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91 超・暴走編7「竜女再来」(1)
2002.11.27(水)17:28 - ゲンキ - 22912 hit(s)

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「竜女再来」





プロローグ

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 今も瞳を閉ざせば聴こえる声……。
 常に彼女と共にあり、今までを支えてきた優しい幻……。
 少年の……思い出。




 忘れたくない……記憶。




第一章「竜女仰天」

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 −1−


 その日、一通の手紙が届いた。


「先生。先生宛てに手紙が来てますよ」
 校門前のポストから封筒の束を取り出した少年が、側にいた長身の女性に、その中の一
通を渡した。渡された女性は、青一色という珍しいその封筒をしげしげと見つめ、裏面の
差出人を見た途端──アッと息を呑む。
「Gさん! そっか、それで青いんだ!!」
 封筒の青色は、「Gさん」と呼ばれた青年がいつも額に巻いているバンダナの色と同じ。
どうりでと、驚きと同時に納得する彼女。苦笑と共に言った。
「こんなの描いて送るのも、Gさん以外にいないわね」
 封筒の裏面には、綺麗とは言えないクセ字で書かれた差出人名の横に、簡略化された人
の顔のマークが描かれている。たしか「もがー」とか呼ばれていたもので、G青年は昔か
らよく使っていた。
「色んな噂聞いてたけど、こういうところは変わってないんだなぁ……やっぱり」
 彼の知名度は今やかなりのもので、辺境にいる彼女の耳にも彼の噂はよく届く。特に悪
評や暗い話が多いので心配していたのだが、この分だと聞いたほど変わってしまってはい
ないようだ。そもそも、噂の真偽も怪しいものである。
 彼女はそんな事を考えながら、半ば無意識に手紙を読みすすめていた。そこには彼女も
知っている者達のことが書かれてあり、よく知らない者達のことが書かれていたりもした。
 その中に、見覚えのある名前があるのに気付く。
「虹ちゃんが……Gさんのところに?」
 そう呟いた彼女の顔がよほど怪訝そうだったのだろう。先程の少年が訊いてきた。
「どうしたんですか先生?」
「え? いや、ちょっとね。って、レイカ君、もう授業始まってるじゃない!? 早く教
室に戻りなさい!!」
 時計台の大時計の針が指す時間に気付き、レイカ少年を教室の方に押し出す。少年は、
やや不満げに「はいはい」と答えて走って行った。
 そうして一人になった後、彼女は改めて手紙を読み直した。
「えーと……」
 さっきまでに読んだところは飛ばして、その続きに目をやる。そこからは、以下の通り
の文章が書かれていた。

『というわけで、ヨルンに頼まれて虹を預かってます。会いたくなったら、セブンスムー
ンに来てください。虹も君に会いたいとか言ってましたし。
 ちなみにディルちゃんや寂、財布もいるし、ルウさんや花霧さんといった君と会ったこ
とのない方々もいます。可奈さんもお元気です。じゅ亭の常連さん達もそりゃもう……元
気すぎるほどに元気です(笑)。
 そんなわけで、セブンスムーンは相変わらずです。色々と変わったところもあるけど、
騒がしさは昔のまま。仕事が忙しいとは思いますが、余裕があったら一度来てみてくださ
い。大魔王の権力を濫用してうちらの世界のパッドガロクに、セブンスムーン近郊への直
通便を開通させましたので利用してやって下さい。手紙と一緒にフリーパスを同封しとき
ます。それでは、また。 
                                   ─G─ 』

「フリーパス?」
 文末に書かれていた言葉に、彼女は手にしていた封筒の中身をもう一度見てみた。
 すると、たしかに薄っぺらい小さなカードが一枚、底に落ちている。それを指で器用に
つまんで取り出すと、円の中に「大魔王認定」と書かれた捺印がなされ、その下に黒地に
白い線で文字が書かれていた。
「『ヴォイド・ウォルクス・カーディネス』……ああっ!? 最近色々な世界で開通して
るっていう!? 『聖母』魔族のっ!!」
 彼女の記憶が正しければ、このカードは大人数が一度に次元間を行き来できる転送装置
を使用するための切符である。しかも「大魔王認定」と言えば、何度でも使えてVIP扱
いまでされるという永久フリーパス券。滅多に発行されない代物だ。
 たしか、既に今いるこの世界にも「駅」が出来ていたはずであるが……。
「あ、あの人は……またこんな凄い物送ってきて……遊びに来いってことなのかな?」
 G青年が悪巧みした時に浮かべる凄絶なニヤリ笑いを思いだし、寒気がした。こんな高
価な物をタダでくれるような性格ではない。絶対に何か裏がある。
 そう思った途端、手にしていた手紙の裏側にチラリと文字が見えた。なんだろうかと、
裏返しにしてみる彼女。途端、表情が引き攣る。

『なお、君の写真を店に来ていた方々に見せたら、縁談の申し込み多数也。とりあえず全
部受けといたので是非とも来るべし。この手紙を読んだ頃には僕の部下が迎えに行ってる
はずなので、よろしく。それでは一緒にニヤリング♪ はっはっはっはっはっはっ!!』

「……おみあいって……?」
 一瞬、本気で思考がぶっ飛ぶのを感じる彼女。
 と、次の瞬間──背後から二つの声がかけられた。
「ラーシャ=アスフェイズ様」
「ラーシャさん♪」
「…………」
 おそるおそる振り向くと、道化姿の男と校長が立っている。怪しい。校長はともかくと
して、道化姿の男が真っ昼間から校舎内に立っているというのはとてつもなく怪しい。少
なくとも、その時の彼女──ラーシャ=アスフェイズはそう思った。
 そして、こんな怪しい男はG青年の部下に違いないという確信も抱く。実際、そうだと
いうのは次の彼のセリフで証明された。
「長の命にて、お迎えに上がりました」
「今だーっ!!」
 道化姿の男が言うなり、黒服の男達が現れた。慌てて避ける暇も無く、抱え上げられて
しまうラーシャ。そのまま逃げられぬように縛られ、連れ去られて行く。
「事情は聞きましたよ。いってらっしゃい、ラーシャさーん!!」
 校長は楽しんでいるのか、ニコニコと手を振り続けていた。
「おみーっ!? (オニーっ!?)」
 呪法を使えぬようにと口まで塞がれ、彼女──カース・ドラゴン・ラーシャの悲痛な叫
びは、間抜けなうめき声として校舎の中に木霊した。




 真夜中、電話のベルで目が覚めた。

ジリリリリーン!! ジリリリリーン!!!

「はいはい……今出ますよ」
 三十分前に寝たばかりだったので機嫌も悪く、G家の主・ゲンキ=Mは廊下に設置され
ている黒電話の受話器をとった。
「はい、ゲンキです…………って、おや?」
『──△×──!! ○□◇──!!!?』
 受話器から聞こえてきた声は、支離滅裂な叫び声だった。耳をつんざくその声に、眠っ
ている娘達(実の娘でもないし、一人は預かっているだけだが)が起きるのではないかと、
彼は受話器の耳に当てる方を手で覆った。

 そうして、しばし……

「落ち着いた?」
『────□◇○□!!!』
 言った途端、また喚かれた。仕方ないので、再び受話器に手を当てる。こういう時、も
っと新型の電話にしときゃよかったとも思うのだが、「物は大事にしよう」がこの家の家
訓第八十六条でもある……らしい。まだまだ、この黒電話は現役だ。
 と、そんな物思いに耽っていると唐突に叫び声が途絶えた。「ふむ」と頷き、腕時計を
見ながら彼は再び電話の向こうに声をかける。
「七分間もよく息が続くねえ? 歌手になってもよかったんじゃないか?」
『私は教師です!!』
 電話の向こうから返ってきた声は、あのラーシャのものだった。なにやら非常に怒って
いるようである。とりあえず、ゲンキは気付いたことを口にした。
「うむ、しかし生徒に対して怒鳴っちゃいかんよ」
『Gさんは生徒じゃないでしょ!!』
「それもそうだ」
『…………っ!!!』
 怒りの気配が電話越しにもビシビシと伝わってくる。これ以上からかうと電話を切られ
そうなので、ゲンキはすかさず話を変えた。
「ところで、手紙は読んでくれたかな?」
『読んだからこうして拉致されてるんでしょう!?』
「拉致とは人聞きの悪い。せめて『連行』と言ってくれ」
 ……結局からかってしまうらしい。
『どっちもどっちです!!! 第一、なんですかあのピエロみたいな人は!? それに、
私のお見合いって……!!』
「ああ、彼は手紙にあった通り僕の部下のベイシックさんだよ。ところで、それで思い出
したんだけど彼に代わってくれないか?」
『なにが代わってですか!! それより、勝手に私のお見合いなんか決めたことに対する
釈明を──ああっ、ちょっと何するんです!』

