へのツーリングを断念したことが信じられない今日。
暑い、そう思えるような朝。

今日がツーリングであることに気がついていた愛馬、ローライダーは、私に出発をせかしていた。
  「早く出ないと混むよ」
という相棒は、自分からエンジンを始動したがっているようだ。
車庫から道路に出すと、セル一発で快音を響かせた。
長い距離、高速を走る日であるが、あえてウィンド・シールドは外していくことにする。

所沢インターに入る。
料金所から本線を見ると、唖然とするほどの渋滞。
事故があったためのようだ。
鶴ヶ島まではスリ抜けをせざるを得なかったが、本来スリ抜けは好きではない。

集合時間よりも前に高坂SAに到着。
すでに数人のメンバーが集まっている。
今回はJR+Hという別クラブのツーリングとの合同であるため、全員で14名という人数となった。
その中で、ハーレーは6台。
あと2台が来るはずなのだが、間に合わなかったようだ。
  FXDXの恭二さん、サックさん。
  スプリンガー・ソフテイルのVOLVO13さん。
  スポーツスターの橋本さん。
  FATBOYの道化師さん。
  そしてFXDLの私。

松井田妙義ICまでノンストップで走る。
上信越道に入ると、周りの景色が変わってくる。
風が快適なクルージングを感じさせてくれる。
前方に妙義山が見えてくる頃、山々が私と愛馬に迫ってくる気配を感じる。
思わず後方に身を起こしてしまうような雄大な山、そして妙義山の鋭い山頂に圧倒される。
心の中で合掌しながら、インターを降りる。

碓氷峠はここからすぐ先だ。
蕎麦通リングで行きに走ったあの碓氷峠に、また来ることができた。
峠を13台のモーターサイクルが連なって走り抜ける。
ステップが擦らないように急カーブはやさしくターンする。
あの国鉄時代の碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」が青空のなかに出現する。
この橋梁は明治26年、旧信越本線の横川−軽井沢間を結ぶ区間として作られた。
難所中の難所だったこの区間では、アプト方式というラックレールを使い、機関車は歯車をレールにかみ合わせて登っていた。レンガ作りのこの橋梁は、当時最高の技術を使って作られた。
 「夢の名残り」がここにあった。

撮影:一緒に行った坂本さん
ここで全員の記念撮影を行う。
そして峠の途中で待ち構えての走行シーンの撮影も合わせて行い、軽井沢に向かう。

もう昼食の時間。今日はあの蕎麦通リングで行けなかった、中軽井沢の「かぎもとや」に行く。
何度目か覚えていないが、少なくとも20−30回は来ているのではないだろうか。
20年前に初めて来た時から何も変わっていないその店に、昔を懐かしく思い出す。
最初に来た時もバイクだった。愛車だったXS650SPに感謝する。

ここからは北上し、草津方面に針路をとる。
ワインディングが続くその道路は、ツーリングにおける楽しみの1つである。
アップダウンを繰り返す。
ここまで来ても気温は高い。
暑い季節の到来を感じさせる日だ。

今回のツーリングでは、アマチュア無線を搭載したバイクが5−6台いたので、走行中会話をしながら走る。
先頭と最後尾の連絡にも使えるので、信号待ちでとまってもはぐれることはない。
気になるものがあると、何だろうと話しもできる。
美しいものを見たときに、無線があるとその場で感動を共有できるということができる。
携帯電話ではできない利用方法がアマチュア無線にはあるのだ。

突然、最後尾から無線で連絡が入る。
ハーレーが故障したと。
私が救援に向かうが、ハーレーを買って3か月の私に何もできるとは思っていなかった。
スプリンガー・ソフテイルで参加の「VOLVO13」さんがシートを外して様子を見ていた。
バッテリーのマイナス端子で、ケーブル側の端子が金属疲労で切断されていた。
私の持参していた太い針金とビニールテープが修理に役立った。
これらはネットに書き込みされていた情報を見て、最初からツールバッグにいれてあったものだ。

再始動できたVOLVO13さんと一緒に、みんなが休憩している場所に戻る。
そこにはサックさんと恭二さんのハーレー2台が残っていた。
あとのメンバーは時間の関係で先行したようなので、4台で追走する。
草津白根スキー場に行ったところで、先行のグループが降り返してきて再度合流。
ここから渋川まで奥深いムードの道を走る。
あの高山で見た景色とは全く異なる山に、日本の自然の豊かさを感じられる。
途中の塩川温泉でVOLVO13さんとサックさんが抜け、温泉をエンジョイしていくという。

関越には渋川伊香保ICから入り上里SAで休憩した後、解散となった。
ハーレーのトラブルを3か月に2回も経験し、なにか吹っ切れたような気がした。
何とかなる。 
そんなことを感じて我家についた時、ローライダーは私に向かって言った。
  「やっと俺達のこと、分かってきたんだね。まあ末永く、宜しく頼むよ、相棒」と。

