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99 じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」後編
2002.12.24(火)15:30 - ゲンキ - 23171 hit(s)

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第三章「到達」

 −1−

 クレイン達が球体の内部にて目覚めた頃、じゅらい達は高速の魔神ディスモドゥスの力
を借りて、ひとまず、じゅらいと風舞が最初にこの世界で出現した場所──あの、太古の
巨木が密生する密林へと戻っていた。
 塔へ行く時には結構な時間がかかった道のりも、ディスモドゥスには大した距離では無
かったらしい。十分と経たない間に、三人と一体はその場所に辿り着いた。
「ここが、じゅらいくん達の落ちた場所? すごいね」
 外の世界でも滅多に見ないような巨木の群れを見上げて、感心した表情の陽滝。
 じゅらいは高速酔いした身体でヨタヨタとディスモドゥスの背を降りながら、頷く。
「うむ、きっと、ここなら何か手がかりが……ううっ、気分が」
 言葉の途中で膝が折れた。無理もない。ディスモドゥスの乗り心地は、お世辞にも良い
とは言えなかった。魔神の背の上では、やはり酔ってしまった風舞が青ざめた顔をしてう
なだれている。
 心底不思議に思って、じゅらいは陽滝に訊ねた。
「なんで陽滝は平気なのでござるか?」
「鍛え方が違うからかな」
「……」
 いや鍛えるったって、どうするんですか陽滝さん。ツッコミを入れようとして、少し身
をひねった瞬間、襲ってきた吐き気に沈黙するじゅらい。
 口を抑えて静かになった彼とディスモドゥスの背でうなだれている風舞を、呆れた顔で
陽滝は眺める。
「情けないなぁ。昔は、二人ともそんなことなかったのに」
「そうは言っても……うぷっ」
「……宇宙船とは違う」
 交互に答えて、また酔いがぶり返したのか、顔を青ざめさせる二人。陽滝がやれやれと
ボヤきながら、視線を横滑りに動かした途端──その先で、爆発が起こった。

キュガッ!!

「なっ!?」
 森の奥で起こった爆発の衝撃によって、木々の破片や土塊が三人のいる場所までも飛ん
できた。咄嗟に剣を抜き、じゅらい達や自分に向かって飛来した物を叩き落す陽滝。
 そして爆風で舞い上がった土煙の奥から、二つの影が飛び出して来た。
「この、おばけイモムシィっ!!」
『ぎぴーっ!!』
 男女兼用の黒い上下に身を包み、オレンジ色のジャケットを纏って、漆黒の槍を振り回
す少女が、硬質の外殻を持つ巨大なイモムシと戦っている。その少女の顔を見て陽滝は思
わず目を丸く見開いた。
「ディルさん?」
「えっ!?」
 と、陽滝の声に反応して、ほんの一瞬こちらに振り向くディル。だが、それ以上こちら
に何か反応を見せるでもなく、巨大イモムシの突進に押されて、陽滝達がやって来た平野
の方へと連れ去られて行く。
 何故ここにディルがいるのか陽滝はまったく知らなかったが、放っておくわけにもいく
まいと、彼女はディスモドゥスの背から風舞を下ろして、入れ違いに自分がその魔神の背
中に跨った。
「今助けますよ!!」
 そうしてディスモドゥスと共に走り去って行った陽滝の背中を見送り、じゅらいはポツ
リと呟く。
「ナウ○カなのじゃよ……」
 ボケるほど余裕があるなら、加勢しなさい。



 巨大イモムシを陽滝と共に撃退したディルは、ようやくじゅらい達との再会を果たした。
彼女は店主と風舞の顔を見るなり、その場で地団駄を踏み始める。
「もーっ!! どうなってるのよ、一体!?」
 そして、ここに至るまでの経緯を聞かれもしないのに話し始める彼女。怪鳥に襲われた
り、津波に巻き込まれたり、隕石群が落ちてきたり、足下から地面が無くなったり、矢で
も鉄砲でも持って来いと言った直後に狩人と鉄砲隊が現れたり。
「色々大変だったんでござるね」
 質問の手間が省けたなぁとか思いつつ、じゅらい。
 ディルはプンスカ怒りながら頷き、そして訊いた。
「本当に大変でしたよ!! 一体ここはどこなんですか?!」
「いやあ、拙者達もそれは知らないなぁ」
 とても正直に答えるじゅらい。するとディルは、
「うがーっ!!」
 暴れ出した。短時間に色んな災難に見舞われてしまって、情緒不安定になってしまって
いるらしい。見かねて風舞が宥めにかかる。
「落ち着いてディルちゃん。こんなところで暴れていても問題は解決しないわよ」
「うっ、風舞さん……」
 自分が出てきた途端、なんだかあっさりおとなしくなるディル。腑に落ちないものを感
じつつも風舞は、今度はじゅらいに対して続けた。
「じゅらい君もちゃんと説明してあげて。何か掴んでるんでしょ?」
「てへっ、ばれたか」
 あっさり白状した。ディルがまた暴れ出そうとするが、それは陽滝が制して、話は続く。
「まあねえ、多分ここは『誰かの記憶の中』じゃないかと思うんだ」
「記憶の中?」
「うん」
 頷いて、とりあえずディルに、自分達が見てきたもののことを説明する彼。
 樹齢数百年はあろうかという大木の密生するジャングル。伝説のマンイーター、ジョル
ニーナ=ヨンデオーロと、高速の魔神ディスモドゥス。果てが見えないほど高い「塔」と、
その最上階に飾られていた見知らぬ少女の絵と、机の中に仕舞われていたマリア=ウィン
ゲイトの絵。さらには、コダチという謎の男。
 そして、もう一つ重要なことがある。この世界では、想像したものが現実に現れるとい
うことだ。
「実際には、ある程度の制約はあるんだろうけどね。想像する意志の強さとか、明確な方
向性が必要とか。でも問題は、そこじゃない」
 科学者の顔でじゅらいは、自分なりに導き出した推測を述べる。
「風舞から『想像したものが現実に現れる』という話を聞いた拙者は、実際に試してみて、
この世界にあるものの大半は、拙者達『迷い込んだ人間』の創り出したものじゃないかと
思ったんだ。でも、あの『塔』のあたりから、そうでないものが増えた。
 拙者達の知らないものが次々と出てきたんだ。もちろん、それだけだと、誰か他に迷い
こんでる常連さんとかが創り出したとも考えられる。でもね、あのコダチとかいう御仁が
現れて拙者達を元の世界に帰そうとした時に、思ったのさ。違うんじゃないか? って」
 と、ここまで説明したところで、風舞が首を傾げた。
「どうして、そう思ったの?」
「顔でござるよ」
 あっさりと、そう答えるじゅらい。話を聞いていた三人が揃って呆れた表情に早変わり
するが、彼はめげずに「ファイト拙者!」と自分に言い聞かせて続けた。
「別に『そんな顔だから』とか、そーいう理由ではないでござるよ。というか風舞も見た
でござろう。店に来たあの女の子の姿に、何人も別の人間の姿が重なって見えたのを。あ
の中に、コダチ殿の顔もあったのでござるよ」
「あっ」
 言われてようやく思い出せたのだろう。たしかにと、頷く風舞。彼女もじゅらいも客商
売に携わる者。一度見た相手の顔なら百年は忘れないのだ。
「そうか、それでなのね」
「そう! この世界には、あまりに拙者達の知らないものが多い。ということは、それら
は拙者達には無い記憶を持っている誰かの仕業! ここにいる顔触れからして、この世界
に放り込まれたのは、あの時じゅらい亭にいたメンバーだけ。
 ──その中で、拙者達が全く素性を知らなかった相手は一人。つまり、拙者達の知らな
いものがオンパレードのガンパレードで登場するこの世界は、その人の記憶が創り出した
世界だということ。まさに、拙者達は『誰かの記憶の中』にいるのでござる!!」
 自分の導き出した結論に酔っているのだろう。じゅらいは興奮した口調でそう語った。
強引だ。ちょっと強引な理屈だが、それなりに筋は通っている。珍しいこともあるわと感
心した眼差しで見つめる風舞と陽滝。
 だが、じゅらいの高揚と二人の看板娘の納得は、次の瞬間ディルによって打ち砕かれた。
「ごめん。私、ほとんど知ってる」