゛ガダガダガダンッ!! バキッ ゴギャッ!! ビシビシィッ!!゛

「おおっ」
 電話の向こうでなにやらモメるような音がした。どうやら、ベイシック達とラーシャが
受話器を巡って争ってるらしい。その光景を思い浮かべてニヤニヤ笑いながら、ゲンキは
しばし待つことにする。
 次に電話に出たのは、ベイシックの部下だった。
『お、長……助けてください。我々では抑えきれません……』
「だろうねえ。本気になると五封装より強いかもしれないし」
『長ぁぁぁぁぁぁぁぁ〜っ!? わかってるなら何とかして下さい!!!』
「まあ、いくらなんでもそんなところで本気は出さないだろうから頑張って。ところで、
ベイシックさんは?」
『……奮戦しておられます』
「そう。じゃ、『頑張って下さい』と伝えといてね〜♪」
『長ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──っ!!!!』

ガチャン

 ベイシックの部下の悲哀に満ちた叫びを無視して、ゲンキは受話器を置いた。ついでに
電話線も引っこ抜き、自室へと向かう。
 その途中、心の中で呟いた。

(恨むなら眠兎さんを恨んでくれよー)

 そもそも、縁談が持ちあがった原因は、彼──藤原眠兎なのだから。



 −2−


 突然、強い風が吹いた。帽子が飛びそうになるのを押さえ、青年は目を細める。
「良い風だ」
 この場所、この季節に吹く風は、故郷と同じ香りを運んでくれる。そのせいか、何度か
故郷に帰ったような錯覚を覚えたこともあった。

(故郷……か)

 それに関しては色々と思うこともあり、先刻とは別の意味で目を細める。また、あの香
りを運んで風が吹きつけた。
 青年は再び帽子を押さえ、いつのまにか止まっていた足を動かす。道は下り坂にさしか
かっていた。
「ま、なんにしても──」
 風が止み、帽子から手を離して前方に広がる街並みを見下ろす青年。縦長の瞳孔を持つ
瞳が彼方に見える一軒の宿酒場を見つめた。
「──ただいま、セブンスムーン。そして、じゅらい亭」
 青年の名は、カリオンと言った。



 早朝のじゅらい亭。ラーシャは額に怒りマークを浮かべて、目の前の青年に訊ねた。
「そ・れ・で? どうして私がお見合いしなくちゃいけないんです?」
「うっ……そ、それは……」
 彼女にしては珍しく迫力のある視線に圧され、顔を背けつつ返答に困っているのは、じ
ゅらい亭のスピードキング・藤原眠兎。ゲンキに呼び出されて店に来た途端、彼に「今回
のことは眠兎さんが原因なのだよ♪」と指差されたためにこういう状況に陥っている。
 もう、かれこれ三十分ほどか? ラーシャは先程の質問を繰り返し、眠兎は歯切れの悪
い答えを返しては睨まれる。相手が本当はドラゴンだからなのか、蛇に睨まれたカエルの
気持ちが痛いほどわかった。もうカエル料理は食うまい。
「あのね、ラーシャさん……そもそもは……」
 と、そこまで言いかけて眠兎は気づいた。そうだ。そういえば、自分ばかりが原因では
ないではないか? ゲンキにだって責任はあったはずだ。よし、その辺を白状してみよう。
指差された仕返しに道連れにしちゃる。彼の脳裏を、以上のような思考が瞬時に駆け巡っ
た。
「そもそもは……なんです?」
 訊きかえしてくるラーシャを相手に、初めて不敵な笑みを浮かべると、眠兎は言葉を続
けた。
「最初にラーシャさんのお見合い写真をここで見せびらかしたのは、ゲンキさんなんです
よ。ええ、そりゃセブンスムーン中の人間が見たんじゃないかってくらいに張りきって」
 その台詞の直後、ラーシャはクルリと背後を振り返り、ゲンキは顔を引き攣らせて後ず
さった。スザザッと。
「Gさぁ〜ん!? やっぱりですか!!」
「ま、待てラーシャ違う!! セブンスムーン中の人間に見せた記憶なんて無いし、゛や
っぱり゛とはなんなんだい!?」
「゛やっぱり゛原因は眠兎さんじゃなくて、Gさんだったじゃないかってことですよ!」
 ズカズカと詰め寄って口をへの字にし、自分より背の低い相手を見下ろすラーシャ。す
ると、ゲンキは開き直ったかのように胸を張り、堂々と言った。
「うむ、たしかに原因の一端は僕だ」
「遂に認めましたね?! さあ、おとなしく本当の事を話して──」
「──しかしながら、責任が僕にばかりあるのではないと知ってもらいたいな」
 と、ゲンキは言うなりラーシャの額に人差し指を当てた。瞬間、ラーシャは後ろに下が
ろうとするが、相手が悪かった。

ビコンッ

 結構強く指が弾かれ、ラーシャの意識は遠のいて行く。ゲンキの声が遠くから響いた。
『ま、百聞は一見にしかずってね♪』
 その言葉で、どうやら何があったかを直接見せてくれるらしいとラーシャは理解した。
それにしたって他に方法があるだろうという気もするのだが、仕方ない。彼女は、おとな
しく気を失ってあげた。



 最初に見えたのは、ゲンキが酔った勢いで冗談半分に複数のお見合い写真を作っている
光景だった。
『るーる〜るる♪ らーら〜らり♪ 全く、この調子じゃ、いき遅れちゃうぞー。特にラ
ーシャ。仕方ないから、おにーさんが良いものを作って皆に配ってあげよー』
 すごく楽しそうだ。すごくすごく楽しそうに作っている。ラーシャの殺意ポイントが七
レベル上がった。

 次に映し出されたのは、それらお見合い写真を持って、朝早くにじゅらい亭に入ってい
く姿。あの意味の無い高笑いを上げながら、ゲンキは最も早く店に来ていた眠兎に、それ
らを見せた。
 すると、眠兎がその中の一枚を手に取り、凝視して何かを考え込み始めた。かと思うと、
いきなり嬉しそうにゲンキの肩を叩き、言う。
『はっはっは、ゲンキさん、それならバッチリいい人がいるんですがねぇ?』
 どうやら、この時点で縁談第一号が決まってしまったらしい。ラーシャは眠りの中で頭
を抱えた。

 そして、最後に映し出されたのは、先程の光景の直後。常連達が一斉に入店してくる場
面だった。その中の一人、ラーシャにとっては見知らぬ青年が目ざとく眠兎の手の中の写
真を見つけ、彼とゲンキに問いかける。
『な、誰!? この美人、誰っすか眠兎さん! ゲンちゃん!?』
 その声に反応して、集まってくる常連ズ。彼らに揉みくちゃにされ、質問責めを受け、
目を回したゲンキは次々と「お見合い」を承諾してしまった。
 最初にラーシャの事を「美人」と言った(ちょっとラーシャは嬉しかった)青年、アレ
ースがやたらとはしゃいでいる。

 ──映像は、そこで途切れた。



 目を開けると、ラーシャは第一声でこう言った。
「Gさん、お願いですから、一度本気で殴られてください」
「何故?」
 ラーシャの寝かされていた長椅子の横に立つゲンキは、自覚の欠片も無い不思議そうな
顔で訊き返す。
 その瞬間、ラーシャの理性に亀裂が入った。


────ズドォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!!!!!!!


