SONY『ワーグナー・グレイト・レコーディングズ』全ディスク試聴記


【Disc1&2】
・ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」全曲
 ジェイムズ・モリス(オランダ人)
 デボラ・ヴォイト(ゼンタ)
 ヤン=ヘンドリンク・ローテリング(ダーラント)
 ベン・ヘップナー(エリック)
 ジェイムズ・レヴァイン指揮
 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 録音: 1994年

歌手ではヴォイトとヘップナーの名唱が光っているし、レヴァイン/メトのダイナミックなアンサンブル展開も悪くないのだが、全体としてみると正直それほどの感銘は受けない。その要因は音質。オフ気味の品の良い、当たり障りのない音録りであり、音の実在感が振るわない。なにより合唱がオフ気味のバランスなのが致命的で、終盤の幽霊船の大合唱が弱々しいのでは話にならない。外題役モリスはバリトンとしての朗々とした歌唱が全面に出過ぎて、同役の持つ陰鬱な気分が弱いのがマイナス。

【Disc3〜5】
・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」全曲
 シャーンドル・コンヤ(ローエングリン)
 ルシーネ・アマーラ(エルザ)
 リタ・ゴール(オルトルート)
 ウィリアム・ドーリー(テルラムント)
 ジェローム・ハイネス(ハインリヒ)
 エーリヒ・ラインスドルフ指揮
 ボストン交響楽団
 録音: 1965年

「ローエングリン」の隠れた名盤というべきだろう。歌手良しオケ良し音質良し。まずボストン響のアンサンブルの充実感が素晴らしく、金管パートの鳴りの良さはハンパじゃないし、弦の刻みも味が濃く、ミュンシュ時代に鍛えられた同オケの美質が、いかんなく発揮されている感がある。ローエングリンを知悉するラインスドルフの指揮も堂に入っている。歌唱陣も適材適所で隙がなく、特に外題役コンヤは最初の登場のアリアがびっくりするほど柔らかい歌声だが、場面場面での声質の切り分けが上手い。また、この録音は第3幕のローエングリンの「名乗りの歌」をノーカットで収録した、いわゆる完全版であり、ワーグナーが初演直前に削除を指示した「名乗りの歌」後半部まで含めて収録されている。

【Disc6〜9】
・ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全曲
 オットー・ヴィーナー(ザックス)
 ハンス・ホッター(ポーグナー)
 ジェス・トーマス(ヴァルター)
 クレア・ワトソン(エヴァ)
 ベンノ・クッシェ(ベックメッサー)
 ヨーゼフ・カイルベルト指揮
 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
 録音: 1963年

このマイスタージンガーは素晴らしい。不世出のワーグナー指揮者カイルベルトの多くのワーグナー録音の中でも最上のレベルのものだろう。なにより音質面が良好な点が大きく、ライヴ録りのデメリットを感じさせない鮮明な音録りが、舞台の充実を如実に伝えている。カイルベルト/バイエルンのアンサンブルは速めのテンポから引き締った剛毅な響きを捻出し、どこにも音に弛緩がないし、聴かせどころでのオケの地力にも目を見張るものがある。特に第3幕のマイスター登場マーチにおける金管パートの法外な鳴りっぷりなど、惚れぼれするばかり。歌手も実力派を並べてスキがない。ヴィーナーのザックスはバリトンにしてはテノール寄りの朗々とした歌いぶりで、いまひとつ威厳が弱いが、この役にはこれくらいのバランスでちょうどいいと思う。

【Disc10&11】
・ワーグナー:楽劇4部作「ニーベルングの指環」より「ラインの黄金」全曲
 ヴォータン:テオ・アダム
 フリッカ:イヴォンヌ・ミントン
 ローゲ:ペーター・シュライヤー
 ミーメ:クリスティアン・フォーゲル
 エルダ:オルトルン・ヴェンケル
 アルベリヒ:ジークムント・ニムスゲルン
 ファゾルト:ローラント・ブラハト
 ファフナー:マッティ・サルミネン
 シュターツカペレ・ドレスデン
 マレク・ヤノフスキ指揮
 録音:1980〜83年