「「「えっ?」」」

「多分その『塔』って、初代様が造ったっていう『黄金時計塔』のことだと思うし、そこ
で暇そうにボーッとしてる魔神は、オジサマが前に捕まえてきたことがあるし、それにそ
の森はね……」
 と、左手すぐそばからの鬱蒼とした密林を指差し、ディルは申し訳無さそうに言った。
「私の故郷の森とそっくりなの」
「……ダメじゃん」
 じゅらいはがっくり肩を落とした。
 たまに活躍したと思ったら、これだもんなぁ……とほほ。



 −2−

 それが現れたのは、やはり今までのように、全く唐突なタイミングでだった。
「ひー、ふー、みー、よー……おおっ、揃ってる揃ってる」
 いつの間にそこに立っていたのか。じゅらい達から10mも離れていない、ディル曰く
「故郷の森」の入口に、男が現れていた。
 蒼い髪と紫の瞳。背はさほど高くないがスラリと細い身体つきで、英雄譚の主人公とし
てでも出てきそうな美形。
 そんな容姿にはあまり似合わない、古ぼけた紺色で簡素な服の上から、くたびれてボロ
ボロのレザーアーマーを装備して、左腕には丸いラウンドシールドを取り付けている。
 そして、なによりも目を引くのが、右肩に担ぐようにしている武器だった。湾刀のよう
な奇妙な曲線を描く毒々しい朱色の大剣。僅かにでも魔術に通じたものなら一目で分かる。
呪いのかけられた魔剣だ。
 そんな剣を抜き身のまま引っ提げて、まがりなりにも武装をして、気配まで消して現れ
たのだから、当然じゅらい達は素早く身構えた。じゅらいは電池の切れたゴルディノック
ハンマーを。風舞は借金帳簿を。陽滝は自分の剣を。ディルは槍を構えて、男と相対する。
今まで黙っていたディスモドゥスも、敵の出現に興奮したのか、牙をガチガチと打ち鳴ら
した。
 しかし、そんなこちらの警戒心に気付きもしないかのように、男は和やかな口調で話し
かけて来る。
「なあなあ、あんたら元の世界に帰りたくはないか?」
 それは、あのコダチ=ヘイジが言ったことと同じことだった。そして、やはりじゅらい
と風舞が思い出す。
「あの時……」
「いたわね」
 店に来た謎の少女と重なって見えた虚像の一つ。その中に、この男の姿もあった。
 ということは、この男もあのコダチの仲間だということなのか?
「ははっ、そう警戒するなよ、俺は別にあんたらをとって喰うわけじゃない」
「どうだか」
 ただ一人、微塵の隙も油断も見せない陽滝が、本心からの疑問を口に出した。
 それが気に入らなかったのだろう。男はフンと鼻を鳴らして、例の大剣を掲げる。
 攻撃が来る──じゅらい達が、そう感じた瞬間、しかし男はそれを地面に突き刺した。

ズンッ!!

 凄まじく重い音と共に、刃の半分までが地中に埋もれる。剣の重さのせいか、それとも
男の怪力によるものか。どちらにせよ、見かけ倒しということはないようだ。
「これで、ちったあ話を聞いてくれるかね?」
 ゛まいった゛という風に、おどけた仕草で両手を持ち上げ、肩をすくめる男。左腕の盾
にも手を添えて、付け足す。
「それとも、これも外さなきゃいかんか?」
 シールドくらいは別にいいんじゃないかな? じゅらいがそう答えるよりも早く、自分
からそれを外して、地面に投げ捨てる男。ばかりか、誰も何も言わないうちに、くたびれ
たレザーアーマーまでをも脱ぎ捨てる。
「いい加減、全部外してしまいたかった」
 寂しさと清々しさの入り混じる奇妙な笑顔で呟く彼。身に付けているものは、もう只の
布の服と、革製のブーツだけ。素手で殺人の行える技能者だとか、魔法使いでもない限り
は特に危険のなさそうな装備だ。
 じゅらいは風舞と顔を見合わせた。風舞と陽滝。陽滝とディルも順に顔を見合わせ、最
後にディルとじゅらいが頷き合う。
 質問は、じゅらいが代表して行った。
「お名前は、なんというのでござるかな?」
 そう問うと、男はニカッと気持ちよく笑った。そして、答える。
「ツアルト=ロード。一介の゛死に損ない゛さ」



