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193 短編「じゅらい亭日記CDマンボ的水走編」
2005.2.15(火)22:44 - CDマンボ - 13381 hit(s)

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  早朝、ラピュタセブンの夏区を一人の女性が歩いていた。髪は短く刈り上げており、青
いバンダナを巻いている。一途にも旅に出たゲンキを待つ女性、元上院可奈である。ゲン
キが旅に出て、早くも7年の月日が経とうとしていた。
  時は7012年2月。まだまだ寒く、セブンス†ムーンのラピュタセブンは冬区が東を向い
ているのだが、ニバンの暦では立春といって春が来たことになっているらしい。セブンス
†ムーンに何本か植えられている梅の木も白いほころびを見せている。
「綺麗ですわ…」
  街路樹に植えられていた梅の木の下で、可奈は思わず足を止めた。梅の色は決して華や
かではない。しかし、空気はこんなに冷えているというのに、この花はもう春の訪れを感
じているのだろうか。心を暖かくしてくれる花だと、彼女はそう思う。

  急に強い風が吹いた。風は可奈が手で押さえるより先にバンダナをさらう。風にさらわ
れたバンダナはすぐに地面に落ちたが、尚も流されていく。そして、じゅらい亭の前に立
っていたCDマンボの箒に引っかかって止まった。
  CDマンボはうみうさぎを肩に乗せて落ち葉を掃いていた。2月ならばもう葉もおおか
た落ちきっているのだが、完全になくなってしまうことはない。しかし落ち葉掃きも彼女
の好きな仕事の一つだ。彼女は落ち葉を集めて公園で焚き火をするのが好きなのだ。とき
どきじゅらいが芋を持ってきてくれる。もっとも朝の落ち葉は雪や霜で湿気てしまうため
あまり焚き火に向かないが、それはそれで白くなった枯葉を見るのが楽しかったりする。
  強い風が吹き、道の真ん中で落ち葉が渦を作る。彼女の箒には落ち葉ではない青いもの
が箒に引っかかっていた。CDマンボは引っかかったものを取ろうと手を伸ばした。
  いけない。あのバンダナは誰にも触られたくない。自分以外の誰にも。
「待って、それに触らないで!」
  可奈は思わず叫んでしまった。CDマンボの手が止まって声の方に顔を向ける。可奈は
CDマンボの居るところに駆け寄って、バンダナを丁寧に箒から外した。幸い穴が空いた
りはしていない。
「急に叫んでごめんなさい。このバンダナは大切な物ですの」
  可奈はバンダナを胸に当ててそう言った。CDマンボは首をかしげている。彼女はどう
して謝られたのか分からなかったのだ。
「あのね、木の葉がいっぱい落ちてきてね、公園で焚き火するんよ〜☆でも、今は木の葉
は白くなっちゃうけど。でもね、白い落ち葉も綺麗だよ〜☆」
  CDマンボは海星を落としながら全然違う話を始めた。今度は可奈が首をかしげている
と、店から出てきた人影がCDマンボの頭を軽く押さえた。
「可奈殿いらっしゃい。こらすぃー殿、お客さんが来たら最初にいらっしゃいって言わな
きゃ」
  店から出てきたのは店主のじゅらいだった。CDマンボもはっとして「いらっしゃいま
せ〜☆」とか言っているが、遅すぎる。
「良いのですわ、私が先に挨拶をしそびれましたの。じゅらい様、CDマンボさん、おは
ようございます。それに…ありがとうございます。あなたの箒のお陰でこのバンダナをな
くさずに済みましたわ」
  可奈は最後の謝辞をCDマンボに顔の高さを合わせて言った。もちろんCDマンボはど
うして礼を言われたのか分かっていない。
「さあ可奈殿、ここは寒いから中に入って」
  じゅらいが可奈に扉を開けて促した。バンダナを付け直して彼女が店に入ると、見慣れ
ないものが店の隅にあるのに気が付いた。その側に時魚と風舞も立っている。直径2メー
トルはあろうかという透明の円柱は、中二階まで突き抜けている。自分の他の常連はまだ
来ていない。
「可奈さん、いらっしゃいませ」
  来客に気付いた風舞と時魚が異口同音にそう言う。可奈も会釈して挨拶を済ませたが、
気になるのは二人の背後にある柱だった。
「なんですのこれは?」
  可奈もその柱に歩み寄って見る。一見してガラス製だが、じゅらい亭にあるものだから
ただのガラスではないのかもしれない。
「それはね、すぃー殿の水槽なりよ」
  答えたのは可奈の後ろから歩いてきたじゅらいだった。なるほど話には聞いていた。C
Dマンボは水に入ると本来のまんぼうの姿に戻るのだ。だから、まんぼうの姿での部屋を
造っているという話だった。
「つまり、まんぼう小屋ね」
  時魚は笑いながらそんなことを言う。小屋というにはかなり大きな物になってしまった
が、CDマンボのまんぼうになった姿はかなり大きいからこのくらい大きくないと窮屈だ
ろう、というじゅらい亭スタッフ達の厚意だった。
「じゃぁ、収納動作のテストをするわね」
  風舞がカウンターに移動してテーブルの裏側にあるスイッチを押す。

