山のレポート
丹沢のツキノワグマ


くま科、
からだが大きく、手足は太く短い。
体長120〜160センチメートル、
体重120〜200キログラム、
尾6〜8センチメートル。
毛はほぼ黒色、
胸にはV字に似た三日月形の白斑がある。
冬ごもりの間にふつう2頭の子を産み2、3年で成熟する。
昼行性で食物を探し歩き、夜は崖の縁や木洞、土穴、倒木の下に潜んで寝る。木登りがうまく、枝を折って円座というクマ棚を作る。

神奈川県でまとめた丹沢山地の、ツキノワグマの捕獲数の資料があり、年度別の集計は次のとおりである。

昭和59年(1984)

10頭

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60年(1985)

7頭

61年(1986)

6頭

62年(1987)

2頭

63年(1988)

2頭

平成元年(1989)

2頭

2年(1990)

2頭

3年(1991)

14頭

4年(1992)

0頭

平成4年以降からは、クマの狩猟を全面的に自粛してきているので本年度まで0頭が続いている。ではなぜ自粛前年の捕獲数が多いのかというと、誰が見ても来年からクマの捕獲の自粛が始まるというので、無秩序にそれっとばかりに捕獲したとおもわれる。その時行政側のクマに対して思いやりある野生動物保護対策はどうなっていたのかと、今さら悔やんでも始まらない。哀れな悲しいクマたちである。戦後からの捕獲数で最高は、昭和51年(1976)の16頭となっている。

最近の調査によると、丹沢山地つまり神奈川県下のクマの生息数は一気に激減して、約30頭前後と推測されている。中には調査のため、アンテナ付きのクマもいると聞く。その気になれば、すべて捕獲し全滅させてしまうことも可能であろう。この貴重な自然環境はヒトだけのものではなく、生きとし生きる権利あるクマが生息しない山は山でなく、魚の住まない川は下水路と同じである。狩猟を全面的に自粛規制しても、今後多めにみても40頭くらいまで増加しないのではと専門家は憂えている。分布地域の孤立化で、遺伝子の多様性の確保が必要とされている。つまり血が濃くなってきて、例えば富士・多摩・秩父等の他山域より、固体の人為的な移入が急務といわれる。

更に首都圏に近く、年間数百万の登山者や行楽客が手軽にたのしめるためワンサと押し寄せる、丹沢山地独特な地域条件が重なっている。
積雪の多い、東北地方や上信越、アルプスでは冬眠に必要な期間、これらの山域に入山する登山者数は限られている。そのために安心して穴ごもり中、出産育児に専念できるのだろう。
冬眠期間の12月から4月までのおよそ5箇月間は、容易に人を寄せつけない深い積雪の自然現象が彼らの生活圏を守っている。

それに対して、丹沢山地では積雪を見る冬期でも大勢の登山者が入山している。追いつめられた、中央部標高1000メートル前後の山域が、冬眠のエリアだといわれる。私案ではあるが、どうか安心してクマが冬眠できるように、沢あるきや道のないヤブこぎは避けて、主要な登山道以外は歩行しないよう自粛してほしい。わずかこの30年間で、丹沢山地の森林生態系は大きく壊れてしまったといわれる。クマが生息できるような自然環境を守ってやることが、私たちの暮らしや生活を守ることにもなる。

A県B町では、捕獲したクマを山に帰す「奥山放獣」をやめて、昨年からその場で処分すると変更した。クマに傷つけられる事故が発生、町民から処分しろとの声が高く、生かして戻すことに了解が得られなくなってきているという。クマも、好んでエサを求めて山里へおりてくる訳ではない。人口植林のスギ・ヒノキ等針葉樹林帯が広がり、食料源となる自然林の広葉樹林帯が激変して、クマの大好きな木の実や下生えの草木が少なく餌不足が主な理由である。C県D村の栗林では入山する時、クマを追っ払うため一斗缶を吊してガンガンと打ち鳴らし警告している。

西中国山地の個体群といわれる広島、島根、山口各県に計300頭が生息している。今後、保護してゆかないと絶滅の恐れがあり、3県では環境庁の指導で保護管理計画をつくったといわれる。鳥獣保護法の改正案が本年通常国会に提案され、また環境庁の自然環境保全審議会の答申があった。国の権限を都道府県におろして、生息数調査を充実させ生息数を望ましい状態に維持する等々、即時実行に移しツキノワグマが泣いて喜ぶような自然環境を作ってやってほしい。

けもののあしあと

けもののあしあと

1999.12.04 UP

クマのフン
種が交じる(桜の実)

フィールドサイン

医王山にて(富山、石川県境の山) 2000.09.02撮影

2000.11.25 UP DATE


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