歌唱陣はかなり充実している。ヴォータンのアダム、ローゲのシュライヤー、アルベリヒのニムスゲルンの3大名手を中心に展開されるハイレベルの歌唱力が素晴らしい。オーケストラは一貫して速めのテンポで淡々と歩を進めていくが、鳴らすべき音は的確に鳴らされ、細部を疎かにしないヤノフスキの綿密な指揮ぶりは、ドレスデンのオケの渋い響きと相まって、硬派なワーグナー像を描き出して間然としない。これで音質が万全なら言うことなしだが、オケの音録りが少し引き気味でアンサンブルの線が細めという印象を受け、そのぶんスケール味に不満が残ってしまう。

【Disc12〜15】
・ワーグナー:楽劇4部作「ニーベルングの指環」より「ワルキューレ」全曲
 ジークリンデ:ジェシー・ノーマン
 ジークムント:ジークフリート・イェルザレ
 フンディング:クルト・モル
 ヴォータン:テオ・アダム
 ブリュンヒルデ:ジャニーヌ・アルトマイヤー
 フリッカ:イヴォンヌ・ミントン
 シュターツカペレ・ドレスデン
 マレク・ヤノフスキ指揮
 録音:1980〜83年

全体的な印象は「ラインの黄金」に同じ。歌唱陣のレベルは高いし、オーケストラもすっきりと鳴らされた正統派のワーグナー。しかし、ジークリンデが重厚型のノーマンで、ブリュンヒルデが線の細いアルトマイヤーというのは、いっそのこと逆にしても良かったのでは、、、

【Disc16〜19】
・ワーグナー:楽劇4部作「ニーベルングの指環」より「ジークフリート」全曲
 ジークフリート:ルネ・コロ
 ブリュンヒルデ:ジャニーヌ・アルトマイヤー
 さすらい人:テオ・アダム
 ミーメ:ペーター・シュライヤー
 アルベリッヒ:ジークムント・ニムスゲルン
 ファフナー:マッティ・サルミネン
 エルダ:オルトルン・ヴェンケル
 森の小鳥:ノーマ・シャープ
 ライプツィッヒ放送合唱団
 ドレスデン国立歌劇場合唱団
 シュターツカペレ・ドレスデン
 マレク・ヤノフスキ指揮
 録音:1980〜83年

この「ジークフリート」に関しては、ジークフリート役ルネ・コロとミーメ役ペーター・シュライヤーとの豪華な掛け合いが大きな聴きものだろう。ルネ・コロのジークフリートはハマリ役だけに素晴らしいが、シュライヤーのミーメも思いのほか役柄にフィットしている。シュライヤーは「ラインの黄金」ではローゲを巧妙に演じていたし、この名テノールの順応力の高さをあらためて認識させられる。

【Disc20〜23】
・ワーグナー:楽劇4部作「ニーベルングの指環」より「神々の黄昏」全曲
 ジークフリート:ルネ・コロ
 ブリュンヒルデ:ジャニーヌ・アルトマイヤー
 ハーゲン:マッティ・サルミネン
 アルベリッヒ:ジークムント・ニムスゲルン
 グートルーネ:ノーマ・シャープ
 グンター:ハンス・ギュンター・ネッカー
 ヴァルトラウテ:オルトルン・ヴェンケル
 ライプツィッヒ放送合唱団
 ドレスデン国立歌劇場合唱団
 シュターツカペレ・ドレスデン
 マレク・ヤノフスキ指揮
 録音:1980〜83年

