ローライダーとの対話(1)
 1999年2月〜3月

1999年2月28日(日) 「花園」
1999年3月6日(土) 「動から静に変わる瞬間」
1999年3月13日(土) 「ワン・ペアー」
1999年3月18日(木) 「北という響き」
1999年3月22日(振り替え休日)「人形の街、岩槻」
1999年3月28日(日) 「天国と地獄」


1999年2月28日(日) 「花園」

納車後、初めての日曜日。
昨日の強風はやや治まり、外の景色は私と愛馬を呼んでいた。
休日にだけ飲むことになっている、とっておきのコーヒーを今朝は格別の思いで飲み干す。
納車日の緊張した気持ちと違って、今日は心が浮き上がるようだ。

ボディ・カバーを外すと、赤と黒のフュエルタンクが顔を出す。
そうそう、この色が欲しかった。
見るたびにそう思う愛馬は、私にまだなついていない。
納車日にはゆっくりと見ることができなかった細部まで、今日は出発前に見ることにしよう。
そう決心して、車庫の中で点検する。

ハーレーでは、シートと呼ばずに「サドル」と呼ぶ。
そう聞いて、なんだかそのこだわりが嬉しかった。
そうか、これはサドルなんだな。 
乗馬も数年やっていたことがある私にとって、サドルという言い方は心引かれるものがあるのだ。


愛馬に気合を入れてエンジンをスタートする。
そして、私の初めての愛馬との対話が始まった。
予報では気温は11度。 でも私にはそれ以上に感じるのは、今日が特別な日だからだろうか。
正直なところ、自宅前での排気音は、フル・ノーマルであるにもかかわらず近所迷惑ではないだろうかと感じる。

エンジン音を気にしながら直ぐに発進すると、いつもの道路が別の場所のように見える。
幹線道路まで走る。 積算計はまだ43km。慣らし運転に「急」のつく操作はできない。
快適な走り、不快な振動は伝わってこない。
走行中は、思った以上に静かなローライダーである。
やっぱりマフラーは初代のような2in1にしてみたいなあ... ふとそう感じた。

国道17号線、この道には思い出がある。
まだ10代のころ、当時流行っていたホンダのDAXで、友人と一緒にここを走り、志賀高原まで行った。
あの日からもう長い。 でも見る景色のあちこちに、思い出すものがある。
ついにハーレーのオーナーになったか。 そう感じる自分がくすぐったい。

熊谷駅を過ぎる。
このあたりから戻るとするか。
左折すると、その先は畑の中を抜ける素敵な舗装道路。
そして目が覚めるような真っ白な雪山が前方に見える。
そうだ、このまま越後湯沢に行ってしまおうか。
ローライダーに乗っていることを忘れてしまったかのような考えが頭に浮かんだ。

スキーが好きな私には、晴天の雪山にはそそられる。
あのあたりは新雪かな....

関越高速には花園インターから乗った。
愛馬にとっての初めての高速道路が「花園」から始まることも、なんだか気に入った。
きっと関越を走行するたびに、この花園インターの前で今日のことを思い出すのだろう。

スキー帰りで混雑している関越も、慣らし運転のための私には丁度いい速度で流れていた。
所沢で降りた愛馬に、「よしよし」と感謝して家路についた頃、夕日がまたスポットライトのようだった。
ソロで走りきったショート・ツーリングは、ハーレー初心者の私の第3日目だった。


1999年3月6日(土) 「動から静に変わる瞬間」

2回目の週末が来た。
この1週間、ネットで知り合った多くの人達と会い、旨い酒を飲み、楽しかった。
だから今日が楽しみになるはずだ。 みんなハーレーが好きな人達だったから。
いつも土曜日は仕事の疲れをとるためにゆっくりと過ごすことが多かったが、
ローライダーが我家の家族になって以来、それは変わり始めていた。

朝7時、仕事なら眠い目をこすりながら出掛ける時間、今朝は元気があった。
相棒は車庫の中で休んでいた。
  「おはよう。今日もよろしく頼むよ」
そう声を掛けて、出発の準備をする。 天気は快晴。
昨日は関東地方で、春一番が吹いた影響が今朝まで残っていて、風が強い。

学校のある土曜日のため、近所を学生が沢山歩いている。
  「社会人は頑張ってハーレーで楽しむ日なんだよ。君達は勉強するんだよ。」
などと心の中で言いながら、結構大きな排気音を響かせてローライダーと共に発進した。

今日向かう方向は西に決めた。
XS650では時々行ったことがある、大垂(おおたるみ)峠にしよう。
土曜日ということもあって、都内の一般道は休日より交通量が多かったが、特に渋滞もなく八王子まで行く。