「ひあああああああああああああああああああああああああああ!!?」
 じゅらい亭の屋根を突き抜けた黒い衝撃波に、吹き飛ばされていくゲンキ。とりあえず、
ラーシャがそれ以上暴れなかった事が幸いであろう。心の底から、目立ってない店主・じ
ゅらいは喜んだ。

 ちなみに、
「あー……助かった?」
 とりあえず、眠兎もそんな事を呟いていたりした。



 −3−


 ラーシャに吹っ飛ばされはしたものの、以降もゲンキはいたって快調だった。いつもの
ことだが。
「ふむ、それでは最終的にラーシャとお見合いされる方は、五人……と」
 不機嫌な顔の本人の目の前で、なにやら書類の整理などしている。その紙束の一番上に
は、全て「お見合い申込書」と書かれていた。彼の言葉と五枚だけよけられてる申込書か
らすると、紙束の方は全部お見合いをキャンセルした人達のものだろう。
「いや、それにしても、ちょっと暴れただけなのにねえ。減るもんだ」
 呑気な口調で彼は言う。と、それに過剰に反応する者がいた。
「ちょっと?」
 なにやら険のある声である。かといってラーシャではない。暴れたのは彼女であって、
ここで険しい感情を声に顕わすのは、当然その暴走の被害者なのだから。
 つまり、店主じゅらいだった。
「毎度のことだけど、二階の床と天井に空いた大穴の修理代は、ゲンキ殿とラーシャ殿に
半々で請求しとくからね」
「ううっ……痛い出費だぜ」
「私だって、そんなにお給料もらってないのに……」
 じゅらいの痛恨の言葉に、タイミングを合わせてシクシク泣くゲンキとラーシャ。貧乏
人は気が合うのだ。
 そんな二人を見て、ちょっと離れた場所に座っていたクレインが呟く。
「まったく、相変わらず兄妹みたいに仲いいなぁ」
「そうですねぇ(笑)」
 相席していた矢神も頷いた。先刻のような暴走も、ゲンキとラーシャが不仲だから起こ
ったのではない。むしろ、仲が良すぎてじゃれあっていたようなものである。ただ、その
時に使用されるパワーが二人ともちょっぴり強すぎるだけだ。
「ああ、そうそう」
 と、突然もう一人の相席者、風花が離れた場所の二人を目線で指して言った。
「私、最初にここに来た頃、あの二人って付き合ってるんだと思ってた」
「ええっ? いくらなんでも、それはないでしょう?」
 即座に反応したのは、無論ナンパ王クレイン。「まさかぁ」という顔をしている彼に、
風花はコクコクと頷き返し、ピコッと人差し指を立てた。
「そう。なんか妙に仲良いから、最初はそう思ってたんだけど、よく見ると恋人っていう
よりは兄妹とか親子みたいなんだよね。なんか、ほら……共通する雰囲気みたいなの感じ
ない? あの二人」
 と、風花に問いかけられて、クレインはゲンキとラーシャの方を見る。しばらく、ジー
ッと見つめた。だが、雰囲気が似ているかと言われると、そうは思えない。
「ゲンキさんの怪しい雰囲気と、ラーシャちゃんの可愛い雰囲気と……あんまり似てない
と思うけどなぁ?」
「そう?」
 怪訝そうに眉をひそめて、風花はもう一度二人に顔を向ける。どうも、彼女には二人が
似た雰囲気を持っているように思えるらしい。クレインからすれば、気のせいだとしか思
えないのだが。
「矢神さんは、どう思います? あの二人、似てますかね?」
 と、クレインが黙りこくっていた矢神に訊ねると、彼はハッと気付いたように顔を上げ
た。何か考え込んでいたらしい。
「あ、なんか考えてる最中でした? すみません」
「え? ああ、いえいえ。そうじゃないんですよ(笑)」
 謝ったクレインに、矢神はパタパタと手を振り、
「私も、なんとなくあの二人が似ていると思ってたんですよ。だから、風花さんの言葉を
聞いて、ちょっと考えていて…………まあ、下らないことですよ(笑)」
 と頬を指先でかきつつ笑った。まあ、彼の笑顔はいつものことだが(笑)。
 それよりも、クレインは矢神まで風花と同意見だということに驚いた。そして、再びゲ
ンキとラーシャとに視線を戻す。
「……似てるかなぁ?」
 やっぱり、彼にはまったくそう見えなかった。




 その日、真夜中になってようやくゲンキは帰宅した。ラーシャに泊まりに来るかと訊ね
たが、今日はじゅらい亭に部屋をとったらしい。久しぶりに会った常連さん達との積もる
話もあるのだろう。
「やれやれ、少し飲まないと」
 ボヤくように呟き、彼は台所の冷蔵庫から蒸留酒の瓶を取り出した。じゅらい亭でも結
構呑んできたのだが、困ったことにラーシャに健康上の注意をされ、ほんの少量しか口に
できなかったのである。

ゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッ プハッ

「ふう、効くなぁ」
 コップ一杯を一気飲みしてオッサンくさいことを言うと、彼は酒瓶とコップを持ったま
ま居間に戻った。まだ呑むつもりらしい。しっかりツマミも持ってきてたりする。
「明日はお見合いに立ち会うんだから、控えないとねぇ」
 どうやら、控えるつもりはあるらしい。彼のそれが、他人から見てどうかはともかくと
して。

ゴクッゴクッゴクッゴクッゴクッ プハ〜ッ

「ふぅ……」
 またも一気飲みしてオヤジくさく息を吐き出すと、さらにため息まで吐き出した。その
手の平には、いつのまにかツマミではなく、一枚の写真が現れている。古ぼけた写真では
あるが、撮影された頃には大分技術が発達していたために、鮮鋭に当時の光景が焼きつけ
られていた。
 その中の、ある一点を見つめ、ゲンキは口の端を片方だけ持ち上げた。いつものニヤリ
とした笑みだ。
 そこには、じゅらい亭が写っていた。十二年ほど前のじゅらい亭だ。開店一周年を迎え
た記念の日で、店の前にはじゅらいや看板娘、当時の常連達がズラリと並んでいる。その
中に、相棒のボルツと肩を組んで笑っている、十六歳の自分がいた。
 バンダナはともかく、サングラスはかけ始めた頃だ。似合ってない。髪も今ほど伸びて
おらず、中途半端でボサボサ。気に入っていた灰色のシャツに色褪せたジーンズ。ずっと
着古していたせいで、どちらもヨレヨレしている。
 若いせいだろうか? 写真の自分は、同じように口の端を片方だけ上げて笑っていても、
愛嬌と明るさがあった。とても楽しそうで、辛さなど無縁にも見える。無論、この頃には
この頃で、辛いことや悩みや色々あったのだが。
「…………」
 彼は、今度はボルツに目を向け、こいつも若いなと結論づけると、彼とは反対側の自分
の隣──幻希という青年と彼との間にいる少女を見つめた。
 前髪の色だけが少し薄い、緑色の髪。同じ色のキラキラした大きな瞳。まだ人間の歳な
ら十歳前後だったはずだと、思い出す。ラーシャだった。
 その幼き少女の姿と、今日八年ぶりに直に会った女性の姿とを比べてみる。あまりに大
人びてしまっていて別人のようだったが、やはりどこかしらに昔の面影がある。それはど
こだろうか……考えながら、彼は何か満足げに頷いた。
 今、この瞬間に虹やディルが起きていて、ここにいたら首を傾げただろう。
 ゲンキの顔には、普段彼が少女達に見せるのと、よく似た表情が浮かんでいた。
「善き明日に」
 そう言って最後の一杯を飲み干すと、彼は風呂場に向かう。たしかに控えたのか、足取
りはしっかりしたものだった。



 ラーシャが二階の部屋に上がれたのは、ゲンキが店から出て行って三時間後ほど経って
からだった。何故そんなに遅くなったかというと、久しぶりに会う常連達に質問責めにさ
れていたためだ。
「まいったなぁ……」
 色んな意味で呟く。明日は勝手に決められたお見合いだと言うし、お見合いの前日……
というより、既に当日だというのに寝不足は決定したようなものだし、なにより彼女は、
この縁談を心の底から嫌がっているわけではないと気付いてしまった。
 二十六歳。人間達の使っている時間の数え方だと、もう少し下がるが、十分に結婚でき
る年齢である。というか、場合によっては「旬を過ぎた」とか言われるらしい。ようする
に、ちょっと行き遅れてしまっているのだ。
 それがわかっているから、無理矢理連れて来られる時にも本気で抵抗できなかったし、
こっちに着いてゲンキに会ってからも、きっぱり断れなかった。
 そういう事に気付いてしまったのだ。憂鬱にもなろう。
「あ〜あ……一生独身でいいのにな…………」
 ボヤいて、彼女は自分で「違う」と思った。そうじゃないのだ。「一生一人でいる」と
決めたキッカケが、今の彼女の気持ちとぶつかって、大きな憂鬱を生み出している。

 忘れられない声。

 忘れられない姿。

 忘れたくない名前。

「ファル・ディー……」
 それを口にした途端、涙が溢れた。もう何年も泣いたことがなかった気がするのに、本
当にたくさんたくさん瞳から零れた。
 絶対に忘れられない。忘れたくない。忘れられたくない。狂おしいほど、そう思う。
 でも、記憶の中の誰かが、心の奥で囁くのだ。

