玉木 正之先生
プロフィール
1952年4月6日、京都市生まれ。
京都市立新道小学校卒業。洛星中学・高等学校卒業。一年の浪人生活の後、東京大学教養学部に入学。
3年後に中退。大学在学中から新聞(東京新聞)で演劇・音楽・映画評、コラム等を執筆。
ミニコミ出版の編集者等を経てフリーの雑誌記者(小学館「GORO」)になる。
その後、スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として活躍。鎌倉に在住で、現在(財)鎌倉市芸術文化振興財団(鎌倉芸術館)の理事も務める。
<スポーツに関する著書>
「不思議の国の大運動会」
筑摩文庫
他多数
<野球に関する翻訳書>
「和をもって日本となす」
R.ホワイティング著

角川書店・角川文庫
<音楽に関する著書>
「クラシック道場入門>
小学館

<小説>
「京都祇園遁走曲」
文藝春秋・文春文庫
(1996年5〜6月にNHKドラマ新銀河にてテレビドラマ化された。タイトルは「京都発・僕の旅立ち」)
その他、新聞、雑誌、インターネットの連載多数。

 

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なだいなだ先生講演会(H9.6)

養老 孟司先生の講演(H10.6月)

香山 リカ先生の講演(H11.1)

平成9年度第2回研修大会記念講演

講師:玉木 正之先生

演題:「からだの教育 こころの教育」

この講演は平成10年1月に鎌倉芸術館小ホールにて行われました。その時の講演の録音テープをおこして原稿を作成し、玉木 正之先生に御了解を得て、このホームページに掲載しています。

 

僕には3人の子どもがいます。しろやま幼稚園に都合7年間にわたってお世話になりました。その頃私は30代で、スポーツライターとしてボクシングの仕事だ、オリンピックの仕事だと駆け回っている頃でした。

幼稚園の行事があって、参加してみて驚いたのが、運動会でした。この時運動会というものにあらためて新鮮な驚きを持ちまして、それをきっかけに、いろいろ調べてみると、おもしろいことがわかったのです。

小学校、中学校、高校と、もちろん運動会はやりましたし、僕は京都の出身なのですが、町内運動会というのもありましたが、あらためて、運動会に接しますと、子どもがやるわけですからちょっと客観的ですよね。「ほほう、これが運動会か」と思って眺めてみますと不思議な事だらけで、なんで前の日にお母さんが(私にとっては女房ですが)あんなに一生懸命弁当を作るのか。あれは運動会だけですね、文化祭では作らないですね。

運動会となると、なんかこう、お重にご馳走を盛ったりとか、爪楊枝に旗がついていたりとか、見栄えにまで一生懸命になるのですね。それで、前の日の晩は、その残りを食べたりするのですけど。とにかく運動会だからといって、一生懸命お弁当を作る。これは不思議ですね。

他にも不思議な事がありますね。「パン食い競争」は誰が創ったのでしょうね。あれは、なんでオリンピックの種目にならないのか。最近ちょっと僕もパン食い競争には不満がありまして、あのビニール袋は取ってもいいのではないかと思うのですが。「マシュマロ食い競争」も、誰が考えたのかわからないですけど、そういうのもあります。

また、幼稚園の競技にはあまり無いですけど、「騎馬戦」「棒倒し」これもおかしなもんですね。「フォークダンス」はなんで運動会の中でやるんですかね。

それから、「仮装行列」なんていうのもありますね。企業の運動会等だと必ず仮装行列があって、それがメインイベントになったりしている。

オリンピックの陸上競技と比べたら、違いが歴然としてますね。オリンピックでスプーンレースでもやると日本もメダルが増えたりするかなという気もするのですけれど。それになぜか皆さん一生懸命やるんですね。

障害物競走なんかにしてもそうですね。僕も何度か参加させてもらいまして、梯子をくぐらなきゃいけない時、相当にビビリましたけれども。でも仕方がない、子どもが見ているもんで。

また、父の日なんかでは親子でいろいろやらされる。やらされると言っちゃいけませんね、喜んでやったんですけど。それで、手をつないで走って最後に「子どもを抱っこしてゴールイン」とかっていう時に、なんであんなに懸命に走るんですかね。目の前で子どもを抱きながらゴールと同時に倒れたりした人までいましたけれども、なぜか燃えてしまうんです。

世界中にこういうイベントは無いです。はっきり言ってどこの国にも無い。「大玉ころがし」なんてやってる国はありません。シカゴに松下電器がありまして、労働者に「なにか親睦を兼ねて福利厚生を」と思って運動会をやった。日本から、大玉転がし用の大玉とか、梯子だとか万国旗だとかワンセットあるらしいですけれどもそれをわざわざシカゴに持ち込みまして運動会をやったら、これがバカ受けしたのです。アメリカの人たちは「スプーンリレー」なんていうのをしたことが無かったでしょうね。これが楽しくって仕方がなかった。

そういうのを子どもの幼稚園の運動会で改めて見て、つくづく不思議だなぁと思って、なんでこんなものが生まれたのだろうと調べてみました。これが結構、日本の歴史の上で象徴的な出来事なんです。もちろん明治時代に始まったものなのですが。明治29年に、当時の森有礼という有名な文部大臣が横浜の外国人居留地で、アスレチックゲームスを見る。このアスレチックゲームスというのは今のオリンピックの陸上競技のようなもんです。走り幅跳び、三段跳び、走り高跳び、100メートル、200メートル、リレーがある。

そして、「ああこれはすごい。これは体力をつけるのにすばらしいから、全国各地の小学校、中学校で、運動会をやりなさい」という文部省令を明治29年に出したのです。お役所仕事というのは、これはいつでもそうなんですけれども、出す方は簡単、出された方は大変。

何しろ当時の小学校、中学校というのはまだ、生まれたばかり。おまけにまだ、日本の7割の方が農業に従事している、農繁期には学校は休むのが当然というような学校です。まだ校舎すらきちんと無い。ましてや運動場なんてどこにも無いんです。その運動場が無いところで「運動会をやれ」と言われて、言われた方の校長先生方はみんな困ってしまいました。

そこで、いくつかの学校が集まって、「連合運動会というのでかまいませんか。」と文部省に言ったのです。文部省は、「それは仕方ないだろう。連合運動会でもかまわないから年に一度運動会を挙行するように」ということになったのです。

それでOKになったのはいいのですが、今度は場所の問題。運動場が無かったのですから、どこか遠くまで行かなければならない。おまけに、その広場はどこかの河原だったりするわけです。

もっと良いのは神社やお寺の境内のスペースですが、そこでやろうというときには許可が要るのです。神社の氏子の人達とか、お寺の檀家の人達に許可をもらわなければならない。そしたらその許可をもらう時にどうしようか。