昔BMWに乗っていた友人が住むマンションの前を通過する。
私と一緒に海外スキーの好きなその友人は、こんなに天気のいい土曜日に自宅にいる訳がない。
もうどこかのゲレンデの上にいることだろう。

直ぐにローライダーは峠に差しかかる。
ハンドルバーを持つ手に力が入るのをこらえる。

大垂峠は、ローリング族が集まるメッカだったが、今日は驚いた。 だれもいない。
カーブにある食堂の前にバイクを停めて、そこを曲がっていくバイク達をみんなで見ていたことを思い出す。
しかし、その食堂も今は廃墟になっている。 とてつもない時間の流れを感じる一瞬だった。
廃墟となった食堂の前のローライダーは、過去を知らない。
   「さあ、前に進もう。」と言っているようだ。

峠を降りるとそこは湖だ。 相模湖。 しばし眺める。
八王子を過ぎてから、今満開の梅をあちこちで見かけるようになった。
まるで桜のようにたわわに咲いている梅を見ると、本当に春が来たことを感じる。
多くの梅を見ながら国道20号線を西に向かう。 
   「大月」の字が見える。 どこまで行く?」とローライダーが訊ねてきた。
時計はまだ11時。もっと先まで行こう。
今日の最終目的地を勝沼に決めた。

ワインの好きな私は、山梨にはよく来る。
ぶどうの収穫時期には勝沼は渋滞するほど観光客が押しかけるが、今日はだれもいなかった。
道の両側は全てぶどうの木というあたりを通過する。
気温は15度を超えていた。 本当に快適だ。
前方には南アルプスの山々が見える。 頂上は真っ白だ。

国産のぶどうを使って頑張っているワイナリーが点在するこのあたり。
私の好きな「グレイス・ワイン」の前に出た。
迷わず駐車して建物にはいると、そこは別世界だった。 

ローライダーの鼓動を感じながら走行している時からここに入ると、「動から静に変わる瞬間」となった。

こういう感覚の変化というものもいいものだ。
気に入ったワインを一本求める。どんな料理に合わせようかと考える。

旨い中華の店に入る。ここにはバイカーがよく立ち寄るのを知っていた。
店のおばさんは愛想がよく、一人で入った私も気持ちよく対応してくれる。
お腹が満足できたところで帰路につく。
中央フリーウェイ、勝沼インターから八王子まで高速をつかう。

5速、2000回転で時速80Km。 ツインカム88エンジンには余裕が溢れている。
しかし慣らし運転中のローライダーは、2500回転までしか回せない。
4速と5速を適当に切り替えながら、いろいろな回転数を使ってみる。

高速で走行すると感じるものがあった。
   「排気音が聞こえないぞ」
そう、フルノーマルのローライダーはとてもいい仕上がりではあるが、静か過ぎるのだ。
私がハーレーに求めていた排気音が聞こえない。
走りのテイストに不満は無く、どんな走りをしても余裕が有り余っているローライダーに感動する。

八王子インターを降りて一般道を走る。
自宅に近づいてきた頃、積算距離計は400Kmちょうどを示していた。
今日はのんびり走行であったが230Km位走ったことになる。
初めてクラッチを握る手がちょっと疲れたと感じる一日だった。


1999年3月13日(土) 「ワンペアー」

天気予報では「晴れ」、のはずだった。 少なくとも数日前までは。
ところが悪く外れてしまったようだ。 朝から曇っている。
でも、今日はぞめさんの納車日だ。
若干天気が悪くても行くことにした。 今日の目的地は都内。
いつものように、とはいってもまだたった3回目のローライダーの出発準備をする。
都内の道は予想通り混雑している。
車でナビを駆使して見つけた裏道を、今日はローライダーが走ることになった。
いつもの道がちょっとビックリしている気配がした。
ヤアヤア、相棒のローライダーだ。今後ともヨロシクと挨拶しておいた。

熊谷や勝沼に行ったツーリングの時と今日を比べると、今日のほうがローライダーに慣れて来た。
自分でそれが分かるのは、細い路地や低速での走行の時だ。
それが嬉しく感じた。

目的地には11時前に到着。
店の前には同じ赤黒ツートンのローライダーがスタッフによって洗われていた。
納車の最終準備のようだ。
僅か2週間前の自分の納車日のことを思い出す。
ぞめさんはカウンターで手続きをしている。
この間に納車されるローライダーの写真を撮っておく。

手続きの終わったあとに、一段落してから出発する。
発進をすると、声を出して驚いていた。
そうそう、最初はトルクの大きさに戸惑った。
コントロールできるようになり、ニュートラルが出しやすくなると、いいバイクであることが日に日に分かる気がする。
赤黒ツートンのローライダーが2台一緒に走ると、「ワンペアー」のカードのようだった。