ヤノフスキ/ドレスデンのアンサンブル展開が、かなり充実してきている。演奏方針自体はジークフリードまでと変わらないが、ここにきてオケの響きに一段と張りが出てきている。歌唱陣も粒ぞろいで、とくにサルミネンのハーゲンは抜群にいい。それはいいのだが、どうも気になるのが、この「リング」全曲録音を通してのダブルキャストが異様に多い点。シュライヤーがミーメとローゲ、ヴェンケルがヴァルトラウテとエルダ、くらいならまだしも、さらにシャープがグートルーネと森の小鳥、プリエフがロスヴァイゼとヴェルグンテ、サルミネンがファフナーとハーゲン。いくらセッション録りとはいえ、ちょっと度が過ぎないかという気もする。

【Disc24〜27】
・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」全曲
 エバーハルト・ヴェヒター(アンフォルタス)
 ハンス・ホッター(グルネマンツ)
 フリッツ・ウール(パルジファル)
 ヴァルター・ベリー(クリングゾール)
 エリザベート・ヘンゲン(クンドリー: 第1&3幕)
 クリスタ・ルートヴィッヒ(クンドリー: 第2幕)
 トゥゴミル・フランス(ティトゥレル)
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
 ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
 録音: 1964年

カラヤンがウィーン国立歌劇場で指揮したオペラ録音としては貴重なものだが、音質はいまひとつ振るわない。オフ気味のボヤッとした感じの音で鮮明感が弱いし、モノラルなのでパノラマ感にも欠ける。しかしオーケストラが随所に披歴する弦楽器の濃密な表出力が印象的であり、カラヤンの手腕によるのか全体的に管楽器はそれほどでもないのに弦楽器は一貫して冴えた音を響かせている。歌手で特徴的なのはクンドリーを幕が変わるごとに別々の歌手に歌わせている点で、第2幕のクンドリーのニ重人格的な特異性を際立たせんとするカラヤンの発案とされるが、正直それほど奏功しているように思えないのは、やはり音質のせいか。それよりもホッターのグルネマンツの素晴らしさが印象に残る。  

【Disc28】
・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より第1幕
 エヴァ・マルトン(ジークリンデ)
 ペーター・ホフマン(ジークムント)
 マルッティ・タルヴェラ(フンディング)
 ズービン・メータ指揮
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1985年

いまいち印象が弱い「ワルキューレ」だが、もっと良好な音質だったら、またガラッと印象も変わってくるのかもしれない。オフマイクのソフトな音録りが、ここぞという時のオケの迫力や歌手の凄味をことごとく削いでしまっているからだ。稀代のヘルデンテノールであるホフマンとドラマティックソプラノとして名高いマルトンの顔合わせだけにもったいない。メータ/ニューヨーク・フィルは少なくとも前奏曲では張りのある弦とパワフルな金管の織り成す強奏展開が素晴らしいが、幕に入るとマイクが引いてしまっているのか随分こじんまりした感じになっている。

【Disc29】
・「ペーター・ホフマン ワーグナー・アリア集」
 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より「はじめよ!」「優勝の歌」
 楽劇「ワルキューレ」より「父は剣を約束した」「冬の嵐は過ぎ去り」
 楽劇「ジークフリート」より「ノートゥング、ノートゥング」
 歌劇「リエンツィ」より「リエンツィの祈り」
 歌劇「タンホイザー」よりローマ語り
 歌劇「ローエングリン」より「はるかな国に」
 ペーター・ホフマン(T)
 イヴァン・フィッシャー指揮
 シュトゥットガルト放送交響楽団
 録音: 1983年

少なくともペーター・ホフマンを聴くという点ではDisc28のワルキューレよりはこちらを取るべきか。あのワルキューレでのオフマイクの声の細さが解消されているのが大きく、稀代のヘルデン・テノールの名唱を素直に堪能できる。全体的にホフマン持ち前の輝かしい高音の魅力が良く出ているが、ベストはタンホイザーのローマ語りで、アリア後半部での鬼気迫る歌いぶりが素晴らしい。オケは歌手に対して引き気味で、かなり表出力不足だが、こういったアリア集の場合は仕方のないところか。