『お前が一人でいることが、彼にとっても幸せだと思うのか?』

 わかっている。彼なら、そんなことは喜ばない。誰よりも彼女の幸せを願い、案じてく
れたはずだ。でも、それでもやはり──
「私が納得できない。彼の他の人を好きになるなんて出来ない。だって、まだこんなに好
きなのに……大好きなのに……他の人なんて愛したりできない……」
 その想いが彼女自身を縛っている事にも、やはり彼女は気付いていた。でも、どうしよ
うもないのだ。自分に、その縛めを解く気が無いのだから。
「やっぱり……明日はだめ」
 呟き、彼女は決めた。明日一番でゲンキに会い、きっぱりと断ろう。お見合いするはず
だった人達にも会って、ちゃんと謝ろう。それで全部元通り。もう、こんなに悩む必要も
無くなる。
 悩む? ふと、自分の考えに気付いて、彼女は不快な気分になった。
 結局、まだ自分は迷っているのだ。決めたのに。




第二章「二竜接触」

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 −1−


 その朝──ようやく日も昇ったかという早い時間。ゲンキの家に行くために、ラーシャ
は軽く身支度を整えてじゅらい亭を出た。
 と、玄関の扉を開けたところで一人の青年と鉢合わせる。
「わっ?」
「あっ、すいません!」
 危うくぶつかりそうになりながら、青年の横をすり抜けて外に出るラーシャ。彼女はそ
のまま、急ぎ足で歩いて行った。
 突然の事に呆気に取られていた青年の方は、ふと足元に目をやって目を見開く。おそら
く、つい今しがた自分とすれ違った女性の物だろう。白いハンカチが地面に落ちていた。
 慌ててそれを拾い上げ、彼は女性に声をかけようとした。
「あ、あの……!」
 しかし、時すでに遅く、彼女の姿は影も形も見えなくなっている。青年は所在無さげに
ハンカチをヒラヒラと動かし、「はぁ……」と嘆息した。

(見ない顔だったけど、荷物の一つも持ってなかったみたいだし……泊り客か常連さんな
んだろうな。後で渡せば……まあ、いいか)

 納得すると、彼は懐にハンカチをしまった。そして、再びじゅらい亭の扉に手をかける。
「おはようございます!」
 中に入って大きな声で挨拶すると、起きていた客も眠っていた客も一斉にこちらを向い
た。中の一人──赤毛の少女、藤原火狩が素っ頓狂な声を上げる。
「カ……カリオン君!?」
「あっ、ひさしぶりだね火狩ちゃん。眠兎達は元気かい?」
 青年──カリオンは、白い帽子の鍔をクイッと上げて、微笑んだ。



 G家の長が家にいる時、毎朝決まって繰り広げられる光景がある。
「遅い遅い」
 カンカンカンカンと棍を使って相手の攻撃を軽々いなしているのは、その一家の長たる
ゲンキ=M。そして同じく棍を使って攻撃しているが、簡単にいなされてしまっているの
は、彼を主と仰ぐ寂。
 この二人、ちょっとした暇がある毎にこうして訓練を重ねているのである。ゲンキは戦
いの勘を鈍らせないためという理由で。寂の方は、力をつけたいという理由でだ。
「ほら、また絡め取られるぞ」
 そう言ったゲンキは、防御一辺倒から素早く転じて反撃に移った。目にも留まらぬ早さ
で突き出された棍の先がクルリと翻ったかと思うと、寂の持つ棍を瞬時に絡め取り、その
まま床に叩き落す。
 しかし寂は、それを拾おうとせずにすぐさま後ろに飛び退いた。一瞬遅れて、それまで
彼女の身体があった場所にゲンキの一撃が突き出される。

(お?)

 胸中でゲンキは面白がるように笑った。突き出された棍は、引かなければいけない。引
かずに追撃を放つ技術も身につけているが、一瞬の間が空くし、かわされれば隙が大きく
なるだけだ。なにより、寂は既に棍が引かれるよりも速い動きで間合いを詰めて来ている。

(間に合うか──?)

 彼自身がここ数年の間に技術を叩きこんだだけあって、無手での打撃技に関しては寂も
かなりのものだ。まともに喰らえばかなりの痛手を被ることになるだろう。
 結局、彼は一番ダメージの少ない方法を取った。
「よいしょっと」
「えっ!?」
 自分の方からも間合いを詰め、放たれた拳による打突は肩を使って受け流し、そのまま
寂の身体を下から担ぎ上げて後ろに投げ飛ばす。

ズッダーン!!!

 受け身は取っただろうが、結構痛そうな音がした。
「大丈夫か?」
「は、はい……なんとか」
 振り向くと、仰向けで倒れたままの寂が答えた。返事が出来るならたしかに大丈夫だろ
う。彼女もなんだかんだいって丈夫である。
「それじゃあ、今回はこれまで。点は二十。棍術に自信が無いなら、最初から捨てて素手
でかかってきた方がいい。相手に向かって放り投げれば目くらましにもなるし」
 手にしていた棍と寂の落とした方を拾い上げ、ゲンキは言った。寂は、しばしの沈黙の
後にこくりと頷く。
「……はい、わかりました。ありがとうございます、マスター」
「ん……そうか」
 苦笑するゲンキ。気の利いた台詞の一つも言えない自分が馬鹿に思えた。
 彼が、寂に「マスター」と呼ばれるようになってから九年近い。その間、何度も「普通
に名前を呼べばいい」と言ったのだが、聞いてくれたことは無い。名前を呼ばれたとして
も、後ろに「様」が続く。居心地が悪かった。
 しかし、自分も似たような事を風花にしているし、文句も言えまい。結論づけると、彼
は寂の手を掴んで立ち上がらせる。
「そろそろ朝飯だ。行こうか」
「はい、マスター」
 寂は、やっぱりそう答えた。



 珍しい事ではないが、食卓には朝から二人の来客がついていた。ラーシャと可奈である。
「おはようございます、皆さん」
 考えて見ると珍しい面々が揃ったものだ。ゲンキはにこやかに挨拶して、空いている場
所に座った。右にルウがいて、その向こうが花霧。花霧の隣がラーシャで、そのまた隣が
寂。さらにその隣──つまり、彼の左に可奈が座っている。

(待てよ、ということは……?)

「おはようございます、師匠」
「おはようございます、ゲンキ様」

キュピバッ!!

「ああ……」
 自分の目の前で火花が散るのを見て、ゲンキは後悔した。よりにもよって、とんでもな
い場所に腰掛けてしまったものである。今朝は落ちついて朝食を食べられそうにない。
 そんな彼の予想通り、女の戦いは即座に開始された。
「さっ、どうぞ師匠! ボクの作った玉子焼きです!!」
「ゲンキ様、我が家特製のお味噌汁をお持ちいたしましたわ。ぜひ召し上がって下さい」
「何言ってんだよ、まずこっちの玉子焼きからだろ!!」
「いいえ、朝は一杯のお味噌汁から始まるのですわ!! 玉子焼きは、その後です」
「いや、師匠は玉子焼きが好物だから、こっちから食べるに決まってる!!」
「寝起きは水分が不足していますの! だから、お味噌汁からに決まってますわ!!!」
「なんだってぇ!!」
「なんですの!!」
 喧々囂々……最近はルウも可奈も出かけていたり来なかったりして、顔を合わせる事は
無かったのだが……やっぱり、会ってしまうとこうなるらしい。騒ぎ立てる二人の間から
そっと抜け出して、ゲンキは花霧に催促した。
「ごはん……下さい」
 この日は、久々に白米だけの朝食となった。