 男──ツアルト=ロードは無抵抗の意志を示すかのように、どっかりと地面に腰を下ろ
して座ると、いまだ警戒を解いていないじゅらい達に教えてくれた。
「ここは、あいつの夢の中だ」
「あいつ?」
 じゅらいが訊き返すと、彼は肩をひょいとすくめた。
「見たんだろう、あの娘を」
「ルピナス……」
 突然、ディルがその名を呟いた。
 ツアルトは頷く。
「そう、ルピナスだ。精霊ルピナス。ここはルピナスの夢の世界なのさ」
 そう言って男は空を見上げた。
 限りなく青く澄み渡った空。ほんの少し乾いた風の流れる場所。
 その視線を辿って、じゅらいも気が付いた。
 次々と色々なものが現れたが、唯一それだけが変わらない。
「あの空と、この風が『ルピナス』殿の記憶でござるか?」
「いいや、空はあいつのものだが、この風は俺の記憶さ」
 どうしてかツアルトは苦笑した。
「いつもこんな風が吹いてた。死に損なってからは、一層乾いていた。しかしまあ最後の
最後は気持ちいい風が吹いていたな。とてもいい風だった」
 そんな風に、彼が一言一言を語るごとに、少しずつ風は変化していった。冷たく乾いて
いながら、何故か清々しい、そんな風がそこにいる者達の頬を撫ぜて行く。
「実を言うとな」
 ツアルトは突然告げた。
「俺はディルだけを連れて来るように頼まれた案内人なんだ」
「えっ……」
 自分だけを連れて行く?
 唐突な言葉に当のディルは勿論、じゅらい達三人も驚いた。
 その瞬間生まれたわずかな隙を突いて、動くことも出来たのだろう。
 気付いた直後、陽滝は身構えた。じゅらいと風舞もそれに続く。
 しかしツアルトはそこに座ったまま、頭を振った。
「安心しろ。たしかにあんた方は強引に元の世界に帰すつもりだったが、よくよく考えて
みて気が変わった。そんなことは出来るはずがないよな」
「どういうこと……で、ござる?」
 尋ねたじゅらいに、彼は初めて気持ちよく笑いながら、答える。
「あんた方は生きている。だが俺は、終わってるんだ」
 それは答えのようで、答えになっていないような言葉だった。
 その意味をじゅらい達が理解するより早く、四人の目の前でツアルト=ロードという男
の姿はゆっくりと透けて、消えて行く。
「なっ、ちょっと」
「ちょっと待ちなさいよ!!」
 風舞が言おうとした言葉をディルが先に口に出した。
 少女は消え行く男を睨み付けた。
「どうして私だけなの? どこに連れて行こうとしたの!?」
 するとツアルトは、ふっと小さく息を吐き出す。
「忘れてしまっているようだな。お前は最初にルピナスに教えられたはずだぞ」
「えっ……な、なにをよ?!」
「道を、だ……──」
 苦笑して、そして結局そのまま、男は消えてしまった。
 地面に突き立てられていたはずの彼の剣も、脱ぎ捨てられた盾や鎧もいつのまにか無く
なってしまっている。そしてふと気がつくと、目の前にあったあれだけ巨大な森もそこか
ら姿を消していた。
「うあ……」
 森が消えたことに気がついたじゅらいが、唐突にそこにあった威圧感を失ってしまった
ことで、わずかによろける。その隣で風舞は、ディルの様子を心配そうに窺った。また何
もない平原だけとなった世界に立ち、少女は手をわななかせている。
「ディルちゃん……?」
 風舞が尋ねると、少女は振り返り、そして涙目で頭を下げた。
「ごめん」
 そして、そのまま顔を上げずに風舞達の横を走り抜けていってしまう。
「あっ、ディルちゃん!?」
「まずい、陽滝!」
「うん、わかってるっ!!」
 ようやく再会できたというのに、ここではぐれては意味がない。すかさずじゅらいの声
に応じて陽滝がディルの後を追いかけ始めた。
 だが、追いつけない。
 いくら「魔王」の名を関する実力者と言えども、まだ子供。陽滝がその気で走れば追い
つけないはずはなかった。だというのに、何故か両者の差は広がるばかりだ。後ろからは
じゅらいと風舞も付いて来ていて、何故か彼等との距離は変わらない。
「やられた!!」
 ディルか、ツアルトか、それとも他の何者かの仕業によるものなのかは知らないが、と
にかく自分達が術中に嵌められたことを理解して陽滝は立ち止まった。途端にじゅらいと
風舞が追いついてくる。ディルの姿は、もうほとんど見えない。
「まずい……このままじゃ、またばらばらだよ」
「参ったな……まったく」
 どんな術が使われたのか見当は付くが、今の彼等にそれに対処できる力を持つ者は一人
もいない。このままでは完全にディルとはぐれてしまう。彼女だけを連れて来るようにツ
アルトに頼んだ何者か──おそらく、ルピナス──の思惑通りになるわけだ。
「放っておくわけにもいかないよな」
「当たり前でしょう」
 引き返して、ディスモドゥスを連れて来た風舞の一言。そうだなと、じゅらいは頷く。
 と──ディルの走り去った方角とは別の方向から、自分達を呼ぶ声が聞こえた。
「あれっ? もしかして、あれってクレインさんじゃない?」
「風花ちゃんもいるようだわ」
 陽滝と風舞の言葉通り、そちら方から近付いてくるのはクレインと風花だった。どちら
もじゅらい亭の客室に寝泊りしている身。もしかしたら彼等も一緒に、巻き込まれていた
のだろうか? 外での騒ぎを何も知らないじゅらい達は、そう思いながら彼等の方に駆け
寄って行った。



 ディルは一人、平野を走り続けていた。
 その目の端からは涙が零れている。
『俺はディルだけを連れて来るように頼まれた案内人なんだ』
 あの男の、この言葉は一つの事実を突きつけて来た。
 今起こっていることは全て、彼女がいたために起きたことだということだ。
 それが申し訳なくて、あの人達のところから逃げ出してしまった。
 しかし──
「……そうよ」
 ディルは走りながら袖でゴシゴシと涙を拭いた。
 それが終わると、彼女の目には決意と戦う意志とか宿っている。
 あの女が、ルピナスが何者なのかは知らない。
 しかしあれが、これらの出来事を起しているものだとは推測出来る。
「なら、私がやめさせてやるわ」
 自分だけが狙いならば、自分一人になってやる。
 これ以上、他人を巻き込ませてたまるものか。
 今はもう、逃げるために走っているのではない。
 辿り着くために、彼女は走り続けている。
(この道の先に、あいつはいる──)
 ディルは思い出していた。ツアルトの言葉を聞くまで忘れていたことを。
 いつの間にか彼女の周囲には花が咲き乱れている。
 それらの花々の間を真っ直ぐに通っている、一本の道。
 たしかにルピナスは、この道の先で待っていると言っていた。
 ならば自分はそこへ行こう。
 そして一人でも、必ずなんとかしてみせる。
「私は、次の長なんだから……!!」
 前へ前へと進む足が、さらに速められた。