【Disc30】
・「エスタ・ウィンベルイ ワーグナー・アリア集」
 歌劇「リエンツィ」より「全能の父よ、見そなわせたまえ」
 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より「冬のさなかの静かな炉辺で」「朝の光はバラ色に輝いて」
 歌劇「ローエングリン」より「快い歌声は消えて」「遥かな国に」「愛しい白鳥よ」
 歌劇「パルジファル」より「アンフォルタス!あの傷!」「たった一つの武器だけが」
 エスタ・ウィンベルイ(T)
 ジークフリート・ケーラー指揮
 スウェーデン王立歌劇場管弦楽団
 録音: 1995年

モーツァルト歌手としてのイメージが強いウィンベルイのワーグナー・アリア集だが、全体的に中高音域の発声に流暢な滑らかさと晴れやかな美しさが秀逸だが、それ以上の高音域に関してはDisc29のペーター・ホフマンのアリア集と比べてしまうと聴き劣りが否めない。実際ウィンベルイとホフマンのアリア集ではリエンツィの祈りとマイスタージンガーの優勝の歌とローエングリンの「はるかな国に」の3曲が重複しているのだが、これを聴き比べるとウィンベルイは高音域の発声の伸びやかさや輝かしさに遜色する印象を感じてしまう。しかし中高音域のリリカルな発声力は傑出しているので、ローエングリンの「愛しい白鳥よ」などでは実に魅力的な歌いぶりを披露している。

【Disc31】
・「フラグスタート ワーグナー・アリア集」
@楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第3幕「優しくかすかな彼のほほえみ(愛の死)」
A歌劇「ローエングリン」より「おごそかな広間よ、ふたたび挨拶を送る」
B歌劇「パルジファル」より「幼子があなたの母親の胸に抱かれているのを見た」
C楽劇「ワルキューレ」より「あなたこそ春なのです」
D楽劇「ワルキューレ」より「ホー・ヨー・トー・ホー」
E楽劇「神々の黄昏」より「高貴なる戦士よ、新たな証を」
F楽劇「神々の黄昏」より「ラインの岸に焚き木の山を積み(ブリュンヒルデの自己犠牲)」
 キルステン・フラグスタート(Sp)
 ラウリッツ・メルヒオール(T)
 @EFドウィン・マッカーサー指揮サンフランシスコ歌劇場管弦楽団
 録音: 1939年
 ACユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団
 録音: 1937年
 Bエドウィン・マッカーサー指揮ビクター交響楽団
 録音: 1940年
 Dハンス・ランゲ指揮スタジオ・オーケストラ
 録音: 1935年

年代を考えると全体的に音質水準が高く、フラグスタート全盛期のワーグナーを良好な音で耳に出来る貴重なディスクだが、収録環境ごとに音質に多少ムラもある。音質が比較的良いのはサンフランシスコ歌劇場のオケとの録音である@EFとフィラデルフィア管との録音であるACで、とくにAはオケの甘美な響きも印象的で、歌手ともどもオンマイクのくっきりとした音録りが秀逸。逆に最も音が瘠せ気味なのがD。その中間がBで、このBが全タイムの半分近くを占めているだけに、欲を言えば@かAくらいの音質水準ならなお良かったか。しかし歌唱自体の充実感は目覚ましく、メルヒオールのパルジファルとのスケール豊かな掛け合いが素晴らしい。