 可奈とルウが言い合ってる間に朝食を済ませたゲンキは、そのままそそくさと家を出た。
向かう先は、いつもの如くじゅらい亭である。
 と、しばらく歩いたところで、後ろの方から声がかかる。
「Gさん!」
「むっ、ラーシャか」
 わずかに振り向いて相手の姿を確認すると、ゲンキはそのまま立ち止まらずに応じた。
ラーシャの方は呆れたようにため息一つ吐いて、走る速度を上げ、隣に並ぶ。
「少し待ったりできないんですか?」
「それが必要な相手ならね、出来るよ」
「私には必要じゃないと?」
「……う〜ん、仕方ない。じゃあ、ちょっとだけ」
 腕組みして苦悩の表情を浮かべたゲンキは、歩調を相手の普段のそれに合わせた。歩幅
は彼の方が小さいのだが、そこはそれ……人には人のペースというものがある。どちらか
と言うと、ラーシャのペースは遅いのだ。
「ありがとうございます。いつも、Gさんの早足に付き合わされちゃ大変ですから」
「自分じゃ急いでるつもりはないんだがね」
 よく言われる事だ。他人から見ると彼の歩きは妙に「早い」らしい。のんびり散歩を楽
しんでいるつもりでも、だ。
「ゆっくり歩くというのが分からないのかもしれないな」
 唐突にゲンキは妙な事を口にした。
「はぁ? どういうことですか?」
「ああ……うん、まあ、ようするにだね」
 言葉を濁すゲンキ。どうも、説明しづらい事のようだ。それでも二人ら並んで歩きなが
ら、ラーシャがのんびり答えを待っていると、彼は顎に手を当てて苦笑した。
「昔の名残かな?」
「そうですか」
 全然具体的でない答えだったが、ラーシャもそれ以上詮索しない事にした。今だにG青
年の過去には謎の部分が多いが、だからといって。何とか彼が誤魔化そうとしている事を
執拗に問い詰めたりはしたくない。誰にだって訊かれたくない過去はある。
 ……というのは建前で、実際は好奇心をチクチク刺激されているのだが、ここで根掘り
葉掘り質問してしまっては、なんだか子供の頃のままのようで、気恥ずかしい。昔から自
分を子供扱いしていたこの青年の前では、大人であるところを見せていたかった。
 と、心を読んだわけでもないのだろうが、ゲンキが言った。
「なんだ、てっきり昔みたいに根掘り葉掘り訊ねて来るかと思ったのに……お前も大人に
なっちゃったんだなぁ」
 残念そうである。子供扱いできなくなったのが悔しいんだろう。
「そりゃそうです。私も、もう二十六ですから」
「なるほど。それじゃあ、そろそろ身を固めないとな。大人なんだから」
「もちろんです。大人なんですから」
「うむ」

 …………。

 ……………………。

 …………………………数分間の沈黙の後。

「えっ!?」
 ラーシャは自分がとんでもない事を口走ってしまった事に気がついた。身を固める? 
それは、つまりは結婚して奥さんになるという事で、そのためには……。
「お見合い頑張ろうな、ラーシャ?」
 実に嬉し楽しげな表情のゲンキ。悪魔の笑みだ。人の不幸を楽しむ悪魔の笑みだ。
「ひ、ひっかけましたねGさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」
「ははは、人聞きが悪いな。それじゃあ、まるで僕が詐欺師のようじゃないか?」
 まんまその通りでしょうがっ!! ラーシャは叫びかけたが、無意味だと気付いてギリ
ギリ踏み止まった。相手が悪すぎる。
 かくなる上は……。
「いいですよ、わかりました! お見合いだけはしますけど、全部破談になっても文句は
言わないで下さいね!!」
 開き直った。どうせお見合い。全て終わった後に、丁重に断ってしまえばいいだけの話
だ。後腐れなく破談に出来る。
「うん、諦めがいいな。大丈夫大丈夫。相手はいい人ばっかりだ、必ず気に入るさ」
「そんなこと、ぜったいにありませんからね!!」
「ははは、そうだといいなぁ」
 小ばかにするように、笑うゲンキ。その瞬間、ラーシャの中で怒りが爆発した。
「うーーーーーーーっ!!!」

バチーン!!

「先に行ってます!!」
 強烈な平手打ち……ではなく、ハイキックを喰らわして、走り去って行く彼女。ゲンキ
は顔面から煙を出して倒れたまま、それを見送った。
「行ってらっしゃい……」
 そして気絶する。バタンきゅ〜。
 最後に脳裏を掠めたのは「相変わらずいいケリだ」の一言だった。



「フッ……相変わらずいいケリしてやがったぜ」
「全くだ。アレのダンナになる奴は大変だな」
 いつものごとく素早く目覚めたゲンキの目の前にはシウァルがいた。彼も先ほどの光景
をどこかで見ていたらしい。
「ふむ、君は見合いせんかね?」
「あの女とか? 勘弁してくれ」
「そうかい、残念だなぁ」
 心底残念そうにボヤいて、立ち上がる。その言葉にシウァルは眉をひそめた。
「なんだ、俺にあの女のダンナになって欲しかったのか?」
「いや、君になら嫁にやってもいいと思ってただけさ。夫婦喧嘩はさぞ見物だろうし」
「冗談じゃない、こっちの身が保たん」
「それもそうか」
 あっさりゲンキは認めた。無論冗談である。シウァルならラーシャとも互角に戦えるだ
けの技量と体力は兼ね備えているはずだ。
 それは自分でも分かっているのだろう。シウァルは怒る事も無く続けてきた。
「それで……本当に今回は俺一人でいいのか?」
「ああ、僕は……あいつについててやりたいからね」
「……あんたが、あの虹やディル以外に、そこまでこだわるってのは、珍しいよな?」
「…………」
 沈黙するゲンキ。訊ねられている事は分かっているのだろうが、答えたくないらしい。
「まあ、いいさ。俺も、ようやくただのオマケ以上には認められたようだからな」
「以前からそうだよ。ただ、僕自身『力』を求めているだけさ」
「もう勝てない相手もいないだろうに、まだ上を目指すのか?」
「勝てない相手がいるから、上を目指すのさ。君だって、そうだろう?」
「信じがたいお言葉だ」
 シウァルは笑っていたが、声は硬かった。ゲンキ……いや、大魔王ゲルニカが勝てない
相手というのを、想像できなかったのだろう。
「優男だよ。そいつはね……いつも、女性に間違われてる。でも、とてつもなく強い。今
でも僕は勝てる気がしないよ、あいつにだけは……」
「上には上がいるって事か。お互い大変だな」
「まったくだ」
 ゲンキは苦笑した。「上には上がいる」。全くその通りである。今やその頂点だと思わ
れている彼にすらも上がいて、その男にすらも、もしかしたら……。
「<滅>を超える力か……」
 そこまで行き着かなければ、勝てないのかもしれない。予感というよりは確信として、
そう思った。
「ところで、行かなくていいのか?」
「あ、そうだな。それじゃ、今回は頼んだ! またな!!」
「ああ、任せておけ」
 互いに手を振って、別れる二人。その場に残ったシウァルの方は、走り去る背中を見つ
めながら苦笑いした。
「上には上が……か」
 今、自分の上にはどれだけ多くの戦士がいるのだろう?
 想像してみたが、キリが無いので止めた。結局、彼には行動あるのみという事らしい。
「その方が、俺らしくていい」
 とりあえず、その一言で納得する他無かった。



 −2−


 じゅらい亭の入り口をくぐったラーシャは、目の前の光景にギョッとした。
「んなっ……!?」
 そこは、つい一時間程前に彼女が出て行った時とは、全く別の場所のようになっていた。
いや、昨夜に戻ったと言った方がいいかもしれない。壁や窓は飾り付けられ、酒瓶が林立
する様子は、まるで「宴会」の直前のようだったからだ。
「あっ、ラーシャさん。おかえりニャ!!」
 と、店の入り口で突っ立っているこちらに気付き、声をかけてきたのはフェリシア使い
だ。人型になっている彼女は、それでも猫のように素早くトテテッと近付いて来ると、嬉
しそうにラーシャの腕にしがみついてきた。
「ニャア、やっぱり掴まり心地がいいニャ!!」
 そんな事を言いつつ、ピョンピョンと跳ねるフェリ。成長して背の高くなったラーシャ
は、彼女のお気に召したらしく、昨日からこうして遊ばれっぱなしである。
 が、いくらラーシャといえど、呆然としていたところに突然しがみつかれては、たまら
ない。グラリとバランスを崩して、よろめいてしまう。
「きゃあっ、フェリさん、ちょっと待っ──!?」
「にゃぁあっ!?」

クルクルクルクル ドシーン!!!!