それで今の言葉で言う地域住民参加ということを考えたのです。そこで、すぐに生まれたのが「パン食い競争」。これは見事ですね。当時は「ブタ追い競争」というのもあったそうです。これは今日廃れてしまいましたが。これはまあ、ブタの事情だと思いますが。パン食い競争はその後マシュマロ食い競争とかコーラ飲み競争とか形を変えて今日まで続いているわけです。

これは地域住民参加というところから始まったものだったのです。そのうえ、神社やお寺を使うという事になりますと、「だったら、夏祭りか秋祭りと一緒にしてしまおうか」という事になった。そこで、真ん中にやぐらを組んで周りで盆踊りか豊年満作踊りをやった。これが、フォークダンスのルーツですね。

ですから、時々幼稚園や小学校で、民謡を使った日本的な踊りをやったりするのはあれは運動会の歴史に、かなりのっとった古式豊かな催しなのです。フォークダンスよりは歴史的に古いのです。

そんなふうにして、連合運動会が何度か行なわれるようになった。もう一方で、当時明治29年の頃というのは自由民権運動が盛んになっていた時期だったのです。自由民権運動が盛んになると共に弾圧も激しくなった。

新聞紙条例とか集会条例といった法律ができ、自由民権の志士たちは集会も開けなくなった。6人以上集まるとすぐに逮捕だと官憲が出て来る、仕方がないので自由民権の壮士たちは、壮士運動会というのを始めた。

「あの連合運動会が結構人気があるようだ。そしたら俺たちも運動会を創ってやろうじゃないか、運動会なら集会じゃないんだから弾圧はされないだろう」というので創ったのが壮士運動会。

そこでやっぱり種目を考えたのですが、その時出来たのが、「圧政棒倒し」だとか、「政権争奪騎馬戦」で、そういう形で棒倒しや騎馬戦が誕生した。以前、日教組の人達が「棒倒しや騎馬戦が危険なので子どもにはやらせないようにしましょう」と言ったことがあると聞いて、僕はびっくりした。「わかってないなぁ、政権を取る気がないんだなぁ」というふうにも思ったのですが。

まあ、伝統というのが永く続きますとルーツというのは忘れ去られる。そんなもんだと思いますが、騎馬戦とか棒倒しというのはそういうもんだった。

さらに、壮士運動会の中で、自由民権運動の壮士たちはデモンストレーションをやった。「薩長藩閥内閣打倒」だとか「民選議会を設立せよ」とか言って、集まった人達の前で、デモンストレーションをした、これが仮装行列のルーツなのです。だから、運動会の中で仮装行列が行なわれているというのはかつての自由民権運動の名残であった。

最近ではお相撲さんの運動会で、お相撲さんが女装をしたり、プロ野球選手とかも見ていて気味の悪い仮装をやっていますが、ああいう変な格好をするというのは、もともとはみんなデモンストレーションからきた。そのような壮士運動会と、先ほどの連合運動会。

あっ、連合運動会で、一つ言い忘れたことがありました。連合運動会をやるとなるとどうしても遠くまで行かなければならない、そこでお弁当作りが始まり遠足の要素か入ったのです、それが今も残っていまして、運動会になると良いお弁当を作ろうという事になっているんですけれども。

この壮士運動会と連合運動会が一緒になって今日の運動会に繋がってきているわけです。

これは、日本人はすばらしいなと思う出来事だと思うのです。それはどういう事かと言いますと、明治時代に入って日本人というのは遊べなくなってしまったのです。

明治時代より前の時代の日本の文化を見てみますと非常に豊かな遊びの文化が生まれている。世界でも一番遊び好きで、遊びのうまい民族が日本人ではないかと思うくらいの文化があるわけです。

あらためて言うまでもなく、「能」にしろ「狂言」にしろ「歌舞伎」にしろ「浮世絵」にしろ「読み本」にしろ、これが日本の文化の場合には全部「庶民の文化」なのですね。もちろん、平安時代に生まれた和歌のように貴族から生まれているものもありますけど、庶民の中からこれだけのものが出ている、それも早い時代に、というのは世界的にも珍しい。

もうすぐ長野オリンピックが始まりますけど、19世紀の終わりに、オリンピックが始まりましたが、歴代の会長を見てみますと全部貴族です。おととしローザンヌにあるオリンピック博物館に行ってIOCの歴代会長の名前を見たら、一番上にバロン・ド・クーベルタン、それからいろいろ並んで、現在がマルキ・ド・サマランチと書いてあり、やはり貴族です。

遊びの文化って言うのは、お金と暇のある人から生まれてくる。だから、貴族から生まれて、下に来るというのが多いのですが、日本の文化というのは、庶民の方から山ほど遊びの文化が生まれている。

平安時代の終わりに「遊びをせんとや生まれけむ」という歌謡が当事の都の京都で流行しているわけですね。「遊びをせんとや生まれけむ、たわむれせんとや生まれけむ、あそぶ童の声聞けば我が身さえこそゆるがるれ」こういう事を一般庶民が言った、それも12世紀という時代に。

そういう国というのは世界中探してもちょっと無いですね。ヨーロッパに観光とかで旅行された方も少なくないと思いますけど、あそこにある文化遺産というのは全部貴族のつくったものです。

そんなふうにして、日本人というのは明治時代に入るまでずっと庶民の遊びの文化というものが豊かに息づいていた。ところが、明治時代になって黒船が入ってきた瞬間、遊んでいられなくなくなっちゃった。

そこから、「働き好き」の日本人が生まれちゃうんですね。よく日本人は働きすぎだとか、日本人はまじめで、遊びがヘタで、レジャーがうまく出来ていない、とか言いますけど、それはたかだか明治からの話であって、それ以前の日本人というのは本当に遊ぶのがうまかった。

それで、明治時代に入って遊ぶことが出来なくなって、今、大河ドラマでも徳川慶喜をやっていますが、「これは大変だ、日本はどうなるんだろう頑張らなきゃいけない、欧米列強に追いつけ追い越せ」と言っているときに西洋からいろんな文化が入って来る。

その文化の一つに「スポーツ」っていうのがあったのです。スポーツっていうのは、はっきりいえばこれは遊びです。もう遊び以外の何ものでもない。

高野連の会長がなんと言おうが遊びです。「高校野球は教育に良い」とか言っていますが、基本は遊びなんです。野球が教育なわけではない。教育的な面はある、それは遊びに教育的な面があるだけであって、基本は遊び。

ところが、そのスポーツが「遊んではいられない時」に西洋から入って来てしまった。だから、野球も遊びでなくなってしまった。精神を鍛えるものになってしまった。そこから精神野球というものが始まった。