  ゴゴゴゴゴゴ…

  じゅらい亭に大げさな音が響き、円柱が地下に沈んでいく。円柱が完全に沈んでしまう
と床に空いていた穴が塞がり、代わりに円柱と同じ大きさのテーブルといくつかの椅子が
出てきた。
「うん、良い感じでござるな」
  じゅらいが満足げにうなずく。普段は客にテーブルを使ってもらい、CDマンボがまん
ぼうになったときは水槽を出して入らせれば良い。お客がいっぱいでここのテーブルを使
っているときは水槽も使えないことになるが、まぁそれは仕方が無い。
「じゃぁ、あとは中に入れる物を揃えないとね」
  時魚が腕組みをした。そんなに悩むようなことでもないはずなのに、何を考えているの
か。
「セブンスムーンのお店じゃ手に入らないものが欲しいの?」
  じゅらいが疑問を口にする。セブンス†ムーンには沢山の店があるから、大抵の物は揃
えられるはずだ。もちろん水槽に入れる物もありとあらゆる物が売っている。
  可奈は出てきた椅子に腰を下ろして、ダージリンを注文した。風舞がそれに応じて紅茶
の棚の引出しを開けている。
「じゅらい君、月の貝殻っていうのを入れたいんだけど、依頼にしてもいい?」
  依頼にするというのは、つまり常連の誰かに頼んでも良いかという話だ。時魚の話によ
ると、月の貝殻とは浅黄色で三日月の形をしている貝殻だ。セブンス†ムーンのシークエ
ストゲイトとその周辺には石ころのように落ちており、本当にただの貝殻なので価値もな
いから売ってはいないということだ。だから誰か常連に取りに行かせようというのだ。
「あら、それでしたら私が取りに行きますわ!CDマンボさんに何か御礼をしたいと今思
っておりましたの」
  可奈の目が輝く。CDマンボには大切なバンダナを救出してもらった恩があるのだ。本
人にその自覚は全く無いのだが。
「でも、この季節海の風はかなり冷たいよ?大丈夫かい?」
  他の常連ならばちょっとやそっとではびくともしないが、可奈は違う。じゅらいは純粋
に可奈を心配していた。
「大丈夫ですわ。もう春ですもの」
  可奈の脳裏には、今朝見た梅の花があった。


「というわけで、私月の貝殻を取りに行かなければなりませんの」
 すぐに自身の邸宅へと帰った可奈はうきうきとした様子で執事である相模にそう告げた。
相模は恭しく頭を下げながら答える。
「かしこまりました。ではすぐにでもシークエストゲイトへの定期船が出る港まで車をお
出し致します」
 この最も妥当といえる判断に、可奈は首を振った。
「いいえ、決行は今夜9時、シークエストゲイトに潜入して取りに参ります」
 可奈の言葉に相模は眉をひそめる。
「お言葉ですがお嬢様、夜はお寒うございます。行くのでしたら昼になさった方がよろし
いかと…」
 その言葉を聞いても可奈は自分の方針を変えようとはせず、更に驚くべき事を言った。
「久しぶりにヤガナになりますわ♪」
 その言葉に相模は絶句した。ヤガナとは彼女の夜の姿、即ち快盗である。ゲンキが旅に
出てからは快盗は中断しているのだが。
「お嬢様、その月の貝殻とやらは…どこにでも落ちているものなのですよね?何故快盗と
して盗みに行く必要がありましょうか」
 可奈はその質問に嬉々として答える。
「CDマンボさんにはゲンキ様のバンダナを助けて頂いたのです。そのCDマンボさんに必要
な物なのですから、大切な物です。大切な物を取りに行くのですからそれなりの格好をし
ませんと♪」
 納得出来るような納得出来ないような返答である。お金でほとんどの物を手に入れるこ
との出来る彼女には、一般的な価値は関係ないということなのだろう。
「かしこまりました。では今夜の決行に向けまして支度を致します」
 一礼して相模は可奈の部屋から退出した。この主人は、こうと言い出したら聞かない。
長く仕えた彼にはそれがよく分かっていた。ならば彼女のために万全の準備をするだけで
ある。
 退出した相模を見送った可奈は、楽しそうに独りごちた。
「では、私もヤガナの準備を致しましょう♪」