「きゅう」
「にゃははははははぁ〜ん?」
 コマのように回転した後、もつれあって転んだラーシャとフェリは、それぞれ目を回し
てしまったようだ。古典的手法で捕らえられたトンボのようになっている。
 そんな二人に最初に駆け寄ったのは、やはり同じく人型になって飾りつけを手伝ってい
た、懐かしの黒猫シンベエだった。彼はフェリの側にしゃがみ込むと、その肩を掴んで前
後に揺さぶってみせる。
「うわわっ、二人とも大丈夫!?」
「ニ、ニャ〜?」

ガクンガクンガクン

 揺さぶられたことで余計に目を回すフェリ。気付かずに揺さぶり続けるシンベエ。二人
がそんなことをしている間にラーシャは立ち上がり、そのちょっぴり間抜けな光景に視線
を落とす。「二人とも」と言いつつ、こちらの事が忘れ去られているような気がするのは、
気のせいなのか?
「シンベエ殿も、いよいよこの店に馴染んできましたな……」
 などと呟く謎の執事はともかくとして、やっぱり染まり切ってないシンベエは、やっぱ
りラーシャの方の肩も掴んで、多少雑にガクガク揺らしてきた。
「大丈夫ですか、ラーシャ君? すいません、フェリのせいで転んでしまって……」
 ペコリと頭を下げる彼は、やはり常連ズの中では良識派に分類される。
「ああ、いえ……なんともありませんから、気にしないで」
 と、ラーシャが片手をビシッと上げてみせると、過激派のフェリが首を傾げた。
「というか、なんでフェリじゃなくてシンベエが謝るニャア?」
「えっ? えっと、それは……だね」
 露骨にうろたえ始めるシンベエ。千年以上生きてる割に、純情な猫なのである。
「うぅ……ええと、それはそれとして……風舞さんが呼んでたよ、フェリ」
 とりあえず、こうやって誤魔化すのが彼の精一杯だったらしい。だが、フェリは昔ほど
単純ではなかった。
「なんか誤魔化してにゃいかな?」
「ぎくっ……」
 ジト目でニヤニヤ笑うフェリの言葉に、視線を逸らして後退るシンベエ。そんな二人を
見ていたラーシャは、苦笑して立ちあがると、その場を離れた。
「ああっ、助け舟は……!?」
「ありませんよ」
 取り残されたシンベエの悲鳴に一度だけ振り返って答え、彼女はカウンターの前に座る。
素早く、陽滝がグラスによく冷えた水を注いで出してくれた。
「ありがとうございます、陽滝さん」
 ラーシャが礼を言うと、あまり昔と変わっていないように見える彼女は、こちらの記憶
よりも柔らかい笑みを浮かべて、言ってきた。
「ねえ、ラーシャちゃん? 今日はね、また『帰ってきた人』がいるのよ」
「帰ってきた……人、ですか?」
 それはつまり、しばらく旅にでも出ていた常連の誰かが戻ってきたということか。とな
ると、この「宴会」はその人物のためのものらしい。店内の様子を改めて見回しながら納
得していると、陽滝はニッコリと笑ったまま先を続けた。
「そう、昨日のあなたみたいにね。誰だと思う?」
「え……?」
 問われて、ラーシャは返答に困る。彼女は陽滝の言うように「帰ってきた」というのと
は、ちょっと違う。それに、新たに帰ってきたのが誰かなどと訊かれても、一体自分がこ
こに来ていなかった十数年の間に、誰がいなくなって、誰が戻ってきたのか、昨日セブン
スムーンに着いたばかりで知るはずもなかった。
 それでも心当たりを記憶から探ってみて、思案にふけっていると、いきなり陽滝は「ア
ッ」と小さく叫んだ。何かに思い至ったようだ。
「そっか……もしかして、ラーシャちゃんって、彼と面識ないんだっけ?」
「え? 彼って……誰とですか?」
「カリオン君」
「誰ですか?」
 ラーシャが素直に首を左右に振ると、彼女は「あ〜」とうめいて右手で顔を覆う。そし
て苦笑と共に天井を見上げ、昔を思い出すように視線を傾げながら、言った。
「そうだったね。例の彼がよく来てた時期、ちょうどあなた達はいなかったのよ……。ほ
らなんだったっけ? 何ヶ月か幻希クン達と諸国漫遊してたじゃない?」
「え? ……ああっ!!」
 そう言われて、ようやくラーシャも思い出した。十三年前、この世界を去る二週間ほど
前まで、とある「調査」の為に世界各地を調べて回った事があった。じゅらい亭から斡旋
された仕事ではなく、当時の彼女達が旅をしていた「理由」に関係した調べ物である。
 それ故か、色々と面倒な事も起こり……じゅらい亭に帰ってこれたのは、たしか三ヶ月
くらいしてからだったと思う。実に、この世界にいた一年間の内、四分の一を費やした大
旅行だったのだ。
「大変でしたよ……あの時は」
 当時の艱難辛苦を思い出してラーシャはハァ〜……と、ため息を吐いた。が、それはあ
んまり気にせずに、陽滝が続ける。
「そうそう。あの時にね、初めてカリオン君が来たのよ。眠兎クンが、知り合いだって言
って連れて来たんだけど、あなた達が旅に出た頃には、ちょうどじゅらい君の頼んだ仕事
で出かけてもらっちゃってて、いなかったのよね」
 という彼女の説明を聞いていて、ラーシャは「なるほど」と思った。
 同じ時期に、同じ世界にはいたようだが、偶然が重なって出会わなかったらしい。同じ
店に通っていたのだから、一回くらい顔を合わせていても良さそうなものを……なんとも、
その「カリオン」さんとやらは間が悪い人物のようだ。
 それとも、間が悪いのは自分だろうか? 思い当たる節もあったので彼女が陽滝と同じ
ように天井など見上げて考えていると、突然店の入口の方で無意味な高笑いが響いた。そ
ちらに気付いた陽滝が、これまでと声の調子を変えて、その新たな客を迎える。
「あっ、いらっしゃいゲンキさん」
「ははは、おはようございます陽滝さん」
 応えて店の入り口から入ってきたのは、先刻ラーシャが蹴り倒して放置してきたはずの
ゲンキだった。割と本気で蹴ったのだが、もう完全に復活しているところは流石というほ
かない。
 その彼は、こちらの存在に気付かないかのように周囲をキョロキョロと見回すと、不意
に手近にいた時音に訊ねた。
「おはようございます、時音さん。あの、もしかしてカリオンさんの為に宴会の準備して
るんですか? これって?」
 すると、時音お姉さんは頬に手を当てて、上品におっとりと答えた。
「おはようございます、ゲンキさん。ええ、そうなんですよ。今朝、突然帰って来られた
ものですから、もう大変」
「ははは、それなら僕も手伝いましょう。なあに、僕が一万と八百と二秒ほど前に開発し
た、新魔王呪法があれば飾り付けなど一発ですとも」
 ドンッと薄い胸板を叩くゲンキ。そして彼は、気合い一発飾り付けられてない壁に向か
って光線を放った。
「でりゃあっ!! 魔王呪法『デコレーション』!!!」
 そして、ペカーッという安っぽい効果音と共に、光の中から金銀モールや色とりどりの
星飾りなどで埋め尽くされた壁が現れる。これが彼の新魔法らしい。だが……。
 聞こえないように、こっそりとラーシャと陽滝は互いの耳に囁き合った。
「『ラッピング』と何が違うんでしょう……?」
「さあ……? 気分とか、そういう問題なんじゃない……?」
「なるほど……」
 しかし、そんな彼女達とは違って、時音の方は喜んでいるようだ。
「あらあら、さすがねー。ありがとう、ゲンキさん」
「いやあ、あはははははははっ♪」
 この場に可奈がいたら即座に喚き散らしそうな、しまりの無い顔で笑って、ゲンキはそ
のまま時音に連れて行かれた。これから、あの魔法を連発して店内を飾り付けるのに使わ
れるのだろう。
 まあ、普段から借金ばかり増やしてるのだから、このくらいは役に立っておいた方がい
いのかもしれない。それはともかく、ラーシャは思った。
「相変わらず年上に弱いですね……」
「そう? うちの姉妹じゃあ、時音姉さん限定だと思うけど? あそこまでデレッと……
じゃなくて、変になるのは」
 返す言葉の途中で陽滝は言い直すが、あんまりフォローになっていない。仕方ないので
ラーシャがフォローしてやった。
「まあ、でもGさんは、自分よりずっと年下の女の子にも弱いですから」
「ラーシャちゃん、それフォローになってないわ」
「あれ?」
 おかしいなと思い首を傾げる。そんな彼女を見て、陽滝は笑った。
「あははっ、そういうところは変わってないわね」
「そうですか?」
「うん、そうそう。でも、私から見て変わってるところも多いわよ。綺麗になったし」
「ええっ!? わ、わたしがですか?!」
「うん。美人になったわよ、あなた」
「えっ……ええ〜?」
 陽滝に誉められて、照れ笑いを浮かべるラーシャ。同性とは言え、他人に「綺麗」と言
われれば、やはり嬉しいものだ。
 そして、隣でクッキーと紅茶のご相伴にあずかっていたゲンキも笑う。
「ははは、そうですよねえ。これなら、今日のお見合いも大成功ですよ。そう思いません
か、陽滝さん?」
「思いますよ、ゲンキさん」
「もぉ、Gさんまで〜」
 と、反応を返してから女性二人は、一瞬硬直して、何かを考え込んだ。
 次の瞬間、彼女達は二つのハリセンでゲンキをハタく。

スパパーン!!