そんな中で、運動会というものを遊びとして創り出した日本人はすごいですね。運動会のプログラムを子どもが持ってきた時にあれを見ると、はっきり言って支離滅裂ですね。最初に全員で体操かなんかしますね、その後にフォークダンスがあって、その後100メートル走があって、綱引きリレーがあって、その後に老人参加のスプーンレースがあったりして、「いったい何のために何をしているのか」さっぱりわからないですよね。それで良いと思うのです。

もうこんなに楽しい事は無いというだけですから。おまけに万国旗なんて張ってあるんですよね。なんで万国旗を張るのかよくわからないですけど。

とにかく「面白けりゃいい」という日本人の庶民の遊びのエネルギーで、先ほど言いました「文部省の一方的な命令」と「自由民権運動」という、この二つだけで生まれてきた。

この遊びのエネルギーはすばらしいのですけれども、一方で明治時代に野球までも精神野球にしてしまった、というような流れも生まれたわけです。野球が精神野球になるだけならいいんですけれども、スポーツそのものも変わってしまって、スポーツが体育と呼ばれるようになってしまった。

体育とスポーツって言うのは意味が全然違うんですね。「体育」っていうのは英語で言いますと「フィジカルエデュケーション」、要するに身体教育。「スポーツ」っていうのはこれは万国共通語になっていて、今ではあらゆる国で「スポーツ」という言葉を使っているんですけれども、これは元々ラテン語で「デポラターレ」という言葉だったのです。

「デポラターレ」っていうのは、今の言葉で一番近いのが「レジャー」、遊びそのものですね。この「デポラターレ」が「ディスポルト」に変わって「スポーツ」になったのです。「ディスポルト」っていう言葉は面白い言葉で、「ディス」っていう言葉に「ポルト」が付いている。「ポルト」っていうのは、港です。「ディス」は否定する言葉。港じゃない所、っていうと荒海なんです。荒海では日常生活はおくれない。

非日常的な空間のことを「ディスポルト」って言う。だから、「非日常的な祭りの空間、遊びの空間、いつもの日常の仕事じゃないとき」って意味が「ディスポルト」それが「スポーツ」って言葉になった。

だからはっきり言って、さっき「スポーツとは遊びです」と言ったのはそういう言葉にも表れているのです。ところがそれを「スポーツ」という言葉がなかったもんで、「体育」と置き換えちゃった、あるいは「運動」という言葉もありますけど。

「体育」って言葉に置き換えたもんで、それがずっと続いているんです。だから今度、神奈川県で国民体育大会がありますけど、それも「ナショナル・スポーツ・フェスティバル」って英語では呼んでいるのを日本語で「国民体育大会」と呼んでいる。「スポーツ・アンド・ヘルスディ」これは体育の日ですね。でも英語で言うと「スポーツ・アンド・ヘルスディ」になるんです。

体育の日だからって、国立競技場に集まって、なんで反復横飛びやらなきゃいけないのか。せっかくの祝日に反復横飛びやドリブル走をしたりってどこが面白いのかって僕は思うのですが、そんな事をするくらいならボケっと散歩でもしたほうがいいのに。でも体育の日ですからね、文部省ってのは体育局しかありませんから、体育として考えている。

それでまあ、そういう体育っていう身体教育が、明治時代に思いっきり前面に出てきて、今日まで結構残っている。これが残っている結果、この前ある大学のラグビー部があんな暴行事件を起こしてしまったのです。あれも「体育会」の結果ですね。決してスポーツじゃ無いんです。

なんであんなひどい事件が、別に具体的に言わなくてもご存知かと思いますが、起ってしまったのか。あとは、アイスホッケー部の部員も同じような事件を起こしてしまった。大学の体育会系というと何か「恐い」っていう印象も強いわけですね。

はっきり言いますけど、何か体ばっかりでっかくって、脳みそが全く無くって、体育会系というとそういう所ではないかって思われてしまってる。なんであんなふうになってしまったのか。

スポーツそのものは、先ほど言いましたように非日常的で、ある意味で非日常的ということは反社会的なんですね。反倫理的といってもいいんです。

それはなにかっていうと、スポーツをまともにやっている人の態度とか動きを見ていると非常に良くわかりますね。例えば、今度フランスのワールドカップに出る事になりましたけれど、日本代表選手の中で一番人気の中田、彼なんか反社会的でしょ。ご存知ですよね、中田って選手。今、「ウノ」っていう雑誌の表紙にもなっているので、モデルと間違われている方もいらっしゃるかもしれませんが、中田選手は二十歳そこそこなんですけれども、自分よりずっと年上の三浦和良という大ベテラン選手を「カズ」と呼ぶ。まあ、みんながカズと呼んでいるのでカズはいいのですけど、後ろでバックで守っている井原選手にも試合中に「イハラ」という。

これは体育会系の世の中では許されない事なんですけれども「井原さん」とかって呼んでるよりも、ボールをまわしている時には「イハラ」って呼んだ方がいいんですね。短くって済むし。それに、ここで勝つか負けるかって大事な時に、年上を立てたり、お世話になっている人に恩を感じたりとか…。

でもそんなふうにしてプロ野球の選手はやっているのですね。ここで、こういう事をしたら、あの人に怒られるから、出世出来なくなるからということもあるんですけれど、本当はスポーツってのはそういう事では一切出来ない。これははっきり言いまして反社会的です。でもそれが許される。なぜならば、それは日常とは違う非日常の世界だからです。

逆に言いますと「そういう反社会的な、先輩も後輩も何も無い、実力だけで全部が決まるそういう世界、そういう世界がスポーツの世界なんだ」っという事がわかれば、今度は日常の社会がどんなものかという事もよくわかる、そういうふうに思うとスポーツっていうのは、きわめて教育的なものなんですけれども、明治時代にスポーツを輸入した人達はそれは嫌だったのですね。やっぱり。長幼の序は守らなければならない、年功序列っていうものも頭にあったでしょう、礼儀を守らせなければいけないって事も頭にあったでしょう。そういう事でスポーツの世界の中に、人間社会の普通社会の秩序というものを思いっきり入れちゃった、それが体育になっちゃった。

先輩、後輩。本来そういうものを、受入れられないスポーツの世界の中に、無理して入れるわけですから、余計にそういう意識が強くなる。なんかスポーツっていうと先輩後輩の秩序が一番だと思っていますけれど、本当は今言ったように逆なんです。実力の世界がスポーツなんですから。そこに先輩後輩っていうの入れちゃうと全く強くなる。これが強くなりすぎてしまって、先輩がタバコ持ったら火付けなきゃいかん。「銀座のホステスじゃないんだから」って言った人は大学の体育会を辞めなきゃいかん。

そういう人が、落合っていうプロ野球選手ですけれども。実際、彼は東洋大学で先輩にマッチで火付けるのを拒否して、中途退学した人です。そういう世界になってしまうのです。