 やがてディルは、街の中を走っていた。
 誰もいない無人の街の中を。
 そこは見覚えのある街のようなのだが、なんという名前か思い出せない。
 しかしここにルピナスがいるはずだと思った。
「ルピナス?」
 それは、誰のことだったろうか?
 気がつくとディルは、小さな子供の頃に戻っていた。
 いや、最初からこうだった気がする。
 手の中を見ると、愛槍ゴーセムダクラトはそのまま残っていた。
 だがしかし、ディルはすぐに理解した。
 これだけでは足りはしない。
 彼女の背後から追いかけてくる怪物は、こんなものでは倒せはしない。
「いやっ、いやっ」
 いつのまにかディルは、また逃げ出していた。
 戦う意志など忘れて、必死に街の中を逃げ続けた。
 そもそも何と戦おうとしていたというのか、それすら思い出せずに。
 こんなに非力なのに何に勝とうとしていたのか、それすら思い出すことを出来ずに。

『……ディル』

 正面に黒い影が現れた。
 影は大きく真っ直ぐな、鋭い刃の長剣を持っている。
 振り下ろされたそれを、ディルは横道に逃げ込むことで何とか避けた。

『逃げるのか……?』

 入り込んだ狭い路地には、別の影がいた。
 その影はぬっと手を伸ばしてくる。
 ディルは慌てて引き返して、そしてまた大通りを走り出した。

『戦うんだろう……ディル』

 毒々しい、赤い剣を持った影が追いかけてくる。
 死神の鎌にも似た、円い刃が月の光を照り返していた。
 今は夜なのか、夕方なのか。
 薄い紫色の光が街中を包み込んでいる。
 いや、これは青だろうか?

「やだ……もう、やだ……」

 かつてこんなに自分は、弱音を吐いたことがあっただろうか?
 苦しい呼吸の中、それでも走り続けて、ディルは思った。
 父はディルが産まれてすぐに、戦争で死んだ。
 病床にあった母も、父の戦死の報せを受けた直後、息を引き取った。
 だというのに、彼女は呼ぶ。

「おとうさん……おかぁさぁん!!」

 記憶に無い本当の両親。
 絵でしか見せてもらったことない二人。
 父と母を自分から奪ったものはなんだったのか?
 そして、何故自分はこんなに苦しくて、それでも走り続けているのか?
 思い出せない。思い出さなきゃ。思い出したくない。
 葛藤が心の中で渦を巻く。
 すると目の前に、今までのものとは違う影が、静かに現れた。

『ディル……すまない』

 その瞬間、心の中の何かが火を噴いた。
 ずっと溜め込んでいた思いが、抑え切れずに爆発した。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 槍を突き出す。本当の父から受け継いだ槍。
 鋭い穂先は正確に、そして渾身の力を込めて影の心臓を貫いた。
 が──

ボフッ

 砂山を崩した時のような音を立てて、影は砕け散った。槍の突き刺さった場所から光が
溢れて、亀裂が走り、青い夜が、街がガラガラと音を立てて崩壊して行く。何が起きたの
かは理解できない。ただディルは思い出していた。自分がもう幼い子供でもなければ、逃
げることを目的として、走っていたのでもないことを。

 そして──

「おかえり、ディル」
 目の前にはあの女がいた。精霊ルピナス。
 光溢れる世界。一面の花々。
 今自分がいる場所がどこなのか、ディルにはすぐに理解できなかった。
 しばし呆然とした後、ルピナスの言葉から、気が付く。
「ここは、最初の……」
「そう、最初にあなたと会った場所」
 女は微笑んだ。
 その笑顔は、相変わらず明るくて、優しくて、全く敵意を感じさせない。
 しかしディルは、さっきまであったことを全て覚えている。
 故に、絶対に目の前の女は許せなかった。
「よくも……よくも」
 現在の自分に戻ったことで、ようやく彼女には分かったのだ。
 最後の瞬間、自分が槍で貫いた相手が誰だったのか。
「よくも、私にオジサマを攻撃させたわね!?」
「……」
 ルピナスは何も言わない。ただ黙って、少し哀しそうに、ディルを見ていた。




第四章「願い、歌い、そしてまた願うもの」

 −1−

 それを見付けたのは、木立平次だった。
「……そろそろか」
 どこまでも澄んだ青い空の一点に突如生じた、小さな亀裂。
 それが意味するものを彼は知っていた。
「その前に、会いに行かんとな」
「私のことですか?」
 後ろから、そんな声がした。
 振り返るとそこには、広瀬 優希がたった一人で立っていた。
「呼ばれたので来てみましたが、どちらさまです?」
「まさか一人で来るとはな……」
 さすがに驚かされて、彼は珍しく小さな笑みを浮かべてみせた。
 かつて、こんな風に自分を驚かせた相手のことを思い出したからだ。
「どうしました?」
「ああ、すまない」
 不思議そうにこちらを見る彼女に謝って、平次は本題に入った。
「イルギィーツとは別に、あなたを呼んだのは頼みたいことがあるからなんだ」
「ほほう?」
 広瀬は好奇心からか、きらりと瞳を輝かせた。



 一方──
「広瀬さ〜ん、広瀬さんや〜い」
「どこですかね〜(笑)」
 広瀬とはぐれたレジェンドと矢神は、ひたすらその姿を探し続けていた。
 じゅらい達を探すためにやって来た世界で、思わぬ迷子が増えてしまったのだ。
「これは一旦クレインさん達と合流した方がよさそうですね(笑)」
「そうだねえ」
 矢神の言葉に頷いて、レジェンドは例の通信機を取り出す。
 しかし、それを使ってみて、彼はようやく気がついた。
「しまった!! ここには電波が来てない!?」
「あ〜〜〜〜〜(笑)」
 結局彼等は他の全員を探しながら、集合地点へと戻ることにした。
 そして、その途中で矢神が気付く。
「……あれは」
 空に生じた小さな亀裂の存在。
 しかもそれが少しずつ、少しずつ大きくなって行くことに。
 ただごとでないことが起きているのには、彼だけでなくレジェンドも気がついた。
「矢神さん、あれっ!?」
「何事です?」
 レジェンドが指差した方向に目を向けると、地平線の彼方から何かが迫ってくるのが見
て取れた。しばらく二人でその正体を見極めようと眺め、そしてはっきりと何なのか分か
る段階になったところで、彼等は揃って振り返り、走り出した。
「だああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
「あれは死にますな(笑)」
 レジェンドの悲鳴と、矢神の緊迫感の無い声。彼等の背後から迫り来るのは津波。
 しかも、大地が砕けて空へと舞い上がる、土津波。
「皆、どこへ行ったんだぁ〜!!」
 悲痛な叫びは崩壊を始めた青い空へと吸い込まれていった。



