仏跡めぐり
インド ラジギール温泉

ヒマラヤトレッキングで、幾度かネパールを訪れるうちに、ひとつどうしても行ってみたいなと思う場所に心が向くようになった。そこはネパール南部インド国境に近い、ルンビニー。想像をはるかに超える2500年前の遠い昔、釈迦が産声を上げた誕生の地である。
ルンビニ

(ルンビニ)
カトマンズから手軽に往復できそうだが、ルンビニーだけでは物足りず、そこで代表的な仏跡めぐり、誕生から入滅まですべての土地を歩いて見たいという思いが募る。
紀元前3世紀、古代インドを統一したアショカ王が仏跡めぐりをし、各地に記念の石柱を建立している。
西暦5世紀前後、仏跡から出土している墓石などに刻まれた、釈迦の生涯を見ると主要8箇所に区分できる。
また中国唐の高僧、玄奘三蔵が苦心惨憺の末に天竺(インド)を西暦7世紀に訪れ、大唐西域記にそれを書き残している。
  1. 誕生の地、ルンビニー(ネパール)。

  2. 菩提樹の下で禅定を修し成道の地、ブッダガヤ。

  3. 起居説法した霊鷲山、ラジギール。

  4. 初めて法を説いた初転法輪の地、サールナート。

  5. 最古最大の仏教大学址、ナーランダ。

  6. 生後7日目に死別した母マヤ夫人に無上の法を説いた、サンカシャ。

  7. 祇園精舎と舎衛城のサヘット、マヘット。

  8. 80歳で沙羅双樹の下で入滅、荼毘に付したクシナガラ。
以上を幾つか説があるようだが、8大仏跡と呼んでいる。

 インドやネパールを行く時、物売りと物乞いのためしつこく後追う人たち。下半身不自由な子供に、パクシーシ「お布施」と両足を抱きしめられたこともある。
そんな時に、黙って無視するだけの心の余裕がないと、これらの国を旅する資格はないといえる。

クシナガラ

(クシナガラ)

 以下、概要を述べてみる。成田発12時発のエア・インディアは所要9時間、首都デリーへ無事着陸。途中、機上からはカンチェンジュンガとエベレストが遠望できて、実に幸運だった。1泊し、市内見物の後16時30分発カルカッタ行きの急行寝台列車は、始発駅なのに3時間も遅延。ここはインドだなと我慢する。車中では、祈祷、高鼾、放屁、赤子のむずかる泣き声、弁当売りと、ホテル泊まりでは味わえない貴重な体験をする。

翌日11時30分でブッダガヤへ。有名な大塔横の、生い茂る巨大な菩提樹の下に、釈迦が禅定をしたという金剛法座がある。神聖侵すことのできないこの座へ、心ない一人の日本人が足にしたというので評判が悪い。
ブッダガヤで2泊、いよいよ、ラジギール、ナーランダを往復する。バス10時間。

 標高500メートルくらいの岩山の霊鷲山、現地名グリドラ・クータ山。頂上近く、鷲の姿に似た岩場があることからその名があり、登山道も整備され2時間程度で往復できる。周囲ぐるりと、釈迦も眺めたであろう城壁跡が、未だ崩れずに残っている。外敵から国を護り、トラやライオン等の猛獣の被害を防いだものである。

その山のはずれの一角に、ラジギール温泉がある。ほんとうは、温泉という文字はなく、土地の人やガイドに尋ねてもよく分からない。ヒンズー語では、ガラムパニ「あつい水」といったり、ガラムクンド「熱い池」ともいっている。やっと問い質したところでは、神経痛、胃腸病によく効くらしい。
インド仏跡めぐり略図
 ヒンズー寺院境内にある、付属の温泉精舎である。途中の道すがら、土産物を売る店が立ち並び、しきりに手招きする。江ノ島参道の、土産物を売る屋台のイメージである。女性用に、赤や青、紫の色鮮やかな粉を売る店もある。湯上がりに、頭の髪の分け目に付けるシンドゥールである。これは、夫が健在の既婚の女性にのみ許された、習慣である。
 がっちりとした石組みの囲いで吹き抜けの青天井、浴槽の様子が上部から丸見えである。最上段は温泉の噴きだし口で、石造彫刻の獅子や象の口から流れ落ちる。そこは、打たせ湯調で、男も女も着衣のまま浴びている。その湯が大きな浴槽へと流れ落ち、子供達の格好な温水プールとなっている。
いつもは、冷たい川や井戸水の沐浴しか知らないので、温もりのあるお湯には誰でもほんとに幸せそうな顔をしている。
 最下段の浴槽は洗濯する人たちで賑わい、わが国の湯治場と同じ風景である。うれしいのか、そんな汚い所でも囲いの中で泳ぐ子供がいる。声を掛けられて振り向くと、壺に入った温泉水を買えという。ガンジス川の聖水と同じ考えなのだろうか。私も、下着の替えを持参してきたので着衣のまま、せめて清潔そうな最上段の打たせ湯だけでもと思ったが、ついにその勇気が萎えてしまった。青空トイレに、もの珍しさでワンサと人だかりするお国柄である。釈迦や玄奘三蔵も、湯あみしたと伝え書き残し、インド最古の温泉場といえる。
タージマハール
(タージマハール)
 ブッダガヤからヒンズー教最大の聖地ヴァラナシ(ベナレス)へ、バス8時間。当地で2泊し、サールナートを往復する。バス2時間。ヴァラナシからバス7時間、クシナガラを経て、更にバス2時間、ゴーラクプールで泊まる。
 待望のネパール入国では、通関手続きに1時間も待たされる。釈迦時代と変わらない、遙か無限に広がるような田園地帯。特に国境線を引いた区分はなく、周辺で住み暮らす両国の人たちは出入国自由である。
 わが国では天然記念物に指定確実の、経文旗に彩られ霊気籠もる無憂樹の下に、笑みを浮かべた赤子の石仏が安置されている。
旅の途中、母のマヤ夫人がこの花房に手を伸ばした時、誕生したと伝えられる。単独自転車旅行の、赤黒く日に灼けたイタリア人と出会う。14箇月後には、最終目的の日本へ到着予定だと話してくれる。
 この日はバス11時間で、バルランプールへ泊まる。サヘット、マヘットへ立ち寄り、ウッタルプラデシュ州都ラックノウへ、バス8時間。深夜の急行寝台列車、7時間でアグラへ。インド最高の観光地世界遺産に指定の、ムガール帝国王妃ムムターズ・マハルの霊廟、白亜のタージマハールを見物して、デリーへ戻る。バス6時間。

(10年3月歩く)
〈注〉釈迦80年の生涯を、列車やバスを利用し2週間に圧縮してめぐるのは、
   かなりの強行程。バス所要時間は、休憩食事時間も含む。


〈注〉このページは、「新ハイキング(新ハイキング社発行)」1999年1月号
   に掲載されたそぶかわさんの紀行文を Web用に編集したものです。
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