もともと無理なところに無理なものを持ち込んだ、スポーツという世界にそういう秩序を無理矢理持ち込んだ、それが体育の世界になっちゃった。その体育の世界っていうのが結構今まで常識で続いているんですね。常識で続いているんで、僕らみたいに普通にスポーツを語っていると、なんかおかしい事を言っているみたいに言われてしまう。

例えば高校野球で、試合が始まる前にホームプレートの前に並んでお辞儀しますね、あれは高校選手らしいとか礼儀正しくやりましょうって、あれやっているのはもちろん日本だけですけれども、あれは誰が決めたのか。試合の前にホームプレートの前に並んで礼をしましょうって誰が決めたのか、たぶんご存知の方はおられないと思うのですが、あれは朝日新聞社が決めたことなんです。

別に学校の先生が決めた事でもなければ、野球部の人が決めたわけでもなく朝日新聞社が決めたことなんです。なぜ朝日新聞社がそういう事を決めたかっていうと高校野球、(当時生まれたときは全国中等学校野球大会だったのですけれど)それを始める直前まで野球害毒論という大キャンペーンをやっていた。

「野球とその害毒」というこれは執筆陣もすごかったんです。学習院院長乃木希典(日露戦争の大ヒーローですが)、第一高等学校校長新渡戸稲造、という人達が「野球がいかに害毒か」ということを書きまくったんです。「野球という競技は常に次の塁を盗もう盗もうとしている、あれは巾着切りの遊戯である」と書いているんです。「巾着切り」というのはスリのことですが。乃木さんなんか「ボールを左手でバンバン受けているとその振動が脳に伝わって頭が悪くなる」なんて書いている。「野球をやっていると終わった後に牛鍋屋によく入って風紀が乱れる」こんなことを半年間延々と朝日新聞がキャンペーンをやりまっくた。明治の最後の年です。新渡戸稲造なんかが、名文達筆で書いたのです。

それに対して「野球っていうのは、逆に教育に「いい」と言う人たちも現れ、その結果、今日福沢諭吉が一万円で、新渡戸稲造が五千円ですから、野球ってものがいかに日本人に受け入れられたかは火を見るより明らかですけど。

まあ、そんなことを朝日新聞がやったのでよけいに野球の人気がでてしまって、「これはイカン」というので、手のひらを返しちゃったのです。

これまで、野球は教育にイカンイカンと言っていた新聞が「野球はすばらしい」と。自分が中等学校野球大会を主催するわけですから、そうしたらもういかに野球が教育に良いか書かなきゃいかん。まあ、マスコミっていうのはそんなもんですね。

それで、それを書いちゃった。その時にいろいろ考えた、教育に良いように見せるにはどうしたらいいか。だったら、整列させて礼させよう。それだけの事だったのです。

同時に決められたことが優勝チームにコンサイスの英和辞典を渡す、っていうのがありましたけれど、優勝してコンサイスの英和辞典を貰う事のどこが教育的なのよくわからないですけど。

そういうふうにして始まった野球が大正7年に米騒動が起ったので、予選をやったはいいけど決勝がやれないという事態になったしまった。さあ困った、こんな時に野球なんかやってられない。そこで、当時の大阪朝日新聞の長谷川如是閑という人(大ジャーナリストとして知られている人ですが)が健筆をふるいまして、「父母の苦しんでいるときには子供も連帯して責任を負うべし」。

ここから出てきたのですね、連帯責任というのが。これが体育会系の金科玉条のように信じている「連帯責任」、あなたがミスしたら、僕も一緒に、貴様と俺とは同期の桜、ほとんど軍隊ですけれど。

最初の米騒動の時には、そういう気持ちで長谷川如是閑が書いたとは思えない、やっぱり甲子園大会に出場出来なかった子供たちはかわいそうだけど、父母も苦しんでいるのだから、おまえたちも我慢しろと言う意味で書いたに違いないんですけれども、その時書いた、「連帯して責任を負うべし」という一文だけがその後大きく大きくなってしまい、同じ学校でタバコを吸っているだけで、甲子園に出られなくなる、だったらそれをチクルやつが出て来る。そういうふうに体育会の秩序が生まれてくる。

それで、この前のアイスホッケーの事件なんか、アイスホッケー部員の起こしたレイプ事件で、なんで女子の選手が辞退しなければならないのか、それを学長という立場にある人が、長野オリンピックに出るのを辞退するように勧告したっていうのです。後で撤回しましたが、レイプ事件で、女性に連帯責任を負わせようとする考えを一瞬とはいえ持ってしまうくらい、そういう連帯責任というものが生まれてしまった。

それが、スポーツをスポーツでなく体育にしてしまった結果なのです。そういう体育ってものが生まれたときに、運動会が生まれた。

常に話は運動会に戻るわけですが、運動会を創った日本人に「江戸時代以前の遊びの感覚を持っていた」ということをすごく感じます。

これは、こじつけて言うわけでもなんでもなくて、これだけ運動会の事を調べられたっていうのは、幼稚園に子どもが行って運動会をやっているのを見て、久しぶりに見た運動会が「これは不思議だ」と思ってたところから始まったわけです。だから、本当にしろやま幼稚園には感謝しているわけです。

それともう一つ幼稚園で、運動会の他に驚いたことがあるのです。それは、「子供たちが体を使う」っていうことです。例えば、先生が何かをやろうとすると、「ハイ、ハイ、ハイ」と手を上げる、中には先生に触りに行かないと気が済まない子どももいますよね。

とにかく体を動かす、父親参観日に行ったりして見てますと、朝から昼過ぎまでずっと体育の授業あとは音楽の授業をやっているようなもんですね。要するに、体を使わない授業っていうのは幼稚園には存在しない。それは、動き回っているっていう事だけなんですけど、歌を歌う時でもじっととしては歌いませんからね、何故か上下にこうして動かしている、その動かし方も子どもによって微妙に違っていて、これは、体で表現しているんですね。

体でコミュニケーションしているんです。これは、頭が未熟だから体で表現しているのだと思ったのですが、よくよく考えてみると、どうもそうではないんじゃないか。大人になったら、頭が発達するんで、言葉でいえばわかるので体の方は無くなっていくのだと思っていたら、どうもそうでもない。むしろ、大人になると体のことを忘れてしまうのではないか。忘れるか、無理して否定するか、あるいは無視するか。それの最たるものが最近流行しているダイエットですね。

あれははっきり言いまして心による体の支配です。言ってみれば日本の自然のままの川にダムを造るようなものです。最近、ダムを造ると土砂を溜めるだけだと言われてますが、エジプトのナイル川のアスワンハイダムという巨大なダムを造った頃は、すごいすごいと言われ、発電量も世界一で、大きな神殿が人造湖に沈むのでそれを移してまで、造ったでっかいダムのために、今ナイル川が氾濫しなくなった。氾濫しなくなると土が痩せてくる。すると住む動物が変わってくる。穀物が穫れなくなる。大変な問題が、ダム一つで起こってくる。