「さっき時音姉さんに連れてかれたはずなのに、唐突に会話に参加しないで下さい!」
「もう、ツッコミ入れるのもバカらしいですよ……」
 笑いながら更にスパンスパンとツッコむ陽滝と、ため息を吐くラーシャ。ゲンキは、そ
んな彼女達には視線を合わせず、何故かあらん方向を見やってサングラスを光らせた。
「はっはっはっ、最近僕ってシリアス一辺倒だと思われてるらしいので、まあ、ここらで
多少ボケとかないといけないかなと」
「……誰に向かって言ってるんですか?」
「うむ、それは当然……と、そんなことはともかくっ!!」
 突然、彼はグリンと首を回転させた。その視線が向かう先では、扉の裏から半分だけ顔
を出した時音が、無言で手招きを繰り返している。ちょっと……怖い。
「まだ仕事の途中でした!! それでは、またっ!!」
「あ、いや気になるんだけど……」
「はっはっはっ、既にそれは永遠の秘密です!!」
「ああっ、ちゃんと答えてから行って〜!!?」
「ふはははははははははははははははははははははははっ!!!!」
 引きとめる陽滝を振り払い、ゲンキは嵐のように騒がしく去って行った。そういった昔
ながらの光景に、ラーシャは苦笑するしかない。
「くううっ、一体誰に向かって話してたのっ!?」
「まあまあ、陽滝さん。Gさんのやる事を、いちいち気にしてたら身が保ちませんよ」
 ひどい言われようではあるが、全くの事実。悔し涙を流しつつも、陽滝は納得した。
「そうね、きっと普通の人には見えない小人さんとでも話してたのね」
 その結論で納得するのも、どうかと思うけど……ツッコミかけたが、この話題を延々と
引きずるのも、やはりどうかと思うので、ラーシャはギリギリ踏み止まった。
 代わりに彼女は、ハリセンを返しつつ質問する。
「そういえば、カリオンさんってどんな人ですか?」
「え、カリオン君?」
「ほら、さっき言ってた……」
「え? あ、ああっ」
 ついさっきまで話してた事を忘れていたのか、ポンと手を打って陽滝は「!」を頭上に
浮かべた。
「そうそう、カリオン君ね。どんな人かって……ええと……いい人よ?」
「いい人……って」
 あまりに簡潔すぎる説明である。それに、その一言では、どう受けとめてよいものやら
分からない。こちらが困惑していると、陽滝も同じような表情を浮かべる。
「なんて言ったらいいのかな? とにかく、文字通りの『いい人』って感じ。皆が幸せな
ら自分は損な役でもいいやって……いや、違うかな? でも、とにかく、優しい人ね。眠
兎クンの子供達にも好かれてるわ」
「へぇ……」
 陽滝の説明を受けて、ラーシャが抱いた想像は、「いい人なんだろう」という、実に率
直なものだった。この店の看板娘達は、長い間たくさんの人々と、その生き方を見続けて
来たのだ。そんな彼女達が「いい人」と評するのならば、それは間違い無く「いい人」に
違いない。
「そんなにいい人なら、会ってみたいなぁ」
 同じ店で、同じく昔からの常連なんだし。そう考えて、なにげなく呟くと、目の前で陽
滝が怪訝そうに眉をひそめた。
「え? どうしたんですか、陽滝さん」
「あっ、ううん……ただ、ゲンキさんから聞いてないのかなぁ……って」
「えっ?」
 一体何を? ラーシャが問い返そうとした時、店の奥からじゅらいが顔を出す。
「おーい、陽滝! 酒が足りないみたいなので、買って来ておくれ!!」
「あ、はい。わかったよ、じゅらい君」
 そう言うと、陽滝は素早くエプロンを外して、謝った。
「ごめんね、ちょっと出かけなきゃ。また、後で話そうね」
「えっ? あっ、ちょっと待っ──」
 と、引きとめる暇もなく、陽滝は風のように店の外に走り出て行った。残されたラーシ
ャは、ただ呆然とそれを見送ってしまう。
「あの、一体何が……?」
 虚しく空気に問いかけるが、無論答えは返って来ない。こういう時に限って、ゲンキの
方も現れない。
「……なんなんだろ?」
 視線をカウンターの向こうに戻し、嘆息混じりに頬杖を付く。ちょうどその時、玄関の
ドアベルがカランカランと鳴ったが、きっと飾り付けをしていた常連の誰かが、外にでも
出たのだろうと、特に気にもしなかった。
 だが、唐突に背後から声をかけられた時には、振りかえらないわけにはいかない。
「あの、すいません」
「えっ?」
「今朝、落としてましたよ」
 と、振りかえった先にいた白髪の青年は、その髪よりも真っ白なハンカチを手にして微
笑んでいた。その笑顔に懐かしい姿が重なって見える。
「うそ……」
 思わずラーシャは、そう呟いてしまっていた。だが、青年が怪訝そうな顔をするのを見
て、はっと我に返る。
「あっ、いえ、すいません! 知り合いに……似てたから……」
「え、そうなんですか? 嬉しいなぁ……」
 何故か、青年は照れたように頭をかいた。
「えっ?」
「あっ、いやいや、それよりも、あの……今朝、ぶつかった人ですよね?」
「ぶつかった? ……ああっ!!」
 言われてラーシャは思い出した。そうだ、今朝この店を出る時に、たしかに入り口で誰
かとぶつかってしまっていた。それが、この青年だったらしい。
「あ、それでハンカチを……」
「はい。やっぱり、あの時の人だったんですね。それじゃあ、お返しします」
 言って、青年は真っ白なハンカチをラーシャに返してくれた。それを受け取り、彼女は
そっと胸に当てる。ホッとしていた。
「ありがとうございます。大事な物なのに……落とすなんて。本当に、助かりました」
「いえ、こちらこそ今朝は不注意で。そんなに大事な物を……返せて、よかったです」
 そう言うと、青年は本当に安心したように、深い安堵のため息を吐いた。ハンカチが大
事な物だったと知って、無事返せた事に安心しているのだろう。
 青年のそんな仕草に、ラーシャは心の中でクスクス笑った。

(フフッ、なんだか、いい人みたい……って、あれ?)

 「いい人」という言葉に、ついさっきまでの陽滝との会話が思い浮かんだ。目の前の青
年は見たこともない人物だし、可能性はあるかもしれない。
 ラーシャは、思い切って尋ねてみる事にした。
「あの……もしかして、カリオンさん?」
「え? はい、そうですが……何で僕の名前を?」
 気のせいか相手の顔に、警戒の色が宿ったようだ。まあ、初対面の人間に名前を言い当
てられれば、それもおかしくない。ラーシャは気にせず、彼の疑問に答えた。
「陽滝さんから教えてもらった感じと、そっくりでしたから」
「あ、なるほど。陽滝さんが……」
 その答えを聞いて納得したのだろう。青年──カリオンの表情からは警戒の色が消えた。
どうやら安心してもらえたようである。
 それにしても……ラーシャは、カリオンを見て違う意味でも驚かされていた。このじゅ
らい亭には特殊な力を持った常連が多いが、目の前の青年は、その中でも相当強い部類に
入りそうなのだ。巧妙に力が隠されているのでハッキリとは分からないが、多分昔のゲン
キよりも、遥かに強い。

(まだ、こんな凄い人がいたんだ……)

 改めて、ここは珍しい場所だなぁなどと感心してしまう。どうして、この店にはこれほ
どたくさんの「強い者たち」が集まって来るのだろう?

