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105 「カイオ現る編」その1(ソフトボイルド・ワンダーランド)
2003.2.16(日)04:33 - カイオ - 4369 hit(s)

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 思い返してみると、前兆は今朝から何度も私の前を通り過ぎていたような気がする…。
 現場へ向かう途中黒猫が目の前を横切ったのもそうだし、愛用していたカップの縁がい
つの間にか欠けていたのもそうなのだろう…。もちろんブーツの靴紐が切れていたのも前
兆に違いないし、よくよく考えてみれば朝食の目玉焼きの卵が双子だったことも、十分怪
しむに値する…。
 私は、整然と並んだ街頭に背を預けると、ポケットから量り売りの安タバコを取り出し
てマッチを擦った。
 いや、この際前兆はどうでもいい…、気づかなかった前兆など無意味だし今はもっと他に、
『早急に』考えなければならないことがあるのだ。
 隣を通り過ぎた初老の女性が、私を見て軽く眉をひそめたのを目の端に収めると、私は
また歩き始めた。
 重たげに使い込まれた黒の外套に、目深に被った防寒用の帽子、裏に滑り止めのスパイ
クをつけてある皮製のブーツ…。
 大体…今朝は吹雪いていたはずだ…。
 見上げる空には私をあざ笑うかのように照りつける太陽が、かつてこの街で見たことが
無いほど絶望的な存在感を発揮していた。
 …この街?
 思わず浮かんだ空しい響きに、私は自嘲の笑みを洩らした。
 どうやら私はあれほど何回も自分の頬をつねり、激しく頭を振り回し、街路樹に頭を打
ちつけ、公園で水を被り、メガネのレンズを拭き、自分の名前と住所を復唱し、挙句の果
てに通りすがりの少年の胸倉をつかんで強制尋問までおこなったというのに…今もって
『これが夢かもしれない』という薄甘い疑惑を捨てきれないでいるようだ…。
 滝のように流れる汗をポケットから取り出した『厚手の手袋』で拭って私は出来るだけ
人気のある方へと歩く。
『ヘイレン?ボク知らないよそんな街…本当だよ…』
あの時こめかみに38口径を押し当てられた少年は、歯の根の合わぬ声で言ったものだ。
『…おじさんもう離してよ…ほんとに知らないんだよ(鼻をすすり上げる音)』
『じゃあここはどこだって言うんだ!』
 ちなみに…私が思わず声を荒げたのは、著しい混乱と動揺が原因であって、少年が不用
意に口走った『おじさん』はまったく関係が無いことを明記しておく。
『そんなの、…セブンス=ムーンに決まってるじゃないか』
……暑い…
私は短くなった紙巻を石畳に叩きつけるように捨てると、大きく天を仰いだ。
セブンス=ムーン?
だから…どこなんだここは!


 私が投げた半ブレード硬貨を軽く調べる…。
「ふ〜ん、銀だね純度は高くないけど、ま、支払いには問題ないよ」
 そういうとその店の主人はカウンター越しに、冷えた果汁水のグラスを置いた。
 大きな氷がカラカラと涼しげな音を立てるそれを、半分ほどまで一気に流し込む。
 …命の水だ。冷たいグラスを額に押し当てて、心底思う。噂に聞く『エリクサー』が
実在するならば、おそらくこの味をもう一度味わえるのかもしれない。
 フー、と大きく息をつく私を見て店主が、少しだけ困ったように微笑んだ。
「暑いんだったら、その、脱いだら?…それ」
 遠慮がちな指摘に、私はただ肩をすくめるに止まった。
 もちろん彼が言っているのは、かつて無かったほどの驚異的な保温性と保湿効果を発揮
し続けている、忌々しくも分厚い外套のことであるというのは百も承知であった。
 これを着込んでいる為に私には、周囲の人々のひどく訝しげな視線と、不審人物として
この街の保安機構に捕縛される可能性が常に付いて回っていた。しかし、ここで唐突にこ
の悪夢が醒めて、あの懐かしい寒空の下へ薄手のシャツ一枚で放り出されるという危険性
をかんがみると、不用意に装備を手放すなどとても出来ない相談だった。
 街を歩き回りながら集めた情報によると、どうやらここは帝国領以南の未開地域ですら
無く、下手をすると私の住み慣れた大陸内のどこかですらないという、荒唐無稽な可能性
も出てきた。
 大体、多重構造都市というのは何なのだ?1年に一回転する円盤状の都市?帝国の最新
技術の粋を結集したとしても絶対にありえない話だ!
 しかし私の見たあの光景…恐ろしいことにガラス張りの地面(なんという強度なのだ!)
から下を覗くと案内板に書いてあった通りの、冗談じみた多重構造がはるか彼方まで続い
ているのが見えたのだった。
 もしあの光景を首都の宮廷魔法研究所の連中が見たら、おそらくその半数以上が発狂す
るか、あるいは新興宗教にでも走るかで人生を踏み外しただろう…。
 グラスを前に激しく頭を振る私の前に一枚の皿が置かれた。
 目を上げると、そこにはウェイトレスらしき女性が、非の打ち所のない完璧な商業用ス
マイルで私に告げた。
「ゼル貝とフラフクラブの冷製パスタです」
 …呪文にしか聞こえなかった。
 ゼル貝?フラフクラブ?あまつさえ冷えた料理を客に出すなど、私の街では考えられな
い暴挙だといえる。
 みたことのない色をした貝や巨大な甲殻類のハサミに彩られたパスタの皿を、疑わしげ
に見つめる私の前にスプーンとフォークが並べられる。
 ウェイトレスの彼女は「美味しいですよ」と、やはりきれいな笑顔で言うと、『風舞
さ〜ん、こっちビール四つ追加〜』という異様ににぎやかなテーブルからの声にこたえて
歩き去ってしまった。