今、ダイエットをやっている人達も、精神で肉体を支配しようとしている。「太っちゃいけない」というのでダムを造っている。これは、聞いておられる方が、「単に太っているやつが、詭弁を弄しているな」と思われるかもしれませんが。ただ、太ってみると太ってみるなりにいろんなことに気づいてくる。結構そういう面もあります。物事を考えるっていうのは我田引水から始まる。ああなるほど、お腹が出ると重いものだなとか、女房が妊娠した時もこの程度だったかなとか、それは違うかもしれませんけれども。

「どうも大人になると体っていうものを無視したり支配したり、子どものように自由にのびのびと動かしたりしなくなってくるのではないか」ということを考えたのです。それで、体の事、体の教育ってことをもう一度考えなおしてみようと思いました。

さっき幼稚園は体育の授業ばかりではないかということを言ったのですが、実は大きな誤りでして、小学校に入ると体育の授業はがらりと変わってしまうんですね。
幼稚園の時は、ただ思い切りはしゃいだり、走ったり、ブランコに乗ったり、シーソーに乗ったり、ジャングルジムに乗ったり、滑り台を滑ったり、というように体で表現していたことが、小学校に入ると、前へ習えという体の動かし方になってしまう。それから、憎むべき鉄棒というのが始まる。逆上がり、逆上がりのために学校を休もうと思われた方がこの中にもたぶん何人かおられるかもしれない、何人じゃ済まないのではないかなぁ。

なんで逆上がりをしなければならないのか。それから、「体力テスト」っていうのがありましたが、あれはなんでソフトボール投げしなければならないのか。僕も野球とかはよくやっていたので、ボールゲームには自信があったのですが、鉄棒に自信が無くて逆上がりがなかなか出来なかった。これは、結構辛いもんがありました。

それから、「跳び箱」。なんで跳び箱跳べなければいけないんですかね。別に跳べなくても日常生活、社会人としてもなんの不都合もないですよね。大人になって、逆上がりができないために、困ったという人がいたら手を上げて頂きたいのですけどね。

僕が文部省の人と一緒にシンポジウムやった時も、文部省の人に言ったのです、「なんで、逆上がりをやらせるんだ」そしたら、「一つの目標を持って、それを達成したときの達成感を得るその努力の過程がどうのこうの…」って言うんですよ。なにも逆上がりでなくってもいいじゃないか。一つの努力をして何かをやり遂げるというのなら、プラモデルでも構わないだろう。人がそれぞれ何かを選んで、俺は逆上がりって言う人はやればいいし、そうじゃないって言う人はそれでいいのに」と言うと「そういう努力の経過が大事で……」、「努力の経過が大事なら、内申に入れるなよ。逆上がり出来なくっても構わないじゃないか、なんで点つけるんだ。」っていうような事を、散々言ったけれど、答えが返ってこなかったのです。

実際に、3、4年前の熊本で「全国レクレーション大会」というのがあった時に、文部省の人と一緒に行きまして、壇上でやりあってしまったのですけれども、答えが返ってこなかった。返ってこなかったら、自分で考えるより仕方ないので、なんで逆上がりをしなければならないのか、代わりに考えてあげた。

逆上がりと共に、中学でよくやらせるものに、懸垂というのがあります。逆上がりも懸垂もだいたい基本は一緒ですね。要するに「うでぢから」なのです。うでぢからで、自分の体を持ち上げる。こういう事をなぜやらせたのか。いつ頃からやらせ始めたのか。遡って考えましたら、やはり明治時代なのです。明治時代の体育の授業。

「何の為に」って言うとこれは「強い兵隊を作るため」なのです。要するに、自分の体を持ち上げる最低の腕力というものが、三八式歩兵銃を簡単に扱える腕力なのです。自分の体を自由に出来れば銃を扱える。それが基本で、鉄棒というものが学校教育の中の体育の授業に取り入れられ始めた。

跳び箱は進軍のための身軽さを作る為。そしたら、「ソフトボール投げは?」というとあれは戦前「手榴弾投げ」だったのです。手榴弾投げがソフトボール投げに替わっただけなのです。ソフトボール投げを昔は手榴弾投げにしていたのだと言う人がいるかもしれませんが、全く反対です。なんでそんな事が今も残っているのかっていうと、ソフトボール投げで30何M、あなたは40何M、40何Mの人が30何Mの人より偉いのか、なぜ40M投げなければいかんのか、それが手榴弾だったら話がわかるのです。相手を攻撃するためですから。ソフトボール投げても仕方ないんです、そんな物は。

ところが、戦前にやっていた手榴弾投げ、あるいは三八式歩兵銃扱うという腕力をつける懸垂、これが戦後まで残ったのではないのです。東京オリンピックの頃から復活したのです。それまでの体育の授業っていうのは、戦後どうしていいかわからなかった時期があり、ちょっとした空白の時期があるのです。

考えてみたら、スポーツというのは戦争と非常に密接に繋がっていまして、兵隊の体力作りというものと共に発展してきたと言ってももいいことは事実なのです。それこそクーベルタン男爵がオリンピックを始めたというのが1896年なのですけれども、その10年前位から、フランス人の体力を向上させなければならないということをクーベルタンが思った。何故かというとプロシアシアとフランスの戦争にフランスが大敗してしまった、このままではフランスはダメになってしまう。大勢の負傷兵が居て、大人の男はほとんど働くことが出来ない。というところで、女性運動も同時に盛り上がって来るのですが、その時にクーベルタンは体力というものを考えた。

また、イギリスで多くのスポーツの基本的なルールが決まったのですが、これもまた、イギリスの植民地支配と共に発展した。ですから、ケンブリッジとかオックスフォード大学で、必ずラグビーをやったり、ボクシングをやったりする。これは、植民地を支配するための体力を作るためのものとして発展した歴史があるわけです。

話は横にそれますが、考えてみればボクシングというのはメッチャクチャ不思議なスポーツですね、ボクシングというのはナックルパートと呼ばれている、拳の正面でしか相手を叩いてはいけない。肘うちもダメ、オープンブローダメ、バックハンドダメ、頭突きもダメ、足で蹴ってもダメ。こうして構えて、まっすぐ伸ばすか横から打つか、下から打つかそれしかダメ。あんなもので世界一強い男が決まるのか?決まらないですよね。空手というのは足で使ってもかまわない。タイのキックボクシング、ムエタイというのもあります。

なんで、イギリス人があんなものを作ったのか。あれは、自分が勝つ為なのです。先にルールを作っちゃった。植民地の大きな現地人にイギリスのジェントルマンが負けない為のルールをわざと作った。ナックルパートで真っ直ぐ打つっていうのは一番難しいのです。ところが当たると一番強い。そればっかり練習して、フットワークをいろいろ使う。それで、イギリスは7つの海を支配すると同時にボクシングでも世界チャンピオンになって「どうだ、イギリスのジェントルマンは強いだろう」と言って世界中の植民地を支配していた。