走行 433Km。 オドメーター 3066Km。


1999年5月30日(日) 「ワン、ツッ、ツー」
    − 栃木県佐野、足利 −

この週末は天気に恵まれた。
そう、「恵まれた」という表現がよく合うと感じた。
朝6時30分、起床すると窓の外からの日差しが気持ちいい。
車庫の中ではローライダーが私達の出発を待っていた。
早起きな相棒だ。
準備を済ませて7時30分に始動。

今日の目的地は栃木県佐野市。
青竹で打ってコシの強い麺を使ったラーメンで有名なあの佐野だ。
そう、ずばり「佐野ラーメン」を食すツーリングを決心したのは、昨日テレビで紹介していたからという単純なもの。
ルートは東京外環経由、東北道のつもりだったが、出発して東京外環まで走ったところで気が変わった。
爽やかな空気がローライダーと私を覆ってしまった。
  「都会の朝なのに、まるで避暑地のような風」
そう思った私は愛馬に尋ねた。
  「どうする?」と。
  「下がいいね」と相棒。
これで決まった。下道で佐野まで行こう。

国道122号線に入り、ひたすら北に向かう。
いつか通った、人形の町、岩槻には相変わらず人形店の看板が多い。
でもその先からは様相が変わった。
幹線道路というそれまでの道が、突然ローカルな道になる。
そう、大きなお屋敷や、「おや」っと思うようないい雰囲気の店が目に入るようになる。
いつか入りたいな。そういう気にさせる店達は、いつしか私の目を左右に振らせている。

信号待ちで止まる。それも悪くない。
その間、私は運転を気にせずにその町を感じることができるからだ。
隣に自転車が止まった。
若いお父さんと女の子が乗っている。3歳くらいだろうか。
可愛いかったその女の子に手を振ると、青信号で出発した私と愛馬に親子が手を振っている姿がバックミラーにあった。
ローライダーは、すこし誇らしげに胸を張っているようだった。

利根川を越える。
大きな川を渡るとき、私はいつもちょっとだけ大人になったように思う。
きっと偉大な自然を安心して受け入れられるためかもしれない。
江戸の頃なら、きっとこの川は人々が恐れていたのだろうなどと考えるのもまた面白い。

  「ワン、ツッ、ツー」
普通はそう呼ばれているこの国道122号線は、私の大好きな道の1つになった。
今度は夫婦タンデムで走ることにしよう。

佐野市に入る。
駅前あたりを流していると、有名な佐野厄除け大師の前に出る。
いつか来たいと思っていたので、無料の駐車場に停めて参拝する。
駐車場の係りの地元のおじさんに、旨い佐野ラーメンの店を紹介してもらう。
注文したチャーシュー麺は、思っていた姿とはかけ離れていた。
醤油ベースではなく、麺は手打ちのそれとハッキリ分かるほど太さがまばらだ。
しっかりしたコシがある麺は、さすが青竹を使って打ったことが分かる。
ここに来たら、次回も食べてみよう。

佐野市から足利市までは佐野バイパスから福猿橋を通って向かう。
渡良瀬川にかかる福猿橋は、すごい景色の中にあった。
橋が眺められる場所を選んで記念撮影をする。
ここの写真はなんだか一生の思い出になりそうな予感がしたのは、風景と愛馬がうまく合っていたからだろうか。

山が間近に迫る足利駅の回りは、日本最古の学園都市だからだろうか、品の良さが感じられる。
駅の北にある足利学校跡の付近では、多くの観光客が地図を手に散策していた。
中のいい老夫婦が私の前を通り過ぎる。
いつか私もここでゆっくりと時間を過ごしてみよう。
そんな気にさせてくれた。
二人の中を邪魔しないように、ローライダーは暫く静かに停止してくれた。

国道353号線。
それは群馬県の有名所をいくつか回るのにいいルート。
田舎道なのだが、地元車以外の車も目立つ。
途中に「赤城高原 ドイツ村」、富士見温泉見晴らしの湯、忠治村など、立ち寄っていきたい場所が多い。
道の駅「グリーンフラワー牧場」はお勧めである。
牧場が道の駅になったようなその場所は、子供連れが多く、長い時間楽しめそうだ。

そろそろ関越の案内板が目に入るようになってきた。
渋川伊香保ICから帰ることにしよう。
恵まれた天気にも関わらず、高速は渋滞もなく夕方6時前には帰着。
一週間が長いと感じるようになってきたこの頃。
愛馬にもっと多くの回数乗ることができたらなあ。
そう思いながら相棒はまた車庫で眠りについた。

走行 285Km。 オドメーター 3351Km。