  同じ日の夜、アースセブンからシークエストゲイトに向かう一筋の波しぶきがあった。
波しぶきを起こしているのは一台のクルーザーであり、そこに乗っているドライスーツを
着た女性は金髪の長い髪をはためかせている。
「相模、シークエストゲイトまではあとどれくらいかしら」
  その女性は快盗ヤガナと呼ばれている。そしてこれが元上院可奈の夜の姿である。ゲン
キが不在であったため、彼女は数年ぶりにこの姿に「変身」していた。
「あと15分ほどでしょうか」
  忠実な執事がクルーザーを運転しながら答える。クルーザーのスピードは時速数十キロ、
その舳先に立って望遠鏡を眺めるヤガナは船の風を一新に受けていた。まだまだ身を切る
ような寒さだ。しかし、彼女は寒さをものともしない。
  執事の相模は操縦席の中から主人の背中を見る。それにしても…と彼は半ばため息のよ
うな息を吐く。たった一尾の(尾ひれは無いが)まんぼうのために、何の価値も無い貝殻
を拾いに行くと言うのだ。そのような貝殻ならば手に入れる方法はいくらでもあるのだろ
うに、わざわざヤガナで取りに行くと言う。
  それほどまでに彼女を動かす何かがじゅらい亭にはあるのだろうと、相模はそう結論付
けた。そして、罪作りな主人の想い人の影を思い浮かべるのだった。
「相模、船が居ますわ」
  操縦室に可奈から連絡が入る。相模がそれに応じて備え付けられた望遠鏡を覗いてみる
と、確かに何台もの船が走り回っているのが見える。セーリングにしては時間が時間だし、
様子がおかしすぎる。彼はセブンス†ムーンの哨戒船のコースはあらかじめ調べ、どの哨
戒船にも見つからないコースを導き出したのだ。どの船にも遭遇せずにシークエストゲイ
トに着くはずであった。相模は船に入っているマークを見て愕然とする。
「お嬢様、あれはセブンス†ムーンの自警団です。コースを変更します」
  しかもあれは哨戒などという生易しい雰囲気ではない、警戒態勢だ。こちらの望遠鏡の
性能が良かったのが幸いして、まだ見つかってはいない。相模は急いで舵をきる。操縦桿
を右手に持ったまま、左手で液晶画面の航路図を操作して相手の船の位置と抜け道を探す。
「あら、そういえば…」
  可奈が思い出したように呟く。
「私としたことが、いつもの癖で予告状を出していたのですわ。ゲンキ様はいらっしゃら
ないのに…」
  相模は望遠鏡の先に頭をぶつけた。