(Gさんなら、何か知ってるのかも……後で訊いてみよう)

 とりあえずそう結論を出してから、ラーシャは目の前のカリオンに視線を戻した。相手
の名前を言い当てておきながら、自分が名乗らないというのは失礼である。
「すみません、自己紹介がまだでしたね。私はラーシャ=アスフェイズ。こことは別の次
元世界で教師をしています。じゅらい亭には、昨日久しぶりに連れて来られました」
 と、そう名乗ると、カリオン青年は荒削りだが整った顔に、怪訝な表情を浮かべた。
「連れて来られた?」
 問い返されて、しまったと思った。たしかに、それでは何だか拉致されたかのように聞
こえる。まあ、事実その通りだった気もするという事は置いておいて。
「あっ……えーと、Gさ──ゲンキさんって人に、いきなり呼び出されて……。あ、その
人は、私の昔なじみなんですけど」
 説明するラーシャに、カリオンは「あぁ」と頷いた。
「ゲンキさんのお知り合いの……そうですか、はじめまして、ラーシャさん」
「あ、Gさんは知ってたんですか? っと、こちらこそはじめまして」
 差し出された手を握り返すラーシャ。「アクシュ」とは、珍しい習慣だ。その珍しい事
をやったカリオン青年は、力強いんだか儚いんだか、いまいちどちらともとれない笑みを
浮かべて、また頷いた。
「ゲンキさんとは、あの人が昔ここにいた時に、少し。いい人ですよね」
「えっ? そ、そう……ですね」
 G青年を評して「いい人」……珍しい意見である。「暴走魔」とか「変わり者」となら、
よく聞くのだが。
 ラーシャがぎこちなく笑っていると、カリオンが唐突に頭を下げた。何事かと思ってい
ると、彼は嬉しそうな顔で言って来る。
「それでは、今日はよろしくお願いします」
「えっ?」
 ぎこちない笑みのまま、疑問符を浮かべるラーシャ。唐突すぎて意味が分からなかった
というのとは、若干違うと自分でもハッキリ理解する。そう、それとは違う。
「あれ、もしかして聞いてないんですか?」
「はぁ?」
 どうも、既視感を覚えるセリフを聞きながら、曖昧に声を返しつつも、彼女は全てを完
全に理解しつつあった。つまり、陽滝はこれを言いたかったのだ。
「僕、ラーシャさんの見合い相手の一人なんです。だから、よろしくお願いしますね」
「よろしくおねがいします」
 思考がカラッポになった頭は案外マトモな答えを返すものだ。そんなことを考えつつ、
ラーシャは軽い目眩を覚えていた。そして考える。

 今倒れれば後が楽だろうか?




〔ツリー構成〕

[22] ゲンキ=M 2001.12.24(月)19:09 ゲンキ=M (143)
・[23] 短編 じゅらい亭日記・特走編「聖夜〜虹と太陽〜」 2001.12.24(月)19:12 ゲンキ=M (16136)
・[24] あとがき 2001.12.24(月)19:20 ゲンキ=M (856)
・[25] 感想:短編 じゅらい亭日記・特走編「聖夜〜虹と太陽〜」 2001.12.25(火)11:43 藤原眠兎 (433)
・[26] 感想感謝でーす♪ 2001.12.25(火)16:51 ゲンキ=M (366)
・[27] うーん、うらやましい。(ぉ 2001.12.25(火)20:52 クレイン (1259)
・[28] 感想感謝2! 2001.12.26(水)00:32 ゲンキ=M (792)
・[90] 長編 じゅらい亭日記──超・暴走編7「竜女再来」 2002.11.27(水)17:24 ゲンキ (996)
・[91] 超・暴走編7「竜女再来」(1) 2002.11.27(水)17:28 ゲンキ (48213)
・[92] 超・暴走編7「竜女再来」(2) 2002.11.27(水)17:31 ゲンキ (57614)
・[93] 超・暴走編7「竜女再来」(3) 2002.11.27(水)17:34 ゲンキ (53509)
・[94] 超・暴走編7「竜女再来」(あとがき) 2002.11.27(水)17:44 ゲンキ (1083)
・[141] 感想 2003.6.8(日)10:22 藤原 眠兎 (530)
・[168] うぃさっさ 2003.12.24(水)15:02 ゲンキ (111)
・[96] 長編 じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」 2002.12.24(火)15:21 ゲンキ (462)
・[97] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」前編 2002.12.24(火)15:25 ゲンキ (52057)
・[504] 削除
・[98] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」中編 2002.12.24(火)15:28 ゲンキ (47780)
・[99] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」後編 2002.12.24(火)15:30 ゲンキ (34765)
・[100] じゅらい亭日記・遁走編「聖夜−幸せの白い花−」あとがき 2002.12.24(火)15:31 ゲンキ (960)
・[101] お疲れ様です。 2002.12.28(土)11:04 じゅんぺい (256)
・[107] ありがとうございます 2003.2.24(月)14:51 ゲンキ (168)
・[142] 感想 2003.6.8(日)10:29 藤原眠兎 (587)
・[169] なんというか 2003.12.24(水)15:03 ゲンキ (169)
・[122] 短編 じゅらい亭日記──超・暴走編8「その日、彼女は」 2003.3.16(日)17:50 ゲンキ (1163)
・[123] 短編 じゅらい亭日記──超・暴走編8「その日、彼女は」 2003.3.16(日)17:51 ゲンキ (20724)
・[124] 短編 じゅらい亭日記──超・暴走編8「その日、彼女は」あとがき 2003.3.16(日)17:52 ゲンキ (1714)
・[143] 感想 2003.6.8(日)10:39 藤原 眠兎 (405)
・[170] ばふぉー 2003.12.24(水)15:05 ゲンキ (79)
・[147] 漫画 じゅらまんが大王 2003.6.30(月)23:11 ゲンキ (189)
・[148] 漫画 じゅらまんが大王1 2003.6.30(月)23:18 ゲンキ (263)
・[152] 感想(画像の投稿ってできたんですね!) 2003.7.7(月)02:37 星忍とスタ (322)
・[156] ご感想ありがとうございます 2003.7.7(月)23:42 ゲンキ (261)
・[149] 漫画 じゅらまんが大王2 2003.6.30(月)23:21 ゲンキ (215)
・[153] 感想(おそるベシ、風舞さま) 2003.7.7(月)02:39 星忍とスタ (48)
・[157] ……ひい 2003.7.7(月)23:43 ゲンキ (32)
・[151] 漫画 じゅらまんが大王3 2003.6.30(月)23:23 ゲンキ (278)
・[154] 感想(インパクト) 2003.7.7(月)02:40 星忍とスタ (64)
・[158] すごいですよね 2003.7.7(月)23:44 ゲンキ (40)
・[160] おお、4コマ漫画だ! 2003.7.10(木)07:31 じゅんぺい (252)
・[167] うへへ 2003.12.24(水)15:01 ゲンキ (79)
・[197] 漫画 じゅらまんが大王4 2005.3.30(水)22:59 ゲンキ (302)
・[199] 感想 2005.4.25(月)11:41 CDマンボ (199)
・[200] 感想どうもでーす 2005.4.30(土)09:33 ゲンキ (139)
・[165] 短編 じゅらい亭日記特走編2「聖夜 魔王の祝日」 2003.12.24(水)14:58 ゲンキ (18491)
・[166] あとがき 2003.12.24(水)15:00 ゲンキ (192)
・[171] うわー…(笑) 2003.12.24(水)19:36 じゅ (582)
・[172] お疲れ様でした〜☆ 2003.12.24(水)19:47 CDマンボ (258)
・[173] 何は無くとも 2003.12.24(水)20:18 藤原眠兎 (372)
・[176] 短編 じゅらい亭日記奔走編2【聖夜 ジングルオールザウェイVer.J】改 2003.12.26(金)01:27 ゲンキ (16950)
・[177] あとがき 2003.12.26(金)01:29 ゲンキ (242)
・[178] かんそうー 2003.12.26(金)02:06 藤原眠兎 (345)
・[188] 短編 じゅらい亭日記・哀走編【聖夜〜彼が余計な知識を仕入れたら〜】 2004.12.22(水)05:36 ゲンキ (817)
・[189] 短編 じゅらい亭日記・哀走編【聖夜〜彼が余計な知識を仕入れたら〜】 2004.12.24(金)00:55 ゲンキ (49950)
・[190] 短編 じゅらい亭日記・哀走編【聖夜〜彼が余計な知識を仕入れたら〜】あとがき 2004.12.24(金)01:18 ゲンキ (585)
・[191] 感想 2004.12.24(金)23:35 CDマンボ (215)
・[192] 感想ありがとうございます 2004.12.24(金)23:43 ゲンキ (151)
・[201] 短編 じゅらい亭日記・狂走編<モンスター・ハンターJ> 2005.7.23(土)14:50 ゲンキ (272)
・[202] じゅらい亭日記・狂走編<モンスター・ハンターJ> 2005.7.23(土)14:54 ゲンキ (64063)
・[203] 感想〜☆ 2005.7.23(土)23:29 CDマンボ (315)
・[204] 感想 2005.7.24(日)00:46 眠兎 (178)
・[205] 久々じゃのう(笑 2005.7.25(月)04:38 幾弥 (422)
・[206] 感想ありがとうございます 2005.7.25(月)11:30 ゲンキ (1008)

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