ポルトガルからスペインへ 2003年3月の紀行
British・Airwaysが運行キャンセルとなり急遽NH(全日空)へ移動、往復ともロンドン経由でしたが行きはロンドンへ半日滞在となりました。2003年3月これからアメリカと組んでイラク戦争が始まるというのに、当地は平和で雑踏する人の流れにそんな気配は全くありません。ポストカードには、エリザベス女王と孫のエドワード王子のものは見ましたがチャールズ皇太子のものは見当たりません。
ロンドン、ポルトガルの首都リスボン間はBritish・Airwaysを利用、成田から12+4計16時間もの長い搭乗で疲れました。しかし、安土桃山時代に天正少年使節団「6名で平均年齢12歳」が訪れていますが、なんと往復2ケ年間もの船と馬の旅でした。しかも全員元気で再び日本へ帰国しています。種子島へ鉄砲が伝来した時に、わが国が乱れていたらポルトガルの植民地になっていたともいわれます。
ポルトガルは物価がわが国の1/3と安く、温暖でワインが安く食べ物の美味い所です。人柄もよく治安も良好のようです。リスボンからスペインの首都マドリッドまで1500キロの長いバスの旅でした。グラナダでは、3000メートル級の白銀のシェラネバタの山々を望み、しかも飲み水の美味な所でした。
念願のプラド美術館。手を伸ばせば届く位置に展示されている名品の数々、特にゴヤの着衣と裸のマハの絵画とのご対面、スペイン最高峰の国宝というのも当然です。輝くような絵画は手入れがいいのでしょうか言葉もありません。嬉しいことにフラッシュを使わなければ全て撮影はOKです。鑑賞時間が足りず、再訪する理由がまたできました。
マドリッドは治安が悪く、外務省の危険情報が発令されています。
日本人を狙った集団KUBISHIMEGOUTOHが多発、夜間の外出は控え、貴重品や身に着けるものは全てルームの金庫へ格納し、空身で20ユーロ(3000円)程度を持参するようにとのことです。セビリヤの万国博やバルセロナのオリンピック等で外国から大勢の質の悪い労働者が移入したことが遠因ともいわれます。
シエスタという昼寝の習慣がありこれは最高。その昼寝中には玄関の扉前に個性的なカーテンを吊るして置く。だから晩飯というか夜食が遅い。キリストよりマリア信仰が盛んで、マリアが出現してきて仰ぎ見たという人もいるそうです。
ポルトガルといえば雄鶏、これには長い話がありますが省略。
首都リスボンの銀座通り。
ジェロニモ修道院。世界遺産
ユーラシヤ大陸最西端「ロカ岬」。大西洋の荒波が高さ200メートルの断崖を洗っている
ロカ岬のプレート「地果て海始まる」、この先は奈落の果て陸があるとは当時誰も信じなかった。それなのにコロンブスは勇敢にも船出をする。
以下スペイン カーニバルへ参加する子供たち
若い娘たち
子供たち
両親がガードしている
親子づれ、覚えたスペイン語は「オラ」ヤアとかオースといった感じで使う
なんの真似、角があるから闘牛か
見物に来た若者たち
白い路地を行く赤いマントの女、絵になる
スペインの新幹線「EVE」スペイン高速鉄道の略、先頭が機関車でわが国とは異なる。時速270キロ、マドリッドとセビリヤ間472キロを2時間で走行。
マドリッド夜のコンビニ
マドリッドの遊覧バス
プラド美術館チケットを購入する列。
プラド美術館構内のゴヤのブロンズ像
プラド美術館のルーム、但し警備は厳しい
オペラ座。
レストランで、やっとスペインの蟹とのご対面。
セビリヤ、ヒラルダの塔より闘牛場を望む。
中世へ戻ったよう。
オリーブ畑から3000メートル級の白銀のシェラネバタ山脈。
ラ・マンチャ地方の風車、風下側には支え棒がある。
ご存知ドンキホーテ主従。
エボラにて風見鶏。
グラナダの世界文化遺産、アブハンブラ宮殿へ向かう中高年の観光団、 若者が少ない。
その他 ロンドンで購入したイギリスの絵葉書