  一尾のまんぼう…ではなく、一人の少女が眠っている。彼女の枕元に丸くなっているの
は若草色の小さな兎だ。ここは一見して「人間」に与えられた部屋である。彼女が眠って
いるのも、暖かそうなベッドだ。労働する人間にはご飯とベッドが与えられるものである。
それを人間の彼女はじゅらい亭に住むことで子供なりに理解していた。人間とまんぼうの
二つの姿を持つ彼女は、人間として何ヶ月も一つの場所に留まるのは初めてのことだった。
たまたま海から打ち上げられても彼女は無意識にまた海に入ってしまうから、人間として
の記憶も他人と関わった記憶も少ない。人間の姿では簡単に食べ物が手に入らなくても、
まんぼうの姿になればいくらでも生き延びる方法があるのだ。しかし彼女は人間としての
少ない時間の中で拙いながらも言葉を覚えていた。本来の彼女がまんぼうであることを考
えればこれは快挙といえる。もっともじゅらい亭では喋る猫や喋る犬も特に珍しくない。
  部屋の床が円の形の光を放った。光の円は縦二つに分かれて、丸い形の穴になる。穴の
中には水が床すれすれまで張ってある。穴の下はどうやらじゅらい亭の酒場になっている
らしく、賑やかな声と酒場の明かりが漏れてくる。
  明かりと喧騒に目を覚ましたのは若草色の兎の方だった。頭を上げて小さな手で顔をこ
すると、穴の縁まで跳んで下を覗き込んだ。この兎は人間のCDマンボよりも賢いのか、
それだけで状況を理解したようである。彼女の枕元まで跳んで戻る。
「むぅ」
  兎の鳴き声に彼女が薄く目を開けた。ゆっくりと身体を起こして、まだ開ききらない目
で床の光を見た。いや、むしろ彼女の目に入ったのはそこに張られていた水の方なのだろ
う。彼女はのそのそとベッドから降り、当然のように穴の水の中に飛び込んだ。小さな兎
はそれを見届けると、自分も穴へと飛び込んだ。

「あ、降りてきた」
  じゅらい亭の酒場の1階で、お酒を片手に水槽から見上げているのはクレインである。
水槽の話題を風舞から聞いた彼は水槽を出してもらうように風舞にリクエストしたのだ。
もう水槽はほとんど出来上がっており、客の要望でいつでも出し入れが出来、CDマンボ
もいつでも泳げるようになっている。水槽の上はCDマンボの部屋に繋がっており、彼女
が部屋に居るときに水槽を出せば彼女が飛び込んでくるというシステムだ。飛び込んでき
た彼女は一瞬でまんぼうに戻り、円柱型の水槽の壁沿いに…バックしていた。
「風舞さん…、すぃーバックしてますよ?」
  クレインが苦笑しながらカウンターに向かって言うと、風舞ではなく悠之がクレインの
隣に来た。風舞は他の客の注文に応えるので手が空かないようだ。
「すぃーちゃん、眠ってるみたい」
  悠之は笑いながらそう言った。悠之の説明では、この水槽は水が円に沿って流れている
らしい。方向は時計方向にも反時計方向にもボタン操作で変更できる。CDマンボは今眠
っているので流されているのだろうということだった。
「まぁ、この時間なら寝てて当たり前かぁ、これで水槽は完成なんだよね?」
  クレインはお酒を飲みながら悠之に尋ねる。ボタンで出し入れが出来るようになってい
るし、中には既に水も入っていてCDマンボが泳ぐことも出来る。普通に見ればこれで完
成なのだが、悠之は首を振った。
「時魚お姉ちゃんの話だとあと二つだけ中に入れようと思っているものがあるんだって。
月の貝殻と太陽の石っていうの」
「月の貝殻と、太陽の石?」
  貝にも石にもあまり縁の無いクレインには何のことだかよく分からない。無理もない、
彼の専門は電脳である。
「太陽の石というのは、クサイハナをキレイハナに進化させる触媒ではなかったですか」
「いや、虹の橋をかけるのに必要な材料だったような」
  じゅらい亭の常連が口々にそんなことを言っているが、いずれも別の世界の話である。
「でも、どうしてそれが必要なの?あ、お酒もう一杯追加で」
  クレインが空になったグラスを悠之に渡しながらそう言った。悠之は笑顔で答えた。
「ちょっとしたおまじないだって。自分の名前の付いたものを入れておけば、お守りにな
るでしょ?」
  悠之はクレインからグラスを受け取り、新たな注文を受けると会釈してカウンターに去
っていった。