今日一日で走行は75km。
でもローライダーで、初めて都内ばかり走り回る楽しい一日だった。
ぞめさん、おめでとう。


1999年3月18日(木) 「北」という響き

朝から天気がいい平日。気温はなんと20度まで上がった。
仕事のきりが良く終わり、速攻で帰宅すると、ガレージではローライダーが「早く!」と待っていた。
ホイホイとカバーを外し、平日のトワイライト・ツーリングをすることにした。

慣らしのうちは下道でギヤチェンジを頻繁に行って、ブレーキングも沢山行って、自分がローライダーに慣れる時なんだ。
だから国道を使って北に向かう。
  「北」という響きは「南」よりも神秘的な感じがする。

目的地は決めないで、ひたすら北に向かうと夕日が左にきれいに見える。
東京から北に離れると、道は空いていて走ることが楽しいと実感する。
気が向いて右折し、東北道を目指した。
今日は気温が高いので、初めてエンジンの熱が「熱い」と感じる。

加須(かぞ)インター近くは、のどかな農道が続く。
目に一番星が飛び込んできた。
春になり、ローライダーがあり、そして今走っている。
こんな幸せを感じられることが、ただ嬉しかった。

帰宅するとオドメーターは600km丁度になっていた。
まもなく慣らし運転が終わる。


1999年3月22日(振り替え休日)「人形の街、岩槻」

3連休最後の日、2日間は雨の洗礼を受けることとなり、ローライダーは車庫でゆっくりと休んでいた。
今日は快晴になったものの、一時的な冬型の気圧配置のためにひどく風が強い。
風速10m近いのだが、天気の良さに引かれて出掛けることにした。
目的地は北関東方面としたが、風の影響次第では近場でUターンすることになりそうだ。

日光街道に出るまでの間、荒川を渡る橋の上で、今日の風がいかに強いかを感じた。
まるで海上に漂う枯葉のようにフラフラする。 ローリングしていると思われそうだ。
車間を詰めて来る後方の車に気を払いながら、恐々走行することは精神衛生上、あまりよろしくないし、楽しくない。

日光街道は滅多に走ることに無い道だったが、今日は「日光」という名前に引かれるようにこの道を選んだ。
見なれない店や看板が目に入ると、自宅からそれほど遠い場所ではないというのに、見知らぬ場所に舞込んでしまったという感覚に襲われる。 ああ、有名なあの店はここにあったのか...そんなことを思いながら走ることができる面白さが一般国道にはある。

しかし、本当に強い風のために、正直なところ危険な予感も多々あった。
ローライダーに乗っていて事故に遭うのはゴメンである。
もう帰ろう。 そう決心して「人形の街、岩槻」に進路変更した。

岩槻(いわつき)は3月と5月の節句の時期にはコマーシャルで沢山見る人形作りの街。
沢山の人形の店が道の両側に並ぶ。
昔、父親に買ってもらった5月人形を、今年は久し振りに出してみよう。 ふと思った。

帰りの道すがら、小さな小川を見かける。
たぶん車だったら、何も考えずに通過するであろうその小川の前でしばし休憩する。
小川と一緒にローライダーの写真を撮る。 うん、バイクっていいなあ。


昨日は桜の開花予定日だったが、多分寒さでまだ咲いていないのだろう。
来週の週末は桜めぐりになるといいなあと思っているうちに帰宅。
オドメータは670kmとなった。


1999年3月28日(日) 「天国と地獄」

納車されてからちょうど1か月が経過した。
昨日は冷たい雨に降られて、車庫の中のローライダーも悲しげな様子だった。
そう感じるようになったことが、愛馬に馴染んできたことなのだろうか。
私とローライダーの間にあるものがすこしづつ狭くなることが分かる。

明日の天気はどうなんだろうかと思いながら眠ると、夢の中にハーレーとの対話が出てくることが嬉しい。
28日、日曜日。
Harley Davidson Newsのソフテイルの方々による南房総ツーリングの日が来た。
グループで走ることは、納車日以来のことだ。

朝6時30分、車庫で眠るローライダーを起こす。
しっぽを振って喜んでいる愛馬を見るのも嬉しいものだ。
給油を済ませて環状八号線を南下する。
目を覚ましたローライダーは、今日がツーリングということが分かるのだろうか、はしゃいでいた。

いつも混雑している環状八号線なのに、今朝はかなり空いている。
東名高速入り口を通過し、愛馬は第三京浜に初めて乗り入れた。
そういえばこの第三京浜は、ちょっと前に仲間がもらい事故で愛馬を傷めてしまった道路だった。
ハンドルを握る手に思わず力が入ることを拒否できなかった。

時間前に集合場所の保土ヶ谷パーキングエリアに到着。
ところが我が目を疑った。
パーキングは、いたるところハーレーだった。
面識の無いソフテイルオーナーの方々だったため、どのオーナーが仲間なのか区別がつかない。