 そしてクレインと風花もまた、走り出した。
「えっと……頼むぞ、デスモドス!!」
『ディスモドゥスだ』
 タテガミを掴んだクレインの言葉に応えて、ディスモドゥスは発進する。
 途端、風花が悲鳴を上げた。
「きゃあああああああああああああああああああっ!?」
 速い。とにかく速い。
 あまりのスピードにクレインの後ろに座っていた彼女は三秒で気絶した。
「ふ、風ちゃん……」
 予想はしていたので、しっかり彼女の体はマントを使って作った即席のロープでクレイ
ンの体に固定してある。まあ落ちることはないだろう。
「それにしても……こいつ凄え!!」
 ディスモドゥスのスピードに、車好きのクレインは胸を躍らせた。
 しかし、すぐにそんな場合ではないと思い出す。
「っと、そうだった」
 後方からはレジェンドと矢神が見つけたものと同じ、大地の津波が迫りつつある。しか
も花瓶の「舟」が再びあの場所を通るまで、あと三十分もない。

『くーちゃん達は、先に戻っててくれ』

 じゅらいはそう言って、風舞と陽滝を伴い、ディルが走り去って行ったという方角へと
向かった。無事でいるか心配ではあるが、彼等ならなんとかするだろう。こちらはこちら
で出来ることをしておかなければいけない。
「俺と風ちゃんだけでも戻ることが出来れば、また迎えに来られる──急がないと」
 自分、風花、花瓶の三者が揃ってさえいれば、この世界への侵入は可能なのだ。それを
説明したからこそ、じゅらい達はディスモドゥスをこちらに託したのだし、彼は今こうし
て集合地点へと向かい、ひた走っている。
 だが、そのことに必死になっているがためにクレインは気が付いていなかった。頭上の
空に走った無数の亀裂の存在に。それらは少しずつ、少しずつ、この世界が崩壊して行く
証なのだということに──



 −2−

「ゲルニカ=マリアのことが、憎いんでしょう?」
 精霊ルピナスは、少女に問いかける。
 ディルは即座に言い返した。
「そんなわけないでしょう!!」
 自分が最も愛する者。それは養父であるゲルニカその人だ。
 彼の親友だった父が戦死して以来、ずっと面倒を見てくれていた恩人なのだ。
 なのに憎むはずがない。そんなことなどあるわけがない。
「そんな……そんなことっ……!!」
「でもあなたは今、彼を殺そうとしたじゃない?」
「っ!?」
 今度は、言い返せない。
 ルピナスに見せられた幻の中で、たしかに自分は養父・ゲルニカを殺したのだから。
 それは自分でも認めたことだ。言い返しようがない。
 そんなディルを見て、ルピナスは哀しげに頭を振る。
「あなたの父、ディベルカの死の原因となったのは彼。それはつまり、あなたの母である
ルレーヴの死も彼のせいだということ」
 そうだ。そんなことは幼い頃からずっと分かっていた。
 だけど、言わないで。それ以上は言わないで。
 ディルの願いは叶わなかった。
「だからあなたは、ゲルニカ=マリアのことを憎んでいる」
 その瞬間──ディルの中で、何かが崩れた。
「────────────ッ!!」
 声にならない声を迸らせて、全ての魔力を実父から受け継いだ槍・ゴーセムダクラトに
注ぎ込む。この世界ごと破壊することになったとしても、目の前の相手は絶対に消し去ら
ねばならない。自分の本心を知る者など存在していてはならないのだ。
「ルピナァス!!!」
 怒りに満ちた眼でディルは彼女を睨み付けた。大きく槍持つ右腕を後ろに回し、ギリギ
リと体全体を絞って力を溜める。後はそうして溜めた力を開放するだけだ。ゴーセムダク
ラトはディルの魔力を喰らい、その力で今在る全てを薙ぎ払い、破壊するだろう。
 だが、自らを確実に消し去ることの出来る存在を前にして、それでもルピナスに動揺や
恐怖の感情は見られなかった。ただただ哀しそうに、ディルを見ている。
 そしてその唇が、新たな言葉を紡ごうとした。
 だがディルは、それを聞かずに動き出す。全てを破壊する力で。目の前の相手を──