  その会話を、シンナーを飲みながら聞いていた一人の常連が居た。いや、じゅらい亭に
は様々な常連が訪れると言っても、シンナーを飲む常連は一人しか居ない。JINNである。
奇跡と言うべきか作者の都合と言うべきか、彼はこの日たまたま太陽の石と呼ばれる物を
持ってきていた。彼は近くを通ったじゅらいを呼び止めた。
「じゅらいさん、太陽の石が必要なんですか?」
 じゅらいは大ジョッキのビールを両手に二杯ずつ持ったまま立ち止まる。
「ん?あぁ、時魚の案らしいんだけどね」
「あぁ〜んな実験やこぉ〜んな実験に使った後のものですけど、良かったらこれを使って
ください」
 JINNが差し出したのは琥珀色で球体の石だった。じゅらいは逡巡した。正直あぁ〜んな
実験やこぉ〜んな実験に使用済みの物は使いたくない。しかし、じゅらいには分かった。
多分今の彼は本当に好意でこれを出している。これを水槽に入れたらCDマンボがどうなる
かに興味があるのかもしれないが、それ以上の企みは無さそうだ。
「…そうだね、じゃぁそれを使わせてもらうことにするよ。ありがとうJINN殿」
 両手が塞がった状態ではあったがじゅらいは太陽の石を受け取ることにした。
「あ、じゅっち、こっちも青林檎サワー追加して欲しいニャー」
 JINNの隣に居たヘリオスが空になったコップを出して新しい注文を出した。今日何杯目
かは本人(猫)にも分からないが、全く酔った気配はない。酒には強いので酔うことはな
いが、彼女もまた他の常連と同じで盛り上がるのは大好きなのである。
「あいよ、これ出してくるからちょっと待ってね」
 じゅらいはビールを注文した常連のテーブルに急いだ。じゅらいが居なくなるとヘリオ
スはJINNを少し睨んで尋ねた。
「本当になんにも企んでないニャ?」
 JINNは震え上がった。この夫婦は誰もが知るかかぁ殿下でJINNは奥さんにはかなわない。
「なんにも、なんにも企んでないですよ?水槽に入れたらどうなるのかな〜って興味があ
るだけで」
 だから今の彼の声が少し上ずっていてもそれは自然だといえる。
「…充分企んでるニャ」
 でもそれくらいのことはじゅらいだって分かっているだろう。何かあったら旦那を蹴り
飛ばすとして、ヘリオスは今回の事は見逃すことにした。

 一尾のまんぼうが、水槽の中に眠っている。
 流れに逆らわず、彼女はただ夢を見る。
 それは水槽の外の世界。
 皆が愛しているその場所は、何という場所だったか。
 彼女は思い出そうとする。
 分からない。分かるのは、ただ一つだけ。
 彼女もこの場所を愛しているということ。
 夢の中で彼女は命のともしびを見る。
 夢の中で彼女は命のざわめきを聞く。


「お嬢様、いかがなさいましょう」
  相模の顔色は幾分青ざめていた。セブンス†ムーンの自警団はかなりの人数を動員して
いるようだ。このままでは見つかるのは時間の問題である。
「相模、船をあれに変形させなさい」
  可奈は操縦室に入ってきてそう言った。
「かしこまりました」
  普通「あれ」とか言っても何のことだか分からないが、それで分かるのは流石相模であ
る。相模は即座に操縦桿の脇に並んであるボタンのうちの一つを押した。
  すると、クルーザーの縁がせり上がり、みるみるうちに一艘の潜水艦に変形した。潜水
艦は変形し終わるとすぐに海の中に潜っていく。セブンス†ムーンの自警団も水の中まで
は警戒していないらしい。
「私はゲンキ様以外の人には捕まりませんわ♪」
  潜水艦の中で可奈の声が響いた。
「しかしお嬢様、この状態からどうやってシークエストゲイトに潜入すれば良いのでしょ
うか…」
  シークエストゲイトはそれ自体が大きな船なのである。よって、潜水艦では侵入は出来
ない。だから海中に自警団が居ないのだが。
「それについては考え中ですわ」
  時魚は、月の貝殻は一つか二つあれば充分だと言っていた。シークエストゲイトへ入る
ことさえ出来ればいくらでも拾うことが出来るのだが。
「とりあえずもう少し深度を下げて、シークエストゲイトまで行ってみましょう」
  シークエストゲイトまで行かないとどうにもならない。可奈はそう決断した。相模は深
度を海底近くまで下げた。相模の手元の液晶画面が海上に出した望遠鏡と海底の映像を映
し出す。
「お、お嬢様…」
  液晶画面を見た相模の声がうわずる。
「なに?また警戒船が見えるの?」
「い、いえ、海底に…例の貝殻がたくさん落ちているようです…」
  相模に言われて液晶画面を見ると、確かに海底に三日月型の貝殻がいくつか見えた。そ
う、時魚はシークエストゲイトや「その周辺」と言っていたのだった。たくさん落ちてい
るから全く価値の無い貝殻だと。
「では、この貝殻を持って帰りましょう♪」
  潜水艦の底からショベルのようなものが生えて、それはそれは拾い放題だった。仕事を
やり終えて可奈はセブンスムーンに所有している自分の波止場にクルーザーを止めた。も
うヤガナの姿ではなく、黒くて短い髪の可奈の姿に戻っている。貝殻を入れた袋を手にし
て地面に降り立ったところで、彼女はその光景を見た。