ですから、アメリカにチャンピオンが移るとき大騒ぎになった。かつての植民地、おまけにその植民地の中でも黒人、かつて奴隷とされた人々にチャンピオンが移る時また大騒ぎになった。その黒人の中でもベトナム戦争に反対した人、これはモハメッド・アリですね、彼にチャンピオンが移る時これまた大騒ぎになる。というようにボクシングというのは決定的に政治の世界なのです。

政治が全部からんでいる。日本では、よく沖縄からチャンピオンがたくさん出ますけれど、「沖縄の経済的所得が低いからハングリー精神で」なんて言った馬鹿な人がいましたが、ハングリーでスポーツなんて出来ません。本当にハングリーなら働かなきゃいけないので、スポーツやっている暇があるならば、実はハングリーじゃないんです。

そしたら、なにをエネルギーにやるかというと、政治的な怒りです。沖縄には政治的な怒りが相当渦巻いているので強いボクサーが出たのです。最近出なくなったので、情勢は変わったのかなという気もするのですが。まあ、ベルリンの壁が無くなってからボクシングが面白くなくなったというのは事実ですね。マイクタイソンが日本で負けましたが、あれはちょうどバブルの時でした、日本円でほっぺた叩かれて、来日してKO負けしちゃった。政治的な要因が無くなってしまってボクシングは衰退しはじめた。それは、生まれた時から政治的だったからなのです。だから、映画のロッキーのチャンピオンがソビエトの選手と試合するというのは、ボクシングそのものなのです。

実際モハメッドアリが強かった時なんて、キューバの選手と何とかやらせようと政治的に盛り上げた。そういうふうにして、ボクシングはイギリスで生まれ政治と絡みあってきた。

同じようにスポーツっていうのは肉体を使うものですから、軍隊とか戦争というものと一緒になって発展してきた。これも事実です。
日本が第二次大戦に負けた後GHQが入ってきて、いわゆる戦後民主教育が始まった。その時に体育をどうするかというものにきちんとした結論が出なかった。どうしていいかわからなかった。まあ、文化的には、例えば忠臣蔵を禁止するとか、曽我兄弟を禁止するとか、敵討ちをするものはいけないからってアメリカの教育が入って来た。

また、GHQは野球を奨励して「ベースボール・イズ・デモクラシー」という言い方で、みんなで野球をやろうと。教育制度を改革して六・三・三制になり、「六三制野球ばかりが強くなり」なんて川柳が出来るほど野球は広まった。

確かに野球は民主的な面がある、アメリカで生まれアメリカで発展したスポーツはデモクラティックなところが多いです。というのはヨーロッパで盛んなスポーツはサッカーとかラグビー、アメリカでは、ベースボール、バスケットボール、アメリカンフットボール。アメリカのスポーツは審判が複数です。主審にかなり近い権限を持った副審が何人もいるのです。アメリカンフットボールなんて審判が何人いるのかわからないほどです。そして複数の審判が話し合いをしたりします。

ところが、ヨーロッパのスポーツは審判は原則として一人です。ラグビーでもサッカーでも常に一人、タッチジャッジ等は後から出てきたもので、目が届かないので仕方が無いので作ったのですが、最終権限は主審一人が持っている。また、アメリカのボールゲームは全部時計が外に出ています。あと何秒とか。
だから、アイスホッケーやバスケットボールなどは終わる時、あと何秒5、4、3、2、1、とかやっています。

ヨーロッパ型のサッカーやラグビーは主審が自分で腕時計を見ているだけです。だから、古い話になりましたが、ドーハの悲劇なんかが起ってしまうのです。審判が勝手に変えようと思えば変えられるのです。でもヨーロッパというのは歴史が長いですから(日本も長いですけど)かまわないのです、少しくらい。「何千年もの歴史がある中でのたったの20秒で騒ぐな」っていう感覚があるのです。

ところが、アメリカは歴史が短いものですから、原則をキチンとしなければならない。だから、アメリカンフットボールでしたら10ヤード進んだのかどうかを計るためにメジャーを持って来て計ったりする、そしてあと何インチ、とか言います。最初にボールを置いている位置は結構いいかげんなんですけれどもね。

とにかくアメリカのスポーツにはデモクラシーというものが、存在する。それを占領軍が戦後の日本に広めようとしたのも理解が出来る。

僕らが小さいとき野球のことを「太鼓ベース」と言っていました。僕が京都から東京に出てきた時に友達にそれを言ったら、自分のところではそうは言わなかった「たくわんベース」と言っていたというのです。他の地方の友達は「鉄管ベース」と言っていた。「たくわんと鉄管と太鼓」。後で、謎が解けたら、全部「テイク・ワン・ベース」だったのですね。進駐軍のアメリカ人が「テイク・ワン・ベース」と言った、それは草野球ですからボールがすぐに草むらなんかに入って見えなくなった。そうなったらテイクワンベースなんですね。テイクワンベースという言葉がたくさん使われた、それがある地方では鉄管になったり、たくわんになったり、太鼓になったりした。

占領されている時、それだけ野球が盛んになったのも、その言葉でもわかると思うのですけど。その時にアメリカはベースボールを広めたつもりだったのですが、日本には野球が残っちゃった。その野球っていうのは先ほど話したように、体育会系運動部の野球だった。「先輩後輩の秩序を最も重んじ、試合を始めるときには礼をする、頭は丸刈りにする」。

そういうスポーツとは関係ない、ベースボールともかなり違う、その野球が戦後も残って続いてしまった。本当なら、忠臣蔵や曽我兄弟を禁止するより、野球を禁止した方が戦前の空気は無くなったかもしれない。体育会系を無くす方が戦前の空気、あるいは軍隊の空気と言ってもいいと思うのですけど無くなったかもしれないのです。

ところが、アメリカ軍はとりあえずベースボールを中心に体育の教育を考えた。他の教育では、民主的に討論をしなければいけないとか、戦前のファシズムの考えはいけないとか、天皇制については問題があってとか、教科書を墨で塗りつぶしたりして民主教育というものが始まっても、体の教育だけは何が民主的なのか、その当時は誰にもわからなかったのです。今もあまりわかっていないと思うのですが。

「体の民主教育」こんなものがあり得るのかということも相当考えないとしんどいとこがあるのですけれども、とりあえず、東京オリンピックの前にスポーツブームが始まりまして、その時に文部省が体育の授業をきちんと制度化しないといけないということで戦前とは違う新しい体育教育というのを考えて作ったのが、情けない事に戦前のものと大差ないもので、手榴弾をソフトボールに替えただけのものだった。それが今まで延々と続いてきてしまっている。