運良くジェイさんから声を掛けられる。
そして次第に仲間が集まってきた。
今日のツーリングは楽しくなりそうだ。

曇りの天気の中、メンバーが次第に集まり始めた。
ネット上で聞いたことのある名前が、実際の顔と一致しはじめるこの瞬間が楽しかった。
ローライダーズの「寒月」さんも現れる。
みんな、さむつきさんとか、かんげつさんと呼んでいたが、「かんげつさん」と呼ぶことも分かった。

第三京浜、保土ヶ谷PAを出発して横浜新道に入り、横浜横須賀道路、通称「横横(ヨコヨコ)」と呼ばれる高速に入る。
ジェイさんが全員のぺースを思いやって、時速80kmのペースでゆったりと走る横横は快適だった。
そして我がローライダーは、慣らし運転完了の800kmを目指して距離計を進めていった。
間もなくして、横須賀の文字が見えた。
横須賀という響きは外国を思わせる。そんな気がした。

高速を降りると、下道を通って久里浜のフェリー乗り場を目指す。
東京湾横断道路ができても、ここのフェリーは残っている。
長いバイクライフの中で、バイクでフェリーに乗るのは今回が初めてだった。
ちょっと緊張しながら乗船を待つ。

なにか呑まれていくような雰囲気の中、ローライダーはフェリーへ走りこんでいった。
タイダウンベルトのようなもので、船の端に固定される。
注意しないと、ハンドルロックを右に固定されることがあると聞いていたので注意したが、今回は問題無かった。
ひと安心して船室でくつろぐ。

ほんの30−40分程度で千葉の金谷に到着する。
ハーレーが一斉にエンジンを掛けると、場が騒然とする。
下船するとさらにメンバーが増えた。これで10台となった。
直ぐに南下すると、房総半島という雰囲気が漂ってくる。
これは海沿いに走ることだけが原因ではなさそうだ。伊豆などとも違って、何かいい。

ハーレー10台で走行すること自体が、私にとって初めての経験で、憧れていたことが実現してくる喜びに浸っていた。
ハーレー=アウトローという公式が、映画イージー・ライダー以降に何となく社会に広まってしまっているが、
私を含めた今日のメンバーを見ていると、そんなことは無いということが印象付けられる。
いつの間にか、ローライダーは私の体に合ってきたのか、自然な気持ちで運転ができることに気づく。

昼食はジェイさんが予め探してくれた、磯料理の「伝平」。
メニューにあった「さんが焼き」という名前に全員が引かれた。
みんなこれを選ぶ。 なんでも地元の料理だそうだ。
料理の味と量に満足し、休憩しながらキャプテン練馬さんのカスタム・ヒストリーなどを聞いた。
買ったばかりの私には、カスタムはどうもイメージが浮かばない。もう暫くはノーマルのままだろう。

千葉の海沿いの道を再び走る。
信号待ちで止まると、周りからいろいろな排気音や3拍子が聞こえてくる。
ハーレーらしいなあ。そんなことを一人事のように言っていた。
乗りやすいバイクである以前に、面白いバイクであることがハーレーなのだろう。
私も、そう感じはじめて、結局カスタムするようになるのだろう。

千葉を走るソフテイル、スポスタとローライダー。
10台のハーレーが個性を出しながらみんな楽しんでいる。
いいなあ。 そう感じた。

ここでついに慣らし運転が終了する800Kmを迎えた。
ちょうど1か月で慣らしを終えた瞬間を、この千葉で迎えた。
そしてローライダーは房総スカイラインに入る。
押さえていた気持ちが弾けた瞬間だった。
アクセルを大きく回すと、スカイラインのワインディングが楽しい。
道路に吸い付くような快感が走る。
ああ、ローライダーにしてよかったと思える時、私は満足だった。

木更津を目指して走行中、悲しい光景を目にした。
私達は信号待ちで渋滞していた。
反対車線でいきなり加速した車が、私達のすぐ後ろに差し掛かった瞬間に「ドーン」という音とともに事故を起こした。
激しく追突された軽自動車が、道路脇の田んぼに落ちていくのがバックミラーに写った。
 「天国と地獄」の瞬間だった。
すぐに事故現場に向かった。
寒月さんは、泥の田んぼの中に入り、軽自動車の怪我人を救助した。
渋滞がひどくならないように、みんなで事故現場の交通整理をしたり、警察や救急への連絡をしたりした。

現場をあとにして、木更津から東京湾横断道路を通り、海ほたるに行った。
夜の海ほたるからの眺めは素敵だった。また天国がやってきた。
夕食をとって帰路につき、高速上で分岐しながらみんな別れていった。
無事故に感謝して帰りついた時、積算計は950Kmを指していた。