  空から、無数の梅の花が舞っていた。

  風があるわけでもない、ましてや雪でもない。舞っているのは花弁ではなく花そのもの
だった。だから雪にしては大きすぎた。どこから舞っているのかさえ分からない上空から
梅の花は可奈のところへと舞い降りてきたのだった。手を伸ばすと掌に花の一つが落ちて
きた。花は尚も舞い落ちる。可奈はその光景にしばらく見入っていた。
「お嬢様、車の用意ができました」
  相模は仕事が速い。波止場のすぐ近くに車を用意していた。
「ええ、今参りますわ」
  可奈は梅の花を持ったまま車に乗り込んだ。セブンス†ムーンのどこかで午後11時の時
報が鳴った。まだじゅらい亭は営業中のはずだ。
「相模、このままじゅらい亭に行きましょう」
  心得ていたのか、相模は既にじゅらい亭に向かっていた。車を運転し到着する頃には夜
12時を回っていた。そろそろ少しずつ客が家路に着く時間である。

  からんころん♪

  いつものベル音を聞きながらじゅらい亭に入ると、まず風舞が驚いた顔で可奈を見た。
「まぁ、可奈さん…どうしたの、その格好は」
  言われて初めて自分の格好を見る。シークエストゲイトから真っ直ぐじゅらい亭に来た
可奈は、少し海水で濡れたドライスーツを着たままだった。あちこちに梅の花までくっつ
けている。取ってきた月の貝殻を渡すと風舞は二度驚いた。
「まぁ…本当にありがとうございます、可奈さん。明日にでも貝を人間のすぃーちゃんに
も渡してあげてくださいね。お礼を言わせないと」
  タオルで可奈の身体を拭きながら、風舞は可奈の身体に付いていた花が梅であることに
気が付いた。
「あら、もう梅の花が咲く季節なのですね」
「梅の花が…波止場に舞っておりましたの。とても幻想的で、綺麗な光景でした」
  その言葉を、風舞は特に驚くでもなく聞いていた。可奈の身体を拭きながらこんなこと
を言った。
「梅の花は愛する人のところに飛んでいくっていう伝説があるんですよ」
  風舞の言葉を聞き、可奈は手に持っていた一枚の梅の花を見つめた。まさか、この花は
自分のところまで飛んできたのだろうか。
「私も…飛んでいければ良いのに…」
  その目に映っているのは梅の花ではなく、彼女の想い人だろう。風舞が少し気の毒そう
な表情を向ける。
「可奈さん、大丈夫ですよ。ゲンキさんは必ずこのじゅらい亭に帰ってきます。なぜって…」
  そこで風舞の目の色が少し変わったのは多分気のせいだろう。そうだと思いたい。
「ゲンキさんには多額の借金がありますからね」
  この時どこか別の世界でゲンキは寒気がしたりくしゃみをしたりしたかもしれないが、
その件について作者はノーコメントとさせていただく。
「そう、そうですわね♪」
  可奈も少し元気になった。それで元気になって良いのだろうか。この恋が実ったら可奈
は借金も一蓮托生になるのでは…。ということに風舞は気が付いていたが言わないでおい
た。今更の話であるし、せっかく彼女が元気になったのだから。
「私、この花をお守りに致しますわ。この花のようにゲンキ様のところに飛んでいけるよ
うに」
  可奈は持っていた梅の花を手で包み込むようにした。
「じゃぁ…必要な物は全部揃った事になる、のかな?」
 じゅらいが月の貝殻が入ったポリ袋と先程JINNから貰った太陽の石を持ってそう言った。
「よし、落成パーティーだ!」
 常連の誰かが放ったその言葉で、じゅらい亭の中がにわかに浮き足立つ。この店の常連
はどんな理由でも盛り上がるのが大好きなのだ。それが行き過ぎて暴走に繋がってしまう
わけだが。
 中二階でカクテルを飲んでいた時魚が呼ばれ、水槽を下げて月の貝殻と太陽の石は無事
に水槽の中に投入される事になった。再び上がってきた水槽に、常連達がグラスを合わせ
る。
「すぃーの水槽の完成を祝して、乾杯!」
 その言葉と共に、風舞が注意を促す。
「もちろん、水槽の修理代は高いですから、皆さん壊さないように気を付けてくださいね」
 一瞬の静寂のあと、CDマンボの水槽落成パーティーはいつものパーティーよりは静かに
行われた。それでも他の酒場に比べればかなり賑やかだったが。


