氏 名:ヘンリー・スタッヒルド・真島
年 齢:66歳
現住所:東京都文京区
ヘンリー・S・真島。コンピュータ・テクノロジーのエキスパートとして来日し、以来40年エキスパートであり続け、齢60をはるかに越えた現在も現役のビジネスマンである。
来日以来祖国へ帰ったのは一度きり、30年程前に日本人の女性と結婚し日本国籍を取得している。来日時には「こんにちは」「ありがとう」のみだった日本語ボキャブラリーも増えに増え続け、職場では、お寒いギャグなども日本語で飛ばしている。
さらに、隣人に誘われて書道教室などに通っていたのでなかなかの達筆でもある。当初は師範も声を失うほどに味のある見事なカナクギ流であったが、数年でその味わいは失われてしまった。残念なことである。
長身痩躯、目は青い。来日当時は豊かに頭全体を覆っていた金髪はバーコードとして数十本を数えるのみとなり、少し前屈みに歩く。ズボンの折り目は少々くたびれており、ズボンの中は愛用のクレープのステテコである。もちろん、冬にはラクダを着用する。つまりオヤジなのだ。時折堂々とベルトを外しズボンをたくし上げる仕草など立派な純国産、メイド・イン・ジャパンのオヤジである。
会議に出席するときの雄姿、とりわけ母国語で発言する際のカッコヨサなど、凡人にはとうてい想像もつかない。
そもそも、母国語などはとうに忘れているかのように思えるヘンリーおやじだが、母国で20数年にわたり培われたネイティブの語学力は伊達ではない。
下田に来航した黒船もかくやというインパクトでまくしたて、さらにマシンガン並みのスピードで並べ倒される専門用語の数々に相対しては、鋼鉄以上の堅さを誇るCEOの頭脳をもってしても、首を縦に振る以外に道はないというからこのオヤジただ者ではない。
しかし、日常のヘンリーおやじは単なるオヤジである。赤提灯の居酒屋のど真ん中の席に座っていたところで、少しも違和感がない。そもそもこの赤提灯、居酒屋というのをヘンリーはこよなく愛している。居酒屋ドリンクはビールで始まり、日本酒で締めくくるという純日本式であり、たるんだ刺身に舌鼓を打ちつつ楽しむ居酒屋タイムは、彼にとって一つの極楽でさえある。焼き鳥の串に横から食いつき口一杯にほおばると、怒濤のごとく至福が押し寄せて来るらしい。
彼の同僚の殆どは数年前にビジネス界を引退し、第二の人生を歩み始めている。同僚であった頃には居酒屋で愚痴をこぼし合うという日本式宴会に馴染めず、酒席を敬遠しがちであったヘンリーだが、何故か現在では年に数回、この元同僚達と酒を酌み交わしている。もちろん、いつもの居酒屋でである。
ネクタイをゆるめて、まずビール。音を立ててジョッキをぶつけ合い「カンパーイ」の発声もここ数年はヘンリーの役回りになっている。当然のことだがヘンリーは酒が強い。日本人とは体内のアルコール分解酵素の量が違うから、泥酔するということがほとんどない。やはりこの辺は外人である。また、元々の色白のせいで、アルコールが入ると劇的に赤くなる。頭のてっぺんまでいきなり真っ赤に染め上がる。
元同僚達はつまみにタコを注文しない。ヘンリー自身も生まれて以来タコやイカは口にしたことがない。しかし、イナゴの佃煮は来日して以来の大好物である。
ビールのジョッキを干し、日本酒へ移行する頃にはウルメのひものを囓り出すヘンリーおやじ。居合わせた誰にも違和感を感じさせず、完璧にこの和風シーンにはまっている。
この店の大将などは、「ヘンリーさんの本名は何と言うのだろう」と常々、オヤジ達の会話に聞き耳を立てている。ヘンリーさんは日本人であると勝手に信じ込んで10数年にわたり、聞き耳を立て続けている。大将の思いこみは死ぬまで続くであろう。
年寄りは夜が早い。したがってお一人様一千数百円也のワリカン勘定をすますと、元同僚の面々は思い思いに帰途につく。この時分にはおやじたちのネクタイはポケットの中へと移動している。ヘンリーおやじのネクタイも例外ではない。
ほろ酔い加減で帰宅するヘンリー、迎えに出た妻と「ただいまハニー、会いたかったよ」「おかえりダーリン、愛してるわ」、チュッ! ブチュッ! と結婚以来一日も欠かしたことのない挨拶を交わす。もちろんどちらかが旅行中などの場合は欠かすのだが、それでもゆうに5000回程はこの挨拶を交わしたであろう。
ワイシャツとズボンを脱ぎ捨て、ランニング・ステテコ姿でドッカとあぐらをかく。これもまた、至福の時である。
寝室にはすでに、せんべいぶとんの寝床がしつらえられている。ちなみに、せんべいぶとんの使用は腰痛防止のためであり、彼の経済力故の選択ではない。
「メシ」「フロ」「ネル」と三言発して、せんべいぶとんにもぐり込んだヘンリーおやじ。
すこぶる平和な日常である。