【Disc32&33】
・「メルヒオール&トローベル ワーグナー・アリア集」
@歌劇「リエンツィ」より「全能の父よ、見そなわせたまえ」
 ラウリッツ・メルヒオール(T)  エーリヒ・ラインスドルフ指揮コロンビア・オペラ管弦楽団
 録音: 1942年
A歌劇「ローエングリン」より「寂しい日々に神に祈った」
 ヘレン・トローベル(Sp)  アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1945年
BC歌劇「ローエングリン」より「ありがとう、私の白鳥よ」「私の勇士!私の騎士!」
 ラウリッツ・メルヒオール(T)  エーリヒ・ラインスドルフ指揮コロンビア交響楽団
 録音: 1942年
D歌劇「ローエングリン」より「そよ風よ、わたしの嘆きを聞いておくれ」
 ヘレン・トローベル(Sp)  エルンスト・クノッホ指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 録音: 1945年
E歌劇「ローエングリン」より「寝室の場」
 ヘレン・トローベル(Sp)  アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1945年
FG楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「第1幕への前奏曲」、第1幕第3場より「タントリスの歌」
 ヘレン・トローベル(Sp)  アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1945年
H楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第2幕第2場「降り来よ、愛の夜よ」
 ヘレン・トローベル(Sp)  フリッツ・ブッシュ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 録音: 1947年
I楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第2幕第3場「王よ、それはことばで説明しようもないこと」
 ラウリッツ・メルヒオール(T)  エーリヒ・ラインスドルフ指揮コロンビア・オペラ管弦楽団
 録音: 1942年
J楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「第3幕への前奏曲」
 アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1945年
K楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第3幕第1場「昔ながらの調べ」
 ラウリッツ・メルヒオール(T)  エーリヒ・ラインスドルフ指揮 コロンビア・オペラ管弦楽団
 録音: 1942/43年
L楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第3幕第2場「おお、この太陽の」
 ラウリッツ・メルヒオール(T)  ロベルト・キンスキー指揮コロン歌劇場管弦楽団
 録音: 1943年
M楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第3幕第4場「愛の死」
 ヘレン・トローベル(Sp)  アルトゥール・ロジンスキ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1945年

ラウリッツ・メルヒオールとヘレン・トローベルの二人の録音を中心に構成されたワーグナー・アリア集だが、この両歌手が直接共演しての録音は含まれておらず、メルヒオールの方は1942年から43年、トローベルの方は45年と47年にそれぞれ個別に収録された録音を交互に配置する形を取っている。このため、BとCでエルザを歌っているのはアストリッド・ヴァルナイだし、逆にEでローエングリンを歌っているのはクルト・バウムという具合に、少々ややこしいことになっている。ここでの両者の歌唱を聴くと、持ち前のスケール感のある伸びやかな歌いぶりが印象的なメルヒオールに対し、トローベルはフラグスタートやヴァルナイのような重厚さやスケールの豊かさというよりは、むしろ高音の澄んだ美声を活かした訴えかけの強さが魅力的なドラマティック・ソプラノというべきか。

【Disc34】
・ワーグナー:
@歌劇「タンホイザー」序曲
A楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」
B「ヴェーゼンドンクの5つの詩」
C楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
 アイリーン・ファレル(Sp)
 レナード・バーンスタイン指揮
 ニューヨーク・フィルハーモニック
 録音: 1967年(@C), 1961年(AB)

アイリーン・ファレルの歌唱力が素晴らしい。ドラマティック・ソプラノとしての発声強度と艶やかで美しい声自体の魅力が絶妙に共存するタイプの歌手であり、これがAではワーグナーの楽想特有のうねりに見事に対応しているし、Bではスタティックな奇数曲とドラマティックな偶数曲とで展開される音楽的起伏の魅力をくっきりと浮き上がらせている点に感服する。60年代前半のブリュンヒルデ歌手というと、どうしても完全無欠と言われたビルギッテ・ニルソンの独壇場というイメージがあるが、ファレルはニルソンとは一味違った魅力のあるワーグナーを聴かせている。バーンスタイン/ニューヨーク・フィルも全体的には好調だが、@とCは録音のバランスがいまいちで、弦がオンマイクでくっきりしている反面、このコンビにしては管楽器の鳴りが大人しく聞こえてしまう。