「その怒りの理由に、あなたは気付いているの?」



 ルピナスの言葉が、ディルの耳に届いた。
 しかしディルは、それよりも先に自らの意志で攻撃を止めていた。ゴーセムダクラトの
穂先は、ほんの僅かにルピナスの首には届いていない。
「なめんじゃないわよ……!!」
 きつく唇を噛み、一度は爆発させた怒りを抑え込む。
 そして少女は、今まで口にしたことのなかった思いを言葉にして溢れさせた。
「オジサマはね……そんな方じゃないわよ!!」
 たしかに養父を憎んでいた。実父と実母との死の原因になった彼を憎んでいた。
 けれど時が経つにつれ、理解出来たから。
 だから憎む以上に、愛した。
「父さんは……あの方を守って死んだのよ……そのことを私は誇りに思っている。母さん
が死んだのだって、父さんの死が悲しすぎただけ。誰も、私達は、誰一人としてあの方を
憎んだりしない。あんたなんかには分からない。私はオジサマが大好きなのよ!!」
 そう言って、ディルはゴーセムダクラトを消した。
 もう必要無いから。あの槍は、誇り高き父から受け継いだ力は、こんなことの為に使う
ものではないから。その場に座り込んで、彼女は荒れていた呼吸を落ち着かせる。
 そして改めて言い返した。
「私が怒ったのは、あんたに私のオジサマに対する愛を侮辱にされたからよ。なによあん
な幻なんか見せて、ずるいじゃない。あんなことされたら誰だって反撃するわ」
「そうね、たしかにその通りだわ」
 微笑んでルピナスは頷いた。
 その笑顔を見ると、どういうわけかディルの中にまだ残っていた怒りも、憎しみも全て
吹き飛んだ。何故なのかは分からない。ただ、この精霊はとても得をしてるなと、そんな
風に思ってしまって、ディルも苦笑する。
「私が、ずーーーっと昔にオジサマを嫌っていたことがばれちゃったけど、ばれた相手が
あんたなら、まあいいわ。ばらしたりしそうな奴には見えないしね」
「ええ、それは心配しなくてもいいわ」
 答えて、そしてルピナスは続けた。
「だって私が教えなくても、ゲルニカはそのことを知っているもの」
「えっ?」
「彼はあなたが自分のことを憎んでいるのを知ってるわ」
 でも、あなたを愛してる……ルピナスはそう教えた。
 ゲルニカ……ゲンキから、直接言われたわけでもないのに、ディルは不思議だった。
 どうしてか、彼女の瞳から涙が零れる。
「あ、あれ……なんなの?」
 ごしごしとそれを袖で拭っても、次から次へと溢れてきた。哀しいわけではない。ただ
どうしてか、とても嬉しい。ゲンキが彼女の抱いている憎悪のことを知っていて、それで
も我が子として愛してくれていたのだと教えられて、涙が止まらない。
「でも、どうして……?」
 どうして、そんなことを彼女が知っているのだろう? それだけではない。ディルが昔
ゲンキを憎んでいたことも、その理由もルピナスは知っていた。
 一体この精霊は何者なのか?
 ようやく涙の止まった目でディルは、目の前の相手を見上げた。一面の花々に囲まれた
世界の中心に立ち、その女性は優しい眼差しで彼女を見守っていた。
 そんなルピナスの胸元に、ディルは不可思議なものを見つける。
「あなた……それ?」
「あ、気付かれちゃったわね」
 慌てて、彼女はそれを服の襟元を引っ張って隠した。しかしディルは見てしまった。ル
ピナスの胸に、たしかに何かに貫かれたような傷痕があったことに。そしてその場所は間
違いなく……。
「じゃあ……じゃあさっきの影は、あなただったの?」
「……ばれちゃったか」
 ルピナスはもう一度、恥ずかしげに笑う。
 何故そんな表情をするのかディルには分からない。彼女があんなことをした理由も分か
りようがない。ただ、あれがゲンキではなかったのだとだけ理解出来た。
「本当に、あなた何者なの……私のことも、オジサマのことも知ってたし」
 尋ねたディルに、しかしルピナスは答えず、空を見上げた。
 つられてディルも上に視線を送って、そして気が付く。
「なっ……なによあれ!?」
 そこにあったのは空一杯に広がったヒビ割れだった。空の中心に亀裂が入り、そこから
全体へと崩壊が広がったようだ。
「っ!? まさか……!!」
 改めて、さっきルピナスの胸元にあった傷を思い出す。自分の槍が貫いた傷痕。そして
空の中心に生まれた亀裂。この世界はルピナスの夢だとあの、ツアルト=ロードが言って
いた。あの空が精霊ルピナスの記憶を象徴するものだとも。
 その空が崩壊しかけている今、つまり彼女は──

「らぁら……らら……」
「ルピナス!?」

 彼女は歌い、そして踊り始めた。最初に出会った時と同じように、美しい歌声を空一杯
に響かせながら、花の中で舞い遊ぶ。ディルは彼女に近付こうとした。しかし何かが邪魔
するように、近付かせてくれない。走っているのに近づけない。
「ルピナス!! ルピナス!!!」
 一度は殺そうとした相手なのに、何故かディルは彼女が消えることが悲しくて堪らなく
なっていた。ルピナスの夢が終わる。それを為したのが自分だということが、ひどく辛く
て、そして切ない。
「ルピナス、あなた誰なのっ」
 もう一度問いかけると、遠ざかる景色の中で彼女が笑った。その笑顔を見て、ようやく
ディルは彼女が何者なのかに気がつく。むしろ今まで分からなかった自分が不思議でなら
なかった。髪と肌の色は違えども、あれは、あの顔は……。

「──様っ!!」
『忘れるなよディル……さっきお前が言った、あの気持ちを』

 そんな声が聴こえた瞬間──ディルは後ろから何かに引っ張られて、ルピナスのいる場
所から遠ざけられた。そうしてふと気が付くと、目の前には何も無い。ただ平坦な地面が
どこまでも続く平野に座り込んでいた。
「ディル殿、行くでござるよ!!」
 そんなじゅらいの声が後ろから聞こえて、慌てて彼女は立ち上がる。振り返ると彼だけ
でなく風舞と陽滝がいた。地面が揺れている。彼方を見ると土が津波のように空へと舞い
上がって行くのが見えた。そして、崩壊の進む空。
 ああ……この世界は消えてなくなってしまうんだと、ディルは理解した。彼女の夢が崩
れて消える。ルピナスの世界が終わりを告げている。
 結局あの人は、精霊ルピナスは何を伝えたかったのだろうかと、そのことばかりを考え
ながらディルは走り出し、じゅらい達の後を追いかけた。少なくともここで彼女が世界の
崩壊に巻き込まれることを望みはしないだろう。
「オジサマ……!!」
 無性にゲンキに会いたかった。ここを出たら会いに行こう。子供の頃、この街に来た時
のように、彼がどこにいようとも会いに行こう。そして伝えるのだ、自分の気持ちを。例
え娘としてでもいい。愛してくれる人に、ありがとうと言いたい。
「じゅーちゃん、来たかっ!!」
 前方でクレインと風花が待っていた。レジェンドと矢神もいる。ディル達四人がその場
に駆け込むと、同時に空の中心の亀裂から何かが飛び出して来た。舟だ。それに向かって
皆が走り出すと、どこからともなく広瀬がやって来て、ぎりぎりで合流した。皆が乗り込
んで、そして先頭に立った風花が翼を広げ、舟は再び上昇を始める。

カッ!!