 ぼんやりと『ゼル貝とフラフクラブの冷製パスタ』を眺めながら、またも思考の渦へ巻
き込まれていく。
 ここが帝国領内でないことは確かだ、大陸内部のどこかであることすら怪しい…
 とすると…残る可能性は噂に聞く新大陸(私自身は存在すら怪しいものだと思っていた
のだが)…ということになるのだが…。
 整然とした街並み、住民達の文化的な生活、そして何より全く違和感も無く北スウェード
語が通じるなど、どう考えても納得いかない点が多すぎるのである。
 私はカウンターの上に行儀悪く両肘をつくと、広げた手のひらの中に顔をうずめてきつ
く目を閉じた。
 …これはいよいよ…、あえて今まで考えまいとしていた可能性について、真剣に考慮する
必要が出てきたということになるのかもしれない。
 …そう、これが悪夢でも現実でもなく、私自身の『妄想』がもたらした『幻覚』である
かもしれない、という…あまりにも残酷な結末について…。
本当の私は…暗い石造りの病院の隔離病棟…私は薄汚れたベッドに腰掛けて、頭をかきむ
しり、激しく貧乏ゆすりを続け、ブツブツと…灰色にくすんだ壁に向かって独り言をつぶ
やいているのだ…。
 ゆっくりと目を開く、そこには薄汚れた壁など無く、ただ『ゼル貝とフラフクラブの冷
製パスタ』が私に食べられるのを行儀よく待っていた。
 意を決してフォークで絡め取ってみる(生きるためには食べなくてはならない、南方開
拓の雄ヴィドゲイン博士の南方見聞録にも持参した食料が尽きて原住民の正体不明の料理
を食べるという下りがあったではないか!)。
 フォークに絡め取った麺を口元に運ぶ…匂いは悪くない。というか美味そうな匂いであ
る。こうなると現金なもので私の腹は急に空腹を訴え始めた。
 恐る恐る口に入れてみる。心地よく冷えた麺がのどの奥に滑り込んでいく…スパイスの
香りと仄かな酸味を感じる、
 …正直ひどく美味かった。
 これは現実だ、私の味覚が強烈にそうアピールしている、『いい加減諦めたらどうなん
だ?これは夢でもないしお前の妄想でもない…したがっていずれ劇的に目が覚めるという
こともありえないんだぜ』舌に残る植物油の香りがそう語りかけているようだった。
 あるいは…私はもう、ずっと昔からこの世界に暮らしていたのかもしれない、あの…
うそ寒く雪に覆われた街で続いていたはずの、油染みた生活臭にまみれた普通の日常の
方こそ、私の見ていた夢なのかもしれない。
 ふと顔を上げるとカウンターの向こうでグラスの手入れをしていた主人と目が合った。
「どうだい?美味しいかい?」
「ああ、…現実の味がするよ」
 それを聞いて、主人は少しきょとんとしてから、実にやわらかく笑った。
「それは何よりだね、…ところでお客さんこの町の人じゃないだろう?」
「ああ、まあ…そうだよ、実際ここには今日着たばかりなんだ」
 この異様な風体と、この街で使われていない銀貨を持っていれば誰でも当然そう思うだ
ろう。私は軽く肩をすくめるしぐさで答えた。しかし、そのあとの店主の言葉に凍りつく。

