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湯坂道下り(箱根磨崖仏と湯坂道)


(箱根磨崖仏(約700年前のもの(本文参照))の写真)

箱根磨崖仏(1)


古来,関東と上方を結ぶ道は重要であったが,湯坂道は箱根旧街道よりさらに古く, 鎌倉時代に開発されたと云われる。

箱根町教育委員会による「箱根道うつりかわり」を掲載する。

箱根道のルートの変遷



これによると,大和期は関本(大雄山・最乗寺参照)から明神ヶ岳を経由し箱根宮城野→仙石→乙女峠→ 御殿場へのルート@であった。

奈良・平安時代は関本→矢倉沢→足柄峠→御殿場というルートAが開発され、下って 鎌倉・室町時代に湯坂道(ルートB)が通ったという。史上初の箱根越えで,距離は 大幅に短縮された。

江戸時代の箱根旧街道はルートDに示されている。
湯坂道に比べて、須雲川沿いの道で歩きやすい。

日帰りの旅でお奨めは「湯坂道下り」。路線バスでほとんどの登りをこなし,下るだけという 横着な旅だが,道が滑りやすいので足ごしらえは充分にしたい。
また,重要文化財の箱根磨崖仏や五輪塔を見物出来るという余録もある。

路線バスは小田原が始発だが,小田原厚木道路との合流点がいつも渋滞するので,早めに 乗車したい。(元箱根行き)。
バス会社が2社競合しているので10分〜15分間隔で発車している。渋滞を見込んでも,小一時間 で「六道地蔵」。芦ノ湯の次のバス停で,芦ノ湖に向かって下りにかかるあたりである。 右側に精進池が見える。

湯坂道登山ルート



道路際に文化庁が建てた立派な建物がある。展示の中身はコケ脅かしで内容が無いが,トイレを 拝借し,パンフレットをもらおう。

最大の磨崖仏「六道地蔵」にお堂が出来た(1998年)。六道地蔵の壁銘文には正安2年(1300年) の字が読めるという。
トンネルで戻り,すぐに「応長地蔵(火焚き地蔵)」(国指定重要文化財)。応長元年(1311年) 七月八日の銘文から製作年が推定されるという。
少し進むと,箱根宝篋印塔(重文)。文永四年(1267年)とか文永五年(1268年)の字が 刻んであるという。

箱根磨崖仏の写真(2)
箱根磨崖仏(2)


芦の湯方面に少し進むと,「二十五菩薩」。こちら側に23体と国道の反対側に3体の, 合計26体が数えられると云う。安山岩の堅い岩で保存状態が良い。銘文には永仁元年(1293年)とか 永仁三年(1295年)とかが読みとれるという。

次が,「箱根町五輪塔」(重文)(俗説曽我兄弟の墓?)。永仁三年(1295年)の字が刻まれているとのこと。

この場所に,かくも多く鎌倉期の遺跡が残されているのはなぜだろうか。いろいろと想像 出来るが,ともかく湯坂道がこの時代の交通の中心であった証であることに間違いあるまい。

箱根町五輪塔の写真

箱根町五輪塔


歴史の勉強を終え,ハイキングを開始する。文化庁の造った道はすぐに国道に合体し, しばらくは国道の歩道を進む。芦ノ湯を過ぎ,バス停「湯坂道入り口」で山下り開始。
鷹巣山に向かってだらだら登りがあるがすぐに頂上。
二子山,駒ヶ岳などが間近に見える。
急な下りを,気を付けながら下ると林道にぶつかるが,浅間山は直進。千条ノ滝(ちすじのたき) に下る道をやりすごし,わずかな登りで浅間山(802.2M)。ここの山頂はかなり広く, 弁当を食べるのに適している。

    下りは

  1. 千条ノ滝(30分)経由,登山電車「こわきだに」(15分)
  2. 宮ノ下(40分)
  3. 湯坂道をたどり湯本(2時間)
の3ルートだが,文句無く湯坂道を推奨する。山下りなので, 滑りやすい石や木に気をつけさえすれば良い。途中,石畳があったら,鎌倉期の古道だと思おう。

お奨めの季節は春か晩秋。気温が快適な上に,晩秋ならススキが連なる。
ススキの波の中をひたすら山下りする気分は何ものにも代え難い。

暗い杉林に入ると,塔ノ沢温泉が近い。

地図、1:25,000地形図「箱根」、1:50,000地形図「小田原」


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