 目の前で光が弾けた。元の世界へと戻るために、崩れ行くルピナスの夢を突き抜けたの
だろう。眩しさに目を閉じたディルが、しばらくして瞼を開けると、そこには一面の星空
が広がっていた。そしてほんの少し横に視線をずらした彼女は、驚く。
「白い……花」
 青い惑星の上に、巨きな、巨きな花が咲いていた。



 セブンスムーンでは、新たな異変に人々が騒ぎ立てていた。
 本来空から舞い落ちるはずの雪が、逆にひとりでに空へと舞い上がり、踊っている。
 セブンスムーンの街の上で、舞い踊る雪たちは何かを形作っているようだった。
 しかしそれはあまりにも巨きく、おそらく宇宙からでなければ何なのかは分かるまい。
「じゅらいさん達、どうしたのかなあ」
 眠兎は心配そうに呟いた。じゅらい亭を包んでいた青い光は、とうに消えている。
 彼等に限って、まさか出て来れなくなったということはあるまい。だが心配ではある。
「早く帰って来ないかなあ」
 そう呟いた時、空から滑り落ちるソリのように、彼等の乗る舟は舞い戻って来た。



 −3−

 崩れ行く世界の中で、ルピナスは感謝を捧げた。
 自分にこの時間を与えてくれた彼等に、心からの感謝を。
 本当ならこんなことは不可能だった。
 何故なら自分は既に「終えた者」なのだから。
 最後の旅を、終えてしまったのだから。
 でも、彼等のおかげで完全に悔いは無くなった。

「ありがとう、イルギィーツ、コダチ、ツアルト……ゲンキ」

 おかげでディルに、皆に伝えることが出来たから。
 この言葉を、ようやく──

「さようなら」

 胸の傷から光が溢れ出し、ルピナス自身を飲み込んだ。膨張した光は崩れ落ちる世界の
全てを優しく包み、消し去って行く。その中でイルギィーツも、木立平次も、ツアルトも
満足気に笑っていた。
 そしてルピナスと彼等の夢は、終わりを告げた。



 花びらが舞い落ちる。
 真っ白い雪の花びらが降り注いでいる。
 それは高緯度に位置し、常に冷厳な気候下にあるテンスムーンですら見たことのある者
はいない、不思議で暖かな雪だった。
 と、人々が感動し、空から舞い落ちる奇跡を見上げ続けている時、街外れの丘の上では
一人の男がムードぶち壊しの盛大なクシャミを発していた。
「ヘッ……キシ!! てやんでい、べらんめい」
 ずっとそこに横たえていた体を、ムクリと起き上がらせる。ずいぶんな量の雪に埋もれ
てしまっていた。
「むう……なんか、長いこと寝ていた気がするなあ?」
 珍しく天気の良い日に、ふらりと散歩に出て、ちょっとばかし昼寝をしようと思っただ
けだったのだが。
「ま、いいか……帰ろ帰ろう」
 立ち上がり、そしてふと気付いた。
「レミ?」
 なんとなく、相方が静かである。
 呼びかけてみたが返事は無い。
 しかしちょっと心配になった頃、ようやく彼にだけ聞こえる声が返ってきた。
『むっ……わりぃ、寝てた』
「うむ、寝過ごしたな」
 まったくだめな奴だなあと、ほんのちょっと先に起きただけのくせに得意気になる。
 案の定『てめえだって寝てただろうが』と言い返された。
 そして、それを機に口げんかしながら歩いていると、前の方から呼びかけられる。
「ん? ハニーじゃないか? それにディルちゃんとセルフィまで……どうしたんだろ」
『なんかあったのかな?』
 何も知らずに、彼等はそのまま歩いて行った。
 愛する家族の待つ場所へと。



「3日も昼寝してたなんて、何考えてますの!!」
 何故か殴られた。




エピローグ


 しばらくして、ディルが虹と一緒にいつものようにじゅらい亭へ遊びに来ると、常連達
が集まって何かを見ていた。不思議に思って近付いてみると、輪の中心には広瀬が座って
いて、しかも何故か彼女は、こちらの姿を見つけるなり手招きした。
(なんだろ?)
 普段広瀬とはあまり馴染みのないディルは困惑しながら、通り道を開けてくれた常連達
の間を通り、広瀬の隣の席に座った。そして彼女から見せられた絵を見て、ハッとする。
「これ……」
「はい、あの時の絵ですよ」
 そう広瀬が言った通り、そこに描かれているのはルピナスの夢の世界から戻った直後に
見た、星の上に咲く巨きな白い花だった。彼女の巧みな筆遣いによって、見事にあの時の
光景が再現されている。
「まさか、こうなってたとは思わなかったなあ」
 当時セブンスムーンにいて、一体空がどんなことになっているのか分からなかったとい
う眠兎が呟いた。ディルもあの時は混乱していたので、落ち着いて見ることは出来なかっ
たのだが、まさか絵として残されていたとは。
「わぁ……綺麗だね」
 一緒に輪の中心に入って来た虹が、絵を見てほわっと表情を和ませる。たしかに綺麗だ
と思いつつ、しかしディルは別のことを口に出した。
「この花……なんていう花なんですか?」
「これですか?」
 尋ねられた広瀬は、少しの間上向きに視線を傾けて、そしてやがてポンと手を打った。
「これは『ルピナス』ですね。本当はこういう花がたくさん付いているものなんですけど
間違いないです、鏡花が植えてましたから」
「ルピナス……ルピナスですか」
 やっぱり、そうなのかとディルは思った。
 そして広瀬は続ける。
「はい、それで、ええと色によって花言葉が違うんですよ。『多くの仲間』『あなたは私
の心の安らぎ』それから、えっとこの白いルピナスは……『いつも幸せ』」
 そこまで聞いて、ディルには分かった。
 いや、あれからずっと考えていて、もう分かっていたことではあるのだ。
 彼女が、自分に何を伝えたかったのか。
 なんとなくではあるが、それを確かめることば出来た。
「ありがとうございます、広瀬さん」
「え?」
 どうして礼を言われるのか分からず、きょとんとする彼女の手にディルはルピナスの花
が描かれている絵を返した。そして周囲を見回し、その姿を見つけるなり、人垣を割って
駆け寄る。相手はびっくりしながらも、いつものように両腕を広げてくれた。だから彼女
は、そこに躊躇無く飛び込むのだ。

「パパッ!!」

 いつの日からか、父と呼ぶようになった人の腕へと。




(終わり)