だから、この中にもスポーツ嫌いの人がひょっとしているおられるかもしれませんが、「フランスのワールドカップで日本のサッカーがイランに勝った時は嬉しかったけれど、本当は私は小さい頃からスポーツするのは大嫌いで、スポーツ音痴で、動くのが嫌いで」って言う人がおられるかもしれませんが、実はスポーツ嫌いというのは本来有り得ないのです。

というのは、自分が能動的に好んで判断してやるものがスポーツですから、嫌いも好きも関係なくてやらなきゃいい、見なきゃいいだけのこと。それを嫌いだっていうことは、何か強制された過去の精神的外傷が残っているのです。たぶんまあ、逆上がりだと思いますけど。それは体育嫌いであって、体育嫌いとスポーツ嫌いは全く違うのです。

体の教育ってものはほとんど戦前と同じ形で復活して、今まで来ている。戦前からの体育会系も戦後になっても途切れることなく続いてしまった。それが、この前の帝京大と日体大の事件だと言える。あの事件も、僕はそれだけ長いスパンで考えなければいけないと思っている。

だったら、体っていうものをもっと別の側から考えた方がいいのではないか。それは例えば、幼稚園の子どもたちがあれだけ思い切り使っている体ってものを大人になっても使えればそれでいいのではないだろうか。例えば、体はコミュニケーションの手段であるので、このような講演の時ももっとアクションを付けた方が伝わるものなのでしょう、その辺は僕は下手なんですけれども。それは言葉とは全く違うものですけれども、同じ価値のあるものなのです。

ところが、人間が頭の中ばかりを進化させた結果、体の事を忘れはじめたのです。歴史的に見ても、そういう事が言えると思うのです。その一番のきっかけになった言葉が「我思う故に我あり」というデカルトの言葉で、これは頭だけ心だけの考え、気持ちだけ意識だけの考えですね、体というものがどこにもない。体が無くなれば心も無くなるはずなのに、心の方が上になっている。これは洋の東西に関係なくこの考えが生まれています。

日本では仏教の影響が強いですから、「体は煩悩の固まりで、精神の方が偉い」という考えになっている。キリスト教でも「肉体は滅しても霊魂は不滅」という考えで、意識の方が体よりも上という考えをずっと持っている。おまけに近代になって「我思う故に我あり」という言葉が生まれた瞬間近代文明がドーンと発展して、段々体ってものが忘れられてしまった。

今日、日本の体育教育一つとっても、あるいはイギリスの植民地支配の為のスポーツでも、また、アメリカの民主主義のスポーツにしても、「何のために体を鍛えるのか」という事に対する答えというものは聞いた事が無い。それは所詮は、やはり「兵隊作りが国作りに繋がる為の、肉体ではないか」というところへしか行きつかない。

一方最近の世の中を見ますと大きく時代は変わろうとしている。それは「体」を中心に考えたら、すごくよくわかる。
それに僕が気づいたのが湾岸戦争でした。湾岸戦争の時にテレビゲームのような戦争で、イラクの兵士が黒焦げになるわけです。建物にミサイルが当たった所ばかりがテレビに写し出される。あそこに人が居るということを考えたら、黒焦げになっているわけです。

実際、現地の通信社からの写真とか見てみますとイラクの兵隊はなかなかの肉体の持ち主ばっかりで、筋骨隆々とした人が多いのですが、もはやその肉体が何の役にも立たなくなった。
成層圏の上の人工衛星の電波を受けて、ボタンを押してミサイルを発射する、それで戦争が決まるようになってきたら、「兵士としての体」っていうものが意味を持たなくなってきたのです。

もう一つスポーツの面でも「体」ってものが大きく変わってきたのがプロの参加ですね。プロとしてオリンピックに参加している人と、レジャーとして遊んでいる人と大きく2極に分かれてきた。そしてプロとして参加している人達はドーピングに走り、今、ほとんどのプロ選手がドーピングをしているといわれ、ドーピングを隠す薬まで出てきて、オリンピック委員会とイタチゴッコをしているのですが、オリンピックに出る人の薬の使い方が「陰で」大問題になっている。

あまりマスコミには登場しませんけれど。薬を飲んでまで、金メダルをとってコマーシャルの仕事をとってお金を儲けようとする人と、そんな事は一切関係なく例えば、ジョギングやフリスビーやスノーボードを楽しみたい人と、その2極に大きく分かれてきた。

その上に新しいスポーツも出てきた。僕が一番驚いたのが、「ライフセービング」というスポーツです。テレビでも時々やっていますが、浜辺に旗を立てて奪い合いますがあれは単なる遊びなんですけど、海に出ていって泳いで溺れている人を想定して、それを助けて来るというそういう競技があるのです。
どのグループが早く助けるかという事を競うのですが、このスポーツの中身を聞いてビックリしたのが、人を助けるスポーツだという事です。

スポーツというのは、これまで根本的には闘争本能とか、生存本能、相手を蹴落としてでも俺が残るぞ、という「本能を駆り立てて相手に勝つ」という事がスポーツの基本だったはずだった、それをゲーム化して面白くしたのがスポーツだった。
ところがライフセービングというスポーツをやっている人達は、「あの溺れている人を助けることを競う」ということを競うのです。その時に自分達が助けに行くよりもあのチームが助けに行った方がすばらしいと判断したら、戦っちゃいけないのです。「いや、それでも俺達の方がいい」とやってはいけない。要するに救うためのスポーツなのです。

こういうスポーツというのは、おそらく20世紀の終わりになって初めて人類が生み出したものです。ただこれは歴史的にみると結構納得できる。
登山というスポーツを考えた時なのですが今では普通のように山登り、山歩きをやっていますが、これが始まったのはつい最近の事でして、それまでは山に登るのは修行の為だとか、悪魔を退治に行く為だとか、物を採りに行く為だとか、峠を越える為だとかの目的しか無くて、あの山に登りたい、あの山に登ろう、誰が一番に登るかっていうのを競い始めたのは19世紀になってからなのです。

最初にマッターホルンに登った人が「アルプス登はん記」という本を書いていますが、ビックリしてしまうのは、競って登るのです。だから、先に行っている人が遅れている人を蹴落とそうとして、わざと雪崩を起こしたりしているのです。それも岩雪崩なのです。後ろから来るパーティに対して石投げているのです。今考えますと「登山で、エッ」と思いますけど、19世紀始めに最初に登山が始まった頃はそれが当り前だった。
要するに「他人を蹴落としてでも、自分は山の上に行くぞ」っていうのが登山だった。

「そんな人命を危うくする事はしてはいけない」と人間達が気づいたのは、ほとんどの山に登ってしまった頃の事なのです。
やはり人間っていうものはかなり愚かなものでして、自分が一番に登りたいのですね。どこも一番が無くなったら「みんな仲良くしようか」というふうになるのだなぁという気もするのですが。
けれど、登山とライフセービングというスポーツは結構面白いと思いますね。勝つためのスポーツではない、その中で自然に勝ち負けが決まる。生存本能とか、闘争本能とは関係ないスポーツが出てきた。