 これは後日談になるが、可奈の邸宅の庭に一本の梅の木が植えられていた。春を告げる
木は、可奈の庭で毎年綺麗な花を咲かせることになる。
 その花を彼女の想い人であるゲンキが見るのは、これから更に3年後の話。

Fin.


〔ツリー構成〕

[76] CDマンボ 2002.8.17(土)01:32 CDマンボ (206)
・[77] 短編「じゅらい亭日記CDマンボ的ー帰還編ー」 2002.8.17(土)01:42 CDマンボ (16955)
・[78] 感想みたいなもの 2002.8.17(土)17:29 モリリン (514)
・[81] re(1):感想みたいなもの 2002.8.17(土)21:01 CDマンボ (303)
・[79] 感想:短編「じゅらい亭日記CDマンボ的ー帰還編ー」 2002.8.17(土)19:24 藤原眠兎 (977)
・[82] re(1):感想:短編「じゅらい亭日記CDマンボ的ー帰還編ー」 2002.8.17(土)21:20 CDマンボ (1009)
・[80] ちょっと遅いですがあとがき。 2002.8.17(土)20:48 CDマンボ (891)
・[83] 感想〜♪ 2002.8.19(月)23:16 ゲンキ (288)
・[89] re:感想〜♪ 2002.8.22(木)23:49 CDマンボ (522)
・[145] じゅらい亭日記CDマンボ的ー労働編ー 2003.6.29(日)23:20 CDマンボ (14997)
・[146] あぅち 2003.6.29(日)23:24 CDマンボ (333)
・[159] 感想:じゅらい亭日記CDマンボ的ー労働編ー 2003.7.8(火)11:01 藤原 眠兎 (285)
・[163] どもです〜☆ 2003.11.20(木)23:24 CDマンボ (318)
・[162] たまに読み返すのよ 2003.11.18(火)07:33 じゅらい (450)
・[164] あわわ 2003.11.20(木)23:36 CDマンボ (486)
・[179] 短編「じゅらい亭日記CDマンボ的ー年末編ー」 2003.12.29(月)06:29 CDマンボ (36374)
・[180] 今回の教訓 2003.12.29(月)06:36 CDマンボ (375)
・[181] 今年最初の感想 2004.1.1(木)01:12 ゲンキ (373)
・[183] 今年最初のお返事 2004.1.6(火)18:52 CDマンボ (276)
・[182] いやあ、ご苦労様です。 2004.1.2(金)10:42 じゅんぺい (286)
・[184] いえいえ、感想感謝です〜☆ 2004.1.6(火)18:55 CDマンボ (360)
・[185] 読了〜♪ 2004.1.8(木)16:54 カイオ (438)
・[186] 感無量〜☆ 2004.1.15(木)22:29 CDマンボ (298)
・[193] 短編「じゅらい亭日記CDマンボ的水走編」 2005.2.15(火)22:44 CDマンボ (20455)
・[194] あとがき 2005.2.15(火)22:49 CDマンボ (196)
・[195] 感想 2005.3.9(水)16:36 ゲンキ (153)
・[196] どうもです〜☆ 2005.3.11(金)16:40 CDマンボ (116)
・[208] 短編「じゅらい亭日記CDマンボ的ー贈物編ー」 2006.1.14(土)18:09 CDマンボ (22962)
・[209] あとがき 2006.1.14(土)18:15 CDマンボ (224)
・[210] 読みました! 2006.1.15(日)14:30 じゅんぺい (277)
・[211] ありがとうございます〜☆ 2006.1.15(日)19:00 CDマンボ (164)
・[212] 感想 2006.1.16(月)09:37 藤原眠兎 (317)
・[213] ありがとうございます 2006.1.18(水)17:39 CDマンボ (191)
・[214] 拝読しました 2006.1.23(月)16:38 ゲンキ (154)
・[215] ありがとうございます。 2006.1.31(火)11:55 CDマンボ (218)

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