〔ツリー構成〕

[22] ゲンキ=M 2001.12.24(月)19:09 ゲンキ=M (143)
・[23] 短編 じゅらい亭日記・特走編「聖夜〜虹と太陽〜」 2001.12.24(月)19:12 ゲンキ=M (16136)
・[24] あとがき 2001.12.24(月)19:20 ゲンキ=M (856)
・[25] 感想:短編 じゅらい亭日記・特走編「聖夜〜虹と太陽〜」 2001.12.25(火)11:43 藤原眠兎 (433)
・[26] 感想感謝でーす♪ 2001.12.25(火)16:51 ゲンキ=M (366)
・[27] うーん、うらやましい。(ぉ 2001.12.25(火)20:52 クレイン (1259)
・[28] 感想感謝2! 2001.12.26(水)00:32 ゲンキ=M (792)
・[90] 長編 じゅらい亭日記──超・暴走編7「竜女再来」 2002.11.27(水)17:24 ゲンキ (996)
・[91] 超・暴走編7「竜女再来」(1) 2002.11.27(水)17:28 ゲンキ (48213)
・[92] 超・暴走編7「竜女再来」(2) 2002.11.27(水)17:31 ゲンキ (57614)
・[93] 超・暴走編7「竜女再来」(3) 2002.11.27(水)17:34 ゲンキ (53509)
・[94] 超・暴走編7「竜女再来」(あとがき) 2002.11.27(水)17:44 ゲンキ (1083)
・[141] 感想 2003.6.8(日)10:22 藤原 眠兎 (530)
・[168] うぃさっさ 2003.12.24(水)15:02 ゲンキ (111)
・[96] 長編 じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」 2002.12.24(火)15:21 ゲンキ (462)
・[97] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」前編 2002.12.24(火)15:25 ゲンキ (52057)
・[504] 削除
・[98] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」中編 2002.12.24(火)15:28 ゲンキ (47780)
・[99] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」後編 2002.12.24(火)15:30 ゲンキ (34765)
・[100] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」あとがき 2002.12.24(火)15:31 ゲンキ (960)
・[101] お疲れ様です。 2002.12.28(土)11:04 じゅんぺい (256)
・[107] ありがとうございます 2003.2.24(月)14:51 ゲンキ (168)
・[142] 感想 2003.6.8(日)10:29 藤原眠兎 (587)
・[169] なんというか 2003.12.24(水)15:03 ゲンキ (169)
・[122] 短編 じゅらい亭日記──超・暴走編8「その日、彼女は」 2003.3.16(日)17:50 ゲンキ (1163)
・[123] 短編 じゅらい亭日記──超・暴走編8「その日、彼女は」 2003.3.16(日)17:51 ゲンキ (20724)
・[124] 短編 じゅらい亭日記──超・暴走編8「その日、彼女は」あとがき 2003.3.16(日)17:52 ゲンキ (1714)
・[143] 感想 2003.6.8(日)10:39 藤原 眠兎 (405)
・[170] ばふぉー 2003.12.24(水)15:05 ゲンキ (79)
・[147] 漫画 じゅらまんが大王 2003.6.30(月)23:11 ゲンキ (189)
・[148] 漫画 じゅらまんが大王1 2003.6.30(月)23:18 ゲンキ (263)
・[152] 感想(画像の投稿ってできたんですね!) 2003.7.7(月)02:37 星忍とスタ (322)
・[156] ご感想ありがとうございます 2003.7.7(月)23:42 ゲンキ (261)
・[149] 漫画 じゅらまんが大王2 2003.6.30(月)23:21 ゲンキ (215)
・[153] 感想(おそるベシ、風舞さま) 2003.7.7(月)02:39 星忍とスタ (48)
・[157] ……ひい 2003.7.7(月)23:43 ゲンキ (32)
・[151] 漫画 じゅらまんが大王3 2003.6.30(月)23:23 ゲンキ (278)
・[154] 感想(インパクト) 2003.7.7(月)02:40 星忍とスタ (64)
・[158] すごいですよね 2003.7.7(月)23:44 ゲンキ (40)
・[160] おお、4コマ漫画だ! 2003.7.10(木)07:31 じゅんぺい (252)
・[167] うへへ 2003.12.24(水)15:01 ゲンキ (79)
・[197] 漫画 じゅらまんが大王4 2005.3.30(水)22:59 ゲンキ (302)
・[199] 感想 2005.4.25(月)11:41 CDマンボ (199)
・[200] 感想どうもでーす 2005.4.30(土)09:33 ゲンキ (139)
・[165] 短編 じゅらい亭日記特走編2「聖夜 魔王の祝日」 2003.12.24(水)14:58 ゲンキ (18491)
・[166] あとがき 2003.12.24(水)15:00 ゲンキ (192)
・[171] うわー…(笑) 2003.12.24(水)19:36 じゅ (582)
・[172] お疲れ様でした〜☆ 2003.12.24(水)19:47 CDマンボ (258)
・[173] 何は無くとも 2003.12.24(水)20:18 藤原眠兎 (372)
・[176] 短編 じゅらい亭日記奔走編2【聖夜 ジングルオールザウェイVer.J】改 2003.12.26(金)01:27 ゲンキ (16950)
・[177] あとがき 2003.12.26(金)01:29 ゲンキ (242)
・[178] かんそうー 2003.12.26(金)02:06 藤原眠兎 (345)
・[188] 短編 じゅらい亭日記・哀走編【聖夜〜彼が余計な知識を仕入れたら〜】 2004.12.22(水)05:36 ゲンキ (817)
・[189] 短編 じゅらい亭日記・哀走編【聖夜〜彼が余計な知識を仕入れたら〜】 2004.12.24(金)00:55 ゲンキ (49950)
・[190] 短編 じゅらい亭日記・哀走編【聖夜〜彼が余計な知識を仕入れたら〜】あとがき 2004.12.24(金)01:18 ゲンキ (585)
・[191] 感想 2004.12.24(金)23:35 CDマンボ (215)
・[192] 感想ありがとうございます 2004.12.24(金)23:43 ゲンキ (151)
・[201] 短編 じゅらい亭日記・狂走編<モンスター・ハンターJ> 2005.7.23(土)14:50 ゲンキ (272)
・[202] じゅらい亭日記・狂走編<モンスター・ハンターJ> 2005.7.23(土)14:54 ゲンキ (64063)
・[203] 感想〜☆ 2005.7.23(土)23:29 CDマンボ (315)
・[204] 感想 2005.7.24(日)00:46 眠兎 (178)
・[205] 久々じゃのう(笑 2005.7.25(月)04:38 幾弥 (422)
・[206] 感想ありがとうございます 2005.7.25(月)11:30 ゲンキ (1008)

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