【Disc35】
・「ヴァルトラウト・マイヤー ワーグナー・アリア集」
@歌劇「タンホイザー」より「おごそかなこの広間よ」
A楽劇「ワルキューレ」より「一族の男たちが」
B歌劇「さまよえるオランダ人」より「真っ赤な帆に黒いマストの船を」
C楽劇「神々の黄昏」より「私の言うことをきいてください」
D歌劇「ローエングリン」より「ひとり寂しく悲しみの日々を」
E舞台神聖祝典劇「パルジファル」より「ひどい人!もし痛みを感じるならば」
F楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「連中が私を笑いものにして歌ったからには」
G楽劇「神々の黄昏」より「ラインの河岸に薪を積み上げよ」
 ワルトラウト・マイヤー(Ms)  ロリン・マゼール指揮
 バイエルン放送交響楽団
 録音: 1996〜1997年

マイヤーは全曲とも持ち前の重厚かつドラマティックなワーグナー・ソプラノとしての実力を十分に示しており聴きごたえ十分だが、表出力という点では多少ムラもあり、やはり@〜Gの中ではEのクンドリとFのイゾルデの卓抜ぶりが際立っている。Eの中盤やFの終盤での鬼気迫る歌いぶりは、まさに自家薬籠中ともいうべき印象がある。反面、マイヤーといえば「タンホイザー」ではヴェーヌス、「ローエングリン」ではオルトルートのイメージが強いから、@のエリーザベトとかDのエルザなどは聴いていてどこか違和感があるし、Gのブリュンヒルデにしても、どちらかというとCのヴァルトラウテの方が本来のマイヤーの本領という気がする。

【Disc36】
・ワーグナー:楽劇「ラインの黄金」より「ワルハラ城への神々の入場」
・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」
・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」より「魔の炎の音楽」
・ワーグナー:楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」
・ワーグナー:楽劇「神々のたそがれ」より「夜明けとジークフリートのラインへの旅」
・ワーグナー:楽劇「神々のたそがれ」より「ジークフリートの葬送行進曲と終曲」
・ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より「第1幕への前奏曲」
・ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
 ジョージ・セル指揮
 クリーヴランド管弦楽団
 録音: 1968年

いまさら言うまでもなく、セル/クリーヴランドの残した代表的名盤のひとつであるが、録音から半世紀も経とうとしている現在においても、このワーグナー・アルバムは色褪せない輝きを放っている。この演奏の特徴としては、しばしばアンサンブルの精密さとか情報量の多さなどが挙げられているが、むしろ純粋にオーケストラの音響的表出力が際立っている点を称賛すべきだと思う。むろん、それにはオンマイクによる鮮明度抜群の音質と、セルの熟達したアンサンブル・ドライブがあればこそだが、いずれにしても正攻法の剛速球的なアプローチで展開されるワーグナー・アルバムとしては最高水準の一枚というべきだろう。

【Disc37】
・ワーグナー: 楽劇「ワルキューレ」第3幕より「ワルキューレの騎行」
・ワーグナー: 楽劇「トリスタンとイゾルデ」より第3幕への前奏曲
・ワーグナー: 楽劇「ラインの黄金」より「ヴァルハラへの神々の入城」
・ワーグナー: 歌劇「タンホイザー」序曲とヴェーヌスベルクの音楽
 レオポルド・ストコフスキー指揮
 シンフォニー・オブ・ジ・エア
 シャーリー・ヴァーレット(メゾ・ソプラノ)他

・ワーグナー: 歌劇「リエンツィ」序曲
・ワーグナー: 楽劇「ワルキューレ」第3幕より「魔の炎の音楽」
 レオポルド・ストコフスキー指揮
 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
 録音: 1960〜1961年,1973年

同じワーグナー・アルバムでもセル/クリーヴランドを本格派の剛速球投手に喩えると、このストコフスキーのワーグナーはさしずめ手練手管を尽くした変化球投手というべきか。この指揮者ならではのコッテリと厚塗りの響きを武器とする絢爛豪華な音響展開を楽しむことのできる一枚だが、少なくともオーケストラの響きの根元的な迫力や凄味という点では、Disc36のセル/クリーヴランドに大きく及ばないというのが率直なところ。かなりオフ気味でボリュームレベルの低い音質も気になるし、ワルキューレの騎行やヴァルハラへの入城などで中途半端に歌手を入れているのも、オケの表出力を削ぐ要因になっていると思う。