「じゃあひょっとして君は…この世界の人でもないのかな?」

「何だと…?」
 絞り出した自分の声が、のどの奥にへばりついているような気がした。腰の後ろに回し
た手が無意識に銃把を探っている。
 …知っている!…この男は何かを知っている!…
 私の職業上の勘が激しくそう告げていた。
「それは…一体どういう意味だ?」
「ここじゃ、そういう人、珍しくないってことだよ。なんか凹んでるみたいだけど、ここ
にいる間くらい楽しんで行って欲しいなぁ。せっかく来たんだからね」
 …珍しく…ない?
 ひょっとしてこの男の言葉はいわゆる暗喩であり、『セブンス=ムーン』では、妙な薬
でも流行っていて、『別の世界』に逝ってしまった人間が大量に存在するとでも言いたい
のだろうか?
 浮かんできた自分の考えに頭が痛くなる。馬鹿な、今はともかくこの男を締め上げて情
報を聞きだすことが先決だ。
 ちらりと店内を見回す、客は5〜6人、この店主の身柄を拘束した上でこの人数をこの
場に足止めしなくてはならない(ひとりでも取り逃がすと治安機関への連絡という危険が
あり、そうなった場合、圧倒的に不審な私は必ず拘束されるだろう)、正直私ひとりでは
相当厳しい感がある。
 いや、その前にまずこの店の武装を調べる必要がある…、この街の銃刀法が一体どのよ
うなものかは不明だが、武装強盗などに備えてカウンターの裏に大口径の散弾銃などを忍
ばせている可能性は否定できない。
要は手際だ…。
 私はスッと目を細めて、頭の中で行動をシミュレートする。
 まず、何気なく注文でもする振りをして店主を呼び、近づいたところで胸倉をつかんで
カウンターに押し付ける。ここで天井に向けて一発威嚇射撃、その後店主の頭に銃口を押
し付けてこの場にいる全員の武装解除…といったところか。
 加熱気味の頭で考えただけあって、いささか力押しといった印象が強いのはいたしかた
の無いところだろう。
 私は緊張をほぐすようにグラスの残りを空けると、できるだけ何気ないそぶりを装って
店主に向かって口を開く。
 ……開こうとしたときだった。

きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!

 絹を引き裂くというより、食器棚いっぱいのワイングラスをいっぺんに床に叩き付けた
ような凄まじい悲鳴だった。
 当然、今まさに犯罪行為に及ぼうとしていた私は死ぬほど驚いて危うく心不全を起こす
ところであったが、それはまあいい。
 とにかく店内が呆然とした空気に包まれる中、店の奥の扉が開いて転がるように出てき
た人影があった。
 まだ若いその女性は、何度か喘ぐように口を開くと、搾り出すように叫んだ。

「人が…人が死んで、死んでる!死んでるの!」

 理解に一瞬を要したのだろう、静まり返った部屋が、…騒然と色めきたつ。
 女性に駆け寄るもの、驚きの声を洩らすもの、騙されているのだろうと疑っているもの…。
「静かに!!皆さんっお静かに!!」
 それは…私の声だった。
 自分でも意識しないうちに立ち上がって、注目を引くべく両手を広げていた。 
 …そうだ、
 内ポケットから身分証明証を引っ張り出すと、くそ忌々しい分厚いその外套を脱ぎ捨て
てカウンターへ放り投げた。
 …そうだ、
 夏の日陰のさわやかな涼しさが汗ばんだ全身と私の頭を冷やしていく。
 …そうだ、
「私はヘイレン市警のカイオ・フェザーストーンです、現場の保持は事件早期解決の最重
要項目のひとつです。いいですか皆さん、その場を動かないでください!」
 店中が目を点にして私を見ている。
 それでも私は、今自分がもっとも冷静な、慣れ親しんだ『自分』を取り戻しつつあるこ
とを自覚していた。
 …そうだ、たとえこの世界が夢だったとしても、この街がヘイレン市ではなく、魔法都市
セブンス=ムーンであったとしても、
それがどうしたっていうんだ?

『事件』があるなら私はかまわないさ。


〔ツリー構成〕

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・[103] 連作「カイオ現る編」 2003.2.16(日)04:11 カイオ (197)
・[105] 「カイオ現る編」その1(ソフトボイルド・ワンダーランド) 2003.2.16(日)04:33 カイオ (10038)
・[106] カイオからの重要なお願い 2003.2.16(日)04:41 カイオ (618)
・[108] 面白かったですよー 2003.3.3(月)02:29 ゲンキ (323)
・[121] ようやく見つけました〜(嬉) 2003.3.15(土)23:25 飴川 猫留 (343)
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・[132] 「カイオ現る編」その2(追いつめられたワタシ) 2003.5.9(金)00:09 カイオ (6542)
・[144] 銭湯でも述べましたが 2003.6.8(日)20:39 ゲンキ (53)

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