それともう一つおもしろいのは、テレビゲームです、バーチャルリアリティ。うちの子供たちもピコピコピコピコやっています。バーチャファイターとかいって「僕は、あいつを倒した」とか言って自分は何にもやっていないのです。腕が強くなるわけでもなければ、体が健康的になるわけでもない。でも結構必死になってやっている。頭の中だけで想像していて、「おまえ達、体は鍛えなくてもいいのか」って言おうとして、その言葉のもつ意味を考えたときに「いったい何のために体を鍛えなければいけないのか、体っていうのはどうあるべきか?」これが出て来るわけです。

これは解答が無い事を喋っているのですが、一言で言いますと「新しいからだ観」、「からだに対する新しい認識」、これが出てこないかぎり駄目だろうな、というふうに最近思いはじめたのです。
いろんなスポーツだとか、戦争だとかいろんな話しましたけれども、その中で「からだっていうものは、なければならないもの」であることは確かですが、「それが健康でなければならないものかどうか」すらこれからの医療の発達と共にわからなくなってくる。

たとえ少々健康でなくってもそれを維持するシステムが出て来るかもしれない。「健康を自慢するということが本当に正しいことなのか。」ということすらわからなくなってくる。

どういうことかと言いますと、かつて、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉がありまして、これをまだ、この中にも信じておられる方がおられると思うのですが、これは実は、誤訳なのです。ローマ帝国時代の当時のコロセウムで、ライオンと戦ったり、スポーツのように剣と楯で戦ったりしてヒーローになることが流行して、ユベナーリスという詩人が、「そんなに体ばかり鍛えていても駄目だよ」と若者達に言ったのです。「健全な体があるならば、健全な心も作りなさい。健全な心は健全な体だけでは出来ませんよ」というふうに言ったはずだったのが、日本語になった時に何故か「健全な精神は健全な肉体に宿る」というふうに間違って日本語に翻訳されてしまった。

だから、それが信じられているので新聞にも大きく出て、ときどきビックリするのですけれども。もしも健全な心が健全な体にしか宿らないものならばそれは身体障害者の方だとか、いろいろ病気を持っておられる方に非常にひどい言い方だと僕は思うのです。思うのだけど、普通、そうはなかなか思えない。ふっと「健全な精神は健全な肉体に宿る、おまえ、体は鍛えておけよ」と言いたくなってしまう。そのギャップを埋める新しい考えというものがこれから求められている。

その新しい「からだ観」というものをどのようにして作ったらいいのか。これは非常に難しいのですけれども、いくつかの提案は僕は出来ると思うのです。


それは一つは、体育の授業とかスポーツというものを考えるときに、単にそのスポーツだけで終わらないで、例えばサッカーや野球のチームで練習するときにただ練習したり試合したりするだけでなく「いったい、野球(サッカー)というものはどういうものなのか。」を考える。それを考えるとスポーツの世界というものが一気に広がっていく。一言で言うとサッカーの歴史はイギリスの歴史だし、あるいはローマ帝国の歴史でもある。野球の歴史というのはアメリカの歴史そのものとも言えるのです。それを今まで中学、高校とかの体育の授業では一切やって来なかった。

もう一つ、逆に今度は、他の授業をするときに、体の認識というものを基本に考えてみれば、という問題があります。
例えば数学とか、国語。国語で、夏目漱石の「こころ」を読むときに体のことを考えていたただろうか。その時に例えば朗読という形で立って読む、あるいは動きながら読む。単純な話ですけれども、その時に自分の体というものの認識の中から、文章あるいは言葉というものが出てくるのではないか。あるいは数学の計算をやる時にも教室の中、頭の中でやるのではなく、外に出て地平線を見て地球というものを意識してそこでの数字っていうものを考えると空間認識ってものが一気に変わってくるのではないか。そんなことを最近考えています。

昨年、神戸で酒鬼薔薇事件が起り、つい最近も女性の先生をナイフで刺すという事件が起った。最近そういう若年層の悲惨な事件が起っているのですけれども、その時に必ずマスコミに出て来る言葉というのが、「子供たちの心の闇」という言葉ですが、彼らの心を誰がわかるのか。「彼らの心を」って、必ず「心」なのです。
でも僕は逆に心なんかは目にも見えないし、触る事も出来ないし、取り出して治す事も出来ないし。だったらその時に、少なくとも手で触れる形が見えるという「体」というものを考えた方がいいのではないか、という気がしています。

神戸の少年は中学に入って卓球部に入っていたらしい、でもそれを辞めたらしい。その時にいったいどういう体の動かし方をしていたのか。誰かに命じられて体を動かしていたのか。体から何か心に繋がる回路があったのではないか。今回の栃木県の中学生の女性教師に対するナイフでの刺殺事件でも、彼自身の歩んできた「体の歴史」というものを、もしもマスコミを通じて診ることが出来れば、例えば、運動会ではどんなことをしていたのか、小学校の課外活動ではどんなことをしていたか、中学に入ってどういうスポーツをどのようにやっていたか。それが報道されれば、僕は「心の闇を覗きましょう」って言っていることに大きなプラスになる何かが出て来ると思うのです。

心、心」という言葉が山ほどあって、おまけに最近では脳みそが全てを作っているというような認識も広がっているようですけれども。「ホルモンが出て、電気が走ると、その時に回路があってそこで考えるということが起る」というようなことをいろいろまあ、脳みその中身っていうのは面白いですから、僕もそういう本を読むのは大好きなのですが、そうしたらその「ホルモンを出せ」と命令している人は誰だろうなぁと思ってしまうのですね。最後にホルモンを出せと命令している人がどこか、この頭の中に居るはずなのです。

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幼稚園協会幼稚園マップ

なだいなだ先生講演会(H9.6)

そして、それをもしも、心だと言うならば、その心に到達するっていうのは非常に難しいものなのではないか。そしたら、体と、体の教育っていうものがもっと考え直されてもいいだろう。

今文部省の「体の教育、体育教育というものは、全く幼稚なものでしかやっていない。はっきり言いまして、私の小さい頃の逆上がりに対する怨念から言っているのですけれども、そこから始まって今の「体育教育」ってものがいかになっていないか。「体育会系という団体も本当に遅れている」「と感じてしまった。

養老 孟司先生の講演(H10.6月)

香山 リカ先生の講演(H11.1)

けっしてこじつけるわけではなく、こういう事を勉強するきっかけを作っていただいたのも、幼稚園に子供が入って、初めて運動会で走って、あるいは先生達と体を触れ合って遊んでいる姿を見てそこからだったと思っています。

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