【Disc38】
・ワーグナー:歌劇「リエンツィ」序曲
・ワーグナー:歌劇「ローエングリン」〜第3幕への前奏曲
・ワーグナー:序曲「ファウスト」
・ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」〜第1幕への前奏曲
・ワーグナー:ジークフリート牧歌
・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」〜夜明けとジークフリートのラインへの旅
 ロリン・マゼール指揮
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1999年

このワーグナー・アルバムは「ロリン・マゼール グレイト・レコーディングズ」ボックスの方にも含まれており、そちらの試聴記の方で書いたとおり、おそらくマゼール会心のワーグナーというべきアルバムになっている。ちなみに、このSONYワーグナー・ボックスの中にマゼール指揮のワーグナーのディスクは、ほかにバイエルン放送響を指揮したワルトラウト・マイヤーのアリア集(Disc35)と、ピッツバーグ響を指揮した交響組曲「タンホイザー」(Disc39)が含まれているが、この3枚のなかでオーケストラの表出力を聴き比べると、このベルリン・フィルとのアルバムがやはり一頭地を抜いている印象を受ける。

【Disc39】
・ワーグナー(マゼール編曲):交響組曲「タンホイザー」
 ロリン・マゼール指揮
 ピッツバーグ交響楽団
 メンデルスゾーン合唱団
 録音: 1990年

ワーグナー「タンホイザー」の管弦楽部分が全体で1時間ほどの管弦楽曲に編曲されている。「タンホイザー」自体は3時間を要するオペラなので、圧縮率は3分の1というところか。演奏自体の印象だが、このコンビとしては「ほどほど」というのが率直なところ。マゼール/ピッツバーグが90年代前半に残した録音には結構ムラがあり、シベリウス交響曲全集のような傑出した録音もあれば、サン=サーンスやレスピーギのような冴えに乏しい録音もあるが、このワーグナーは傑出的ではないが悪くもない。弦も管も鳴らすべき音は過不足なく鳴らされているが、マイクが引き気味なこともあり、いまひとつ鮮烈な印象に欠ける。

【Disc40】
・4手のためのピアノ・トランスクリプション集
@ワーグナー/タウジヒ編: 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
Aアレヴィ/ワーグナー編: 喜歌劇「ギター弾き」序曲
Bエルツ/ワーグナー編: 「ラ・ロマネスカ」による大幻想曲Op.111
Cワーグナー/ビューロー編: 「ファウスト」序曲
Dワーグナー/フンパーディンク編: 「パルジファル」より第1幕への前奏曲
Eワーグナー/タウジヒ編: ワルキューレの騎行
Fワーグナー/ワーグナー編: 「タンホイザー」序曲
 タール&グロートホイゼン(ピアノ・デュオ)
 録音: 1997年

ワーグナーの有名曲のピアノ編曲版による録音というのは割りとよくあるが、4手用というのは珍しいし、ワーグナー自身によるピアノ編曲作品の録音というのも珍しい。@とEの編曲者であるカール・タウジヒは師のリストの影響からくるのか、ゴツゴツした和音を主体としたタフな耳当たりが支配的で、まさにリスト的なのだが、面白いことにワーグナー編曲のABFはいずれもメロディの流暢な推移と滑らかなフレージング展開を主体とする、明らかにショパン的な音楽の雰囲気を醸し出している。7曲の中では@とFが原曲の持ち味をさほどに壊さずに巧くピアノ編曲されている点で作品としても傑出的だと思う。逆に良くないのがDで、もともとピアノ編曲には向かない曲なのをアルペジオやトリルをふんだんに取り入れて頑張っているのだが、これが完全に裏目で、原曲の近寄りがたい独特の幻想的な雰囲気を喪失した単なるサロン音楽と